第七話 専属メイドの仕事
「フィリア先生のおかげです」
そう言ったあとも、フィリアは少し照れたような顔をしていた。
だが、気付けば窓の外は夕焼け色に染まっている。
部屋の中にも橙色の光が差し込んでいた。
「もう夕方ですね」
リゼは窓の外へ目を向けた。
どうやら魔法の話に夢中になっていたらしい。
「ほ、本当です……」
フィリアも窓を見て小さく目を丸くした。
リゼは立ち上がる。
「そろそろ夕食のお時間でしょうか」
「はい」
フィリアは頷いた。
「では、いただいてきます」
そう言って扉へ向かう。
フィリアは一瞬きょとんとした後、
「あ、お願いします」
と小さく頭を下げた。
リゼは部屋を出る。
廊下を歩きながら周囲を見る。
夕食の時間だからだろうか。
使用人たちは忙しそうに行き交っていた。
大きな洗濯籠を抱えた女性。
山積みのシーツを運ぶ男性使用人。
皆どこか余裕がない。
なるほど。
リゼは静かに観察しながら厨房へ向かった。
◇◇◇
しばらくして、部屋の扉がノックされた。
「フィリア様、夕食をお持ちしました」
リゼがワゴンを押して入ってくる。
「あ、ありがとうございます!」
少し緊張した面持ちで椅子に座るフィリアの前に、丁寧に食事が並べられていく。
スープ。
パン。
焼き魚。
そして温野菜。
豪華ではない。
だが、丁寧に作られているのは分かった。
「い、いただきます」
フィリアが小さく手を合わせる。
リゼは少し離れた場所でその様子を見ていた。
専属メイドになった以上、主人を知る必要がある。
それが仕事だ。
好き嫌い。
生活習慣。
癖。
そういったものを把握しておいた方が仕事はしやすい。
フィリアは静かに食事を始めた。
まずスープへ手を伸ばした。
ゆっくりと口へ運ぶ。
次にパン。
その後、温野菜。
ここまでは特に問題ない。
だが。
魚へフォークを入れたところで、ほんの少し動きが止まった。
身を崩さないよう慎重に切り分けている。
一口。
またフォークを入れる。
少し身が崩れる。
フィリアの眉がわずかに下がった。
なるほど。
リゼは静かに観察を続けた。
嫌いなのではない。
避けているわけでもない。
食べようとはしている。
ただ時間がかかっている。
「魚はあまりお好きではないのですか?」
フィリアが顔を上げた。
「え?」
「い、いえ。好きです」
やはり。
リゼは小さく頷く。
「骨ですか?」
今度はフィリアが目を丸くした。
「ど、どうして分かったんですか?」
「魚だけ食べる速度が遅くなっていましたので」
リゼは当然のように答えた。
フィリアはぽかんとする。
そんなところを見られているとは思わなかったらしい。
「骨が苦手なんです……」
なるほど。
今度は原因も分かった。
リゼは魚を見た。
背骨。
肋骨。
身の付き方。
前世で魚を捌いた経験はない。
だが構造はなんとなく分かる。
人間も魚も骨格があるのだから。
「少々失礼します」
ナイフを入れる。
骨に沿って切る。
すると。
するりと背骨が外れた。
「……え?」
フィリアが固まる。
魚の身はほとんど崩れていない。
「構造が分かれば簡単ですよ」
「すごい……」
フィリアは感心したように魚を見つめていた。
リゼは首を傾げる。
そんなに驚くことだろうか。
「とても、食べやすくなりました」
フィリアは嬉しそうに、
魚を一口また一口と口に運んだ。
◇◇◇
しばらくして、フィリアの食事が終わった。
今度は入浴の準備だ。
リゼは浴室の準備をしながら周囲を見る。
タオルの場所。
着替え。
香油。
湯温。
覚えることは多い。
だが嫌ではなかった。
専属メイドとして主人を知ることも仕事のうちだ。
「フィリア様、お風呂の準備が整いました」
「は、はい!」
返事は元気が良かったのだが、
浴室に近づくにつれて少しずつ表情が曇る。
リゼはそれを見逃さなかった。
なるほど。
お風呂が好きではないらしい。
浴室へ着くと、フィリアは慣れた様子で服を抱えた。
「では……」
そして当然のように浴室へ入ろうとする。
一人で。
リゼは首を傾げた。
「フィリア様、お手伝いします」
フィリアの肩がぴくりと動く。
「だ、大丈夫です!」
少し早口だった。
「一人でできますので……!」
リゼは静かに観察する。
拒否というより警戒だ。
何か理由があるのだろう。
「フィリア様の専属メイドですので」
リゼは当然のように言った。
「私のお仕事です」
フィリアは困ったような顔をした。
やがて観念したように小さく頷く。
「……お、お願いします……」
明らかに嫌がっているように見える。
リゼには少し不思議だった。
前世でも入浴の時間は好きだった。
一日の終わりに湯船へ浸かる。
それは疲れを流すための、ささやかな楽しみでもあった。
だからこそ、フィリアがお風呂を嫌がる理由が気になった。
お風呂そのものが嫌いなのか。
それとも別に理由があるのか。
入れば理由がわかるだろう。
◇◇◇
温められた湯船は湯気が立ち上っていた。
フィリアは恐る恐る湯船へ手を入れる。
その瞬間。
目を丸くした。
「あれ……?」
熱くない?
むしろ心地良い。
ぬるすぎず、熱すぎず。ちょうど良い温度だ。
「湯加減はいかがですか?」
後ろからリゼが質問した。
「ち、ちょうどいいです!」
「それは良かったです」
ふわりとリゼの口元が優しく笑った。
フィリアはそんなリゼにドキッとしながら
そっと湯船に浸かる。
ふわりと良い香りがする。
強すぎない。
優しい香りだ。
「良い香りですね」
「香油がありましたので」
「少量だけ使いました」
少量。
その言葉にフィリアは少し驚く。
今までの使用人たちは違った。
高価な香油を大量に使い、香りで誤魔化そうとしていた。
そのせいで浴室を出た後も鼻につく香りがきつかった。
だが今日は違う。
ふわっと香る柑橘系の香りが
とても心地良かった。
「失礼します」
リゼは香油を手に取り、手のひらで温める。
その後、フィリアの様子を見ながら肌に薄く伸ばし、
そして優しくマッサージをした。
手、首周り、頭皮。
無駄がない。
「気持ちいいですか?」
「……はい」
フィリアは小さく頷いた。
不思議だった。
お風呂はあまり好きではないはずなのに、
なぜか嫌な気持ちにならない。
むしろ心地良い。
しばらくしてマッサージの後。
リゼは髪を洗い始めた。
毛先から丁寧に、根本まで。
絡まないように少しずつ。
最後に浴室の棚に置かれていた髪用の香油を少し垂らし、髪に馴染ませる。
そのまま櫛を通した。
さらり、と金髪が流れる。
「……綺麗ですね」
思わず呟く。
フィリアは少し驚いた表情を見せた。
「そ、そうでしょうか……」
「はい」
「言われたことがないので、よく分からないです」
リゼは瞬きをした。
本気で言っているらしい。
どう見ても綺麗だ。
目の前にあるのは髪質も良く、
滑らかなシルクのような黄金の綺麗な髪だ。
「とても綺麗ですよ」
リゼは素直に言った。
「少なくとも私はそう思います」
フィリアはぽかんとする。
それから少しだけ俯いた。
耳がほんのり赤い。
どうやら照れているらしい。
なるほど。
褒められることに慣れていないらしい。
そして、入浴後、フィリアは椅子に腰掛けた。
鏡に映る頬にはほんのり赤みが差していた。
肌もしっとりしている。
髪も艶やかだった。
鏡を見たフィリアは目を丸くする。
そこには、いつもより少しだけ元気そうな自分が映っていた。
「同じお風呂なのに……」
「リゼはすごいですね」
小さな呟きが漏れる。
リゼは首を傾げた。
「そうですか?お風呂上がりはみんなこうですよ」
本気で分かっていない顔だった。
フィリアは思わず笑ってしまう。
「ふふっ」
どうやら。
この専属メイドは思っていた以上に変わっているらしい。
◇◇◇
やがて就寝の準備も終わる。
フィリアはベッドへ腰掛け、本を手に取った。
心なしか、表情も明るく見える。
自然な動作だった。
ページを開く。
迷いがない。
何度も読んでいるのだろう。
リゼは本棚を見る。
同じシリーズが並んでいた。
背表紙が少し擦り切れている。
なるほど。
この本はフィリア様のお気に入りなのだろう。
フィリアは気付いていない。
だがリゼは覚えた。
主人が何を好むのか。
何に興味を持つのか。
それを知るのも専属メイドの仕事だ。
「フィリア様、明日お屋敷の中を見て回ってもいいでしょうか?」
リゼが言う。
フィリアが本から顔を上げた。
「屋敷を?」
「はい」
「まだ知らないことばかりですので」
フィリアは少し考えた後、小さく頷いた。
「わかりました」
「私が案内します」
リゼは少し驚いた表情を見せて瞬きをした。
「よろしいのですか?」
「お時間を、使わせてしまいますが」
「ええ、先生ですから」
フィリアはニコッと笑った。
リゼも頷く。
窓の外では月が昇り始めていた。
知らないことはまだたくさんある。
屋敷のこと。
公爵家のこと。
そして。
フィリアという人間のことも。
明日はもう少し分かるかもしれない。
そう思いながら、リゼは静かに月を見上げた。




