6章・心の絆(3)
空は変容する。目に見えて変容する。大地も目に見えず、時には目に見えて、変容する。しかし、星空は変容しない。恐らく人が人として一生を終える間に、星空は一年と言う周期を悠久に刻み続けるだろう。
人の心と言うものは、果たしてどちらに似ているのだろうか。
ラルフは満天の空を見上げて自問した。
彼は今、北へと向かっている。
ルシアを奪われ、ファティマを遠ざけ、彼は今、ガルドとともにルシアを奪回すべく行動していた。シレーヌはファティマの護衛として彼女と連れ立ったために、この地にはいない。
今、彼が眼下に収めるのは、ついこの間までファティマと安息なる日々を過ごしたノープルの町である。
ついにこの剣を再び握るとは――。
ラルフは心の中でつぶやいて、手にした剣を鞘から抜き放った。
現れたのは通常の剣の白銀の煌きではなく、光を吸い取るかのごとくの漆黒であった。
夜陰に紛れ、剣を振るうとき、白銀の刃では光を反射してしまい、自らの居場所を悟られることになる。闇夜での暗殺をもっとも得意とした「暗闇のラルフォード」はこの漆黒の剣で、闇の中で狙ったすべての命を奪って来たのである。
殺しを止めた暗殺者のラルフが、かつての剣を再び握るのである。
激しい葛藤が彼の心の中にあった。
しかし、ルシアをジャッドに奪われた今、彼は過去の彼を取り戻さねばならなかった。なぜなら、「疾風のジャッド」はかつての「暗闇のラルフォード」と同等の力を持った暗殺者であったからだ。
「ラルフォードはこの地を訪れるか?」
「来る。奴はこの地に来る。奴は自らの誇りではなく、ルシアを助けるという甘い目的のために来る。それ故、奴は必ず逃げないだろう」
しかし、とジャッドは思う。
一瞬、ラルフは暗殺者ならぬ力を発揮した。カーミラを一時的に退けた、あの力だ。人の中で、通常を超える力を出す一瞬がある。主にそれは感情の高揚から発せられる物だが、逆に感情による能力の低下を恐れた暗殺者が持つ力ではない。しかしあの時、確実にラルフには感情の力が加わった。
冷酷と残虐で「暗殺者」の見本とされた男が――。
ジャッドはラルフに自らの足跡をわざと残していた。
かつて暗殺者たちが組織だった活動をしていた時代があって、その名残として暗殺者だけの暗号ににた通信手段があるのだ。そこにはこう書かれていた。
ルシアは健在である。旧アムル市内に我らはいる。
ラルフは旧アムル市へ足を向けた。
罠の恐れがある。ラルフはそう考えたが、やはり彼には立ち止まることを許されなかったのである。
が、その時運命は動いていた。すでに数奇なる歯車は、彼を弄んででいた。
セレナは常に不安を抱いている。彼女は自身でそう思うことが多くなっていた。
何しろ故郷を追われて以来、安息なる日々は数えるほどにしかなかった。
「ガイアの一族とは、恐らく通常の人間ではないでしょう」
セレナと二人きりになったレイシアはそう呟いた。
特に感情や意図を込められた声ではなかったが、セレナは素性を見透かされたと思い、驚愕に目を震わせた。シンシアの言葉を思い出したのである。
「あなたは、何かお知りのようですね?」
セレナの過剰な反応を見てレイシアはセレナに問い掛けた。
セレナは沈黙した。答える勇気がなかったのである。しかし、意を決するとレイシアを強く見て言った。
「私は人間ではないと言われました。あるガイアの一族の人に」
「あなたが人間ではない……と?」
「はい」
レイシアはしばらく沈黙して考え込んでいるようだった。
レイシアには一つの恐ろしい考えが脳裏に浮かんでいた。
それはルドア教の神官であっても、極一部の高位の者しか知らない伝説の一部であった。ガイアの一族は人の姿とは異なる、異形の姿をもう一つ持つ、と。
伝説は伝説、事実とは異なるものである。
レイシアはそう思っていたが、もし、ガイアの一族がその伝説に準ずるならば。
レイシアはついにそれをセレナに話すことはなかった。彼女にはその勇気がなかったのである。
レイシアはゆっくりを首を横に振った。
「ともかく、私があなたに教えられることは少ないでしょう。ガイアの一族の謎についてはやはり、ガイア教徒たちをたずねるべきです。ガイアの故郷は南、アステ・ウォールです。もし、あなたが真実を求めるならば、そこへ行くべきでしょう」
レイシアが続けた。
「それと、これを持っていきなさい」
レイシアはセレナに目で待てと合図し、奥へ消えた。さほどの時間を置かずしてレイシアは戻ってきた。彼女は手に小さな箱を持っており、それは黒漆で塗られた豪奢な物だった。
彼女はセレナの前でこれを開ける。
中には小さな鏡があった。非常に精巧な代物で、その輝きは神秘的に映るものを魅せていた。
「これは?」
「ガイアの鏡。あなたの持っているガイアの剣と関連のある代物かもしれません。こ
れは代々このルドア神殿に伝わる宝鏡。ガイア伝説にまつわる物だと言われています」
「そんな大事な物を私に?」
「もしあなたがガイアの伝説を解明しようという意志があれば、お持ちなさい。ガイアの剣を持つあなたがこの神殿に訪れたということは、きっとこの鏡もあなたのもとへ渡る宿命を背負っていたのではないでしょうか? 私はそう考えています」
「レイシア様……私にはそんな強い意志は……」
セレナは戸惑った。レイシアの言葉に重圧を感じたのだ。
「持ってお行きなさい、セレナ。鏡がそう語っているのですよ」
レイシアは鏡にセレナを映した。当然、セレナは鏡面を覗くことになる。そこにはやはり、セレナの写しがあった。ただ、小さな鏡面の中に途方もない深さがあるように彼女は違和感を覚えていた。
「ガイア教の神殿にはガイアの宝玉が伝わっているそうです。伝説では剣と鏡と玉。この三つが交わりし時、古の封印は解かれる、とあります。それが何を意味するかは現在には伝わっておりませんが……」
セレナはその鏡を受け取る決意をした。
腰に携えたガイアの剣から、亡きファーニアの声が聞こえたような気がしたからだ。




