第三十話 残された足跡
148ページ。
たった一枚。
それだけが欠けている。
だが、その一枚が全ての鍵を握っているような気がした。
静かな図書館の中。
誰もしばらく口を開かなかった。
やがてリゼが静かに言う。
「他の資料も見てみましょう」
フィリアは頷いた。
もしかすると。
別の記録に手掛かりが残っているかもしれない。
◇◇◇
それから数時間。
四人は手分けして研究記録を読み進めた。
魔法理論。
薬学。
古代文明。
魔道具。
農業。
気候。
鉱物。
どれもレオナルドが関わった研究だった。
フィリアは何度も驚かされた。
父は一体どれほどの知識を持っていたのだろう。
読めば読むほど分からなくなる。
そして同時に思う。
自分は父のことを何も知らなかったのだと。
◇◇◇
一方。
リゼは黙々と記録を読み続けていた。
だが。
「……妙ですね」
ぽつりと呟く。
「何がですか?」
フィリアが尋ねる。
リゼは手元の記録を閉じた。
「結論が少ないのです」
「結論?」
「はい」
リゼは頷く。
「仮説があります」
「実験があります」
「観察結果もあります」
「ですが」
「結論へ至る考察が途中で途切れています」
セドリックが僅かに眉を動かした。
リゼは続ける。
「研究者は答えを求めます」
「ですが、この記録は途中で終わっているものが多い」
「まるで別の場所へ続きを書いているようです」
フィリアは首を傾げた。
「そういうものなのですか?」
「分かりません」
即答だった。
「ですが」
「その可能性もあります」
フィリアは少し納得してしまった。
確かにリゼなら本一冊では終わらない気がする。
◇◇◇
その後も調べ続けた。
だが。
148ページに繋がる手掛かりは見つからなかった。
気付けば窓の外は夕暮れ色に染まり始めている。
セドリックは静かに本を閉じた。
「今日はここまでですね」
その声にフィリアも頷く。
成果がなかったわけではない。
父のことを知れた。
だが。
本当に知りたいことには辿り着けなかった。
◇◇◇
帰る支度をしながら。
フィリアはぽつりと呟く。
「お父様の研究室……」
リゼが顔を上げた。
「研究室ですか?」
「はい」
フィリアは少し考え込む。
「お父様が倒れてから、ほとんど入っていないのですが……」
小さく視線を伏せる。
「昔はよく研究室に籠っていました」
「本も資料もたくさんあったと思います」
そこで言葉が止まる。
そして。
「もしかしたら」
「そこに何か残っているかもしれません」
リゼは少し考えた。
「なるほど。確かにありそうですね」
「そう思いますか?」
「はい」
即答だった。
「レオナルド様は気になったことを調べる方です」
「研究記録以外にも何か残していても不思議ではありません」
フィリアは静かに頷く。
父が眠ってから。
ずっと閉ざされたままだった研究室。
だが今なら。
あの部屋へ入れる気がした。
◇◇◇
その会話を聞いていたセドリックが答える。
「先生の研究室ですか」
どこか懐かしそうな表情だった。
「私も一度だけ入ったことがあります」
「どうでしたか?」
フィリアが尋ねる。
セドリックは少し考えた。
「本の山でしたね」
即答だった。
「床が見えない場所もありました」
フィリアは頭を抱えた。
覚えがあった。
「やはりそうでしたか……」
セドリックは苦笑する。
「ですが」
「先生が最も長い時間を過ごしていた場所でもあります」
「何か残っているかもしれませんね」
その言葉にフィリアは小さく頷いた。
父が残したもの。
今なら、それを探してみたいと思えた。
◇◇◇
四人は王立図書館を後にする。
フィリアはセドリックへ向き直る。
「本日はお招きいただき、ありがとうございました」
深々と頭を下げる。
「王城も見せていただきましたし、お父様のこともたくさん知ることができました」
「とても有意義な時間でした」
セドリックは穏やかに微笑んだ。
「そう言ってもらえるなら良かった」
フィリアは少しだけ迷う。
そして意を決したように口を開いた。
「公爵家へ戻ったら、父の研究室も調べてみようと思います」
「何か残っているかもしれませんので」
その言葉にセドリックは静かに頷いた。
「そうですね」
「先生なら、研究室にも何か残していそうです」
どこか懐かしそうな声だった。
「もし何か分かったら教えてください」
「私も気になりますので」
フィリアは小さく笑う。
「はい」
「その時はご報告いたします」
◇◇◇
王城の正門前。
馬車の前まで見送りに来たセドリックへ、
フィリアは慌てたように頭を下げる。
「お見送りまでしていただかなくても……」
だがセドリックは小さく笑った。
「そういうわけにはいきません」
「大切なお客様ですから」
フィリアは少し照れたように俯く。
「ありがとうございます」
「お気を付けてお帰りください」
レオンも一礼する。
「本日はありがとうございました」
「ありがとうございました」
フィリアとリゼも頭を下げた。
やがて馬車がゆっくりと動き出す。
フィリアは窓から小さく手を振った。
セドリックも静かに手を上げる。
馬車は王城を後にした。
◇◇◇
やがて馬車の姿が見えなくなる。
セドリックはしばらくその方向を見つめていた。
その隣でレオンが静かに口を開く。
「よろしかったのですか」
「何がだ?」
「研究記録の件です」
セドリックは少しだけ目を細めた。
「隠す理由もないだろう」
「ですが」
レオンは言葉を選ぶ。
「一ページ抜かれていた件は看過できません」
短い沈黙。
そしてセドリックは静かに言った。
「管理記録を調べてくれ」
レオンの表情が僅かに引き締まる。
「承知しました」
◇◇◇
馬車の中。
フィリアは窓の外を見つめていた。
148ページ。
失われた研究。
そして眠り続ける父。
きっとどこかに繋がっている。
そんな気がした。
次に向かう場所は決まっている。
アルヴェイン公爵家。
父の研究室だった。




