第二十八話 レオナルドの研究
セドリックから手渡された研究記録。
フィリアは恐る恐る表紙を開いた。
古びた羊皮紙。
細かな文字。
何度も書き直された跡。
そこには研究者としてのレオナルドの姿が残されていた。
最初のページに書かれていたのは、意外な一文だった。
『なぜ人は一属性しか扱えないのか』
フィリアは目を瞬かせる。
当たり前のことだと思っていた。
魔法は一属性。
複数属性を扱える者はごく一部。
それが常識だったからだ。
だが。
レオナルドはそう考えなかったらしい。
『複数属性を扱う者が存在する以上、一属性しか扱えないという法則は成立しない』
『成立しているのは、多くの者が扱えないという事実のみである』
リゼの目が僅かに細くなる。
「面白いですね」
小さく呟いた。
フィリアは思わず聞き返す。
「面白いのですか?」
「はい」
リゼは頷く。
「常識を前提にしていません」
「まず疑っています」
研究記録を読み進める。
そこには実験結果が延々と書き残されていた。
複数属性保持者の調査。
王族。
宮廷魔術師。
騎士団長。
魔力量。
属性適性。
年齢。
訓練期間。
仮説。
検証。
失敗。
修正。
再検証。
何十年分もの積み重ねだった。
「お父様は……こんなことを調べていたのですね」
フィリアは少し驚いたように呟く。
自分の知る父は優しい父だった。
だがここにいるのは違う。
答えを求め続ける研究者だった。
◇◇◇
さらにページをめくる。
次の研究テーマ。
『マナとは何か』
フィリアは首を傾げた。
「マナとは何か?」
当たり前すぎる問いだった。
だが記録は続いている。
『人はマナを体内に保有している』
『では体内にしか存在しないのだろうか』
フィリアは目を見開いた。
セドリックも僅かに眉を動かす。
そんな発想はしたことがなかった。
ページをめくる。
そこには膨大な観察記録が並んでいた。
魔物。
魔石。
精霊。
古代遺跡。
魔力溜まり。
土地ごとの魔力濃度。
植物の成長速度。
薬草の品質差。
ありとあらゆる現象が書き残されている。
「これは……」
フィリアは息を呑んだ。
リゼは黙って読み進める。
『魔力溜まりは何故発生するのか』
『精霊は何によって存在しているのか』
『古代遺跡は何故数百年経っても機能を維持しているのか』
『魔物は何故魔石を形成するのか』
そこには答えではなく疑問が並んでいた。
そして最後に。
一つの仮説。
『体内以外にもマナが存在すると考えた方が説明しやすい』
フィリアは固まった。
「自然界にも……マナがあるということですか?」
「分かりません」
答えたのはリゼだった。
「ですが」
「レオナルド様は、その可能性を疑ったのでしょう」
セドリックも研究記録へ視線を落とす。
「私も初めて読んだ時は驚きました」
静かな声だった。
「ですが言われてみると、不思議ですね」
「魔力溜まりも」
「精霊も」
「古代遺跡も」
「確かに説明がつきません」
リゼは小さく頷く。
「だから調べたのでしょう」
研究記録へ視線を落とす。
そこには答えを求め続けた跡があった。
常識を信じなかった男。
分からないことを放置できなかった男。
それがレオナルドだった。
リゼは小さく呟く。
「凄いですね」
フィリアが驚く。
リゼが素直に感心している。
珍しいことだった。
「レオナルド様は」
リゼは静かにページをめくる。
「常識から答えを探す方ではなかったのですね」
その声には、僅かな尊敬が混じっていた。
◇◇◇
次のページを開く。
そこから先は、
それまでとは少し様子が違っていた。
仮説だけではない。
計算式。
観測記録。
実験結果。
研究が一歩先へ進んでいる。
リゼの目が僅かに細くなる。
「……?」
ページをめくる。
さらに次。
また次。
研究は確実に進展しているように見えた。
その時だった。
ふと手が止まる。
リゼの視線がページ番号へ向いた。
145
146
147
――149
沈黙。
リゼはもう一度見る。
ページを戻す。
再び確認する。
146
147
149
間違いない。
一枚足りない。
「……おかしいですね」
小さく呟く。
フィリアが顔を上げた。
「どうしました?」
セドリックも近付いてくる。
リゼは研究記録を開いたまま答えた。
「この研究記録」
「一ページありません」
空気が変わる。
フィリアは慌てて覗き込む。
本当だった。
148ページだけが存在しない。
セドリックの表情も真剣になる。
「そんなはずは……」
リゼはページの端へ視線を落とした。
ゆっくり指でなぞる。
そして静かに言う。
「破れたのではありません」
「意図的に抜かれています」
フィリアは息を呑んだ。
セドリックも黙る。
リゼは欠けたページを見つめる。
148ページ。
そこには何が書かれていたのだろう。
リゼは欠けたページを静かに見つめる。
その一枚には、この研究を大きく前へ進める何かが記されていたのかもしれない。
だが今は、まだ分からない。
研究記録だけが、その答えを胸の内へ秘めたまま静かに閉じられていた。




