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6章・心の絆(4)

 荒れ果てた廃虚。かつてここはアムル公国の都として栄えた土地。

 しかし先代のカランダ王リヒャルト三世の前に小国は滅びた。温暖で適度な降水量に恵まれた豊かな土地は塩をまかれ、不毛の大地と化した。アムル家は一族を皆殺しにされ、アムル公国は永遠に滅んだかと思われた。

 しかし歴史は思わぬ方向に転がる。


 異例として敗国の一族として生き残ったルシア・フォルグルト・アムル。

 彼女は今再び囚われの身であった。囚われることが彼女の宿命であるかのように――。


「あなたはずいぶん私のことが嫌いであるらしいな」

「当然」

 ルシアは多分に苦々しさを含ませた口調で応えた。

 彼女の前にいるのはラッツウェルの弟、ミハエルであった。カランダの王宮から行方をくらました彼は今、旧アムル公国の領内に居たのである。


「あのジャッドとかいう暗殺者を使ったのはあなたでしょ! あの陰気臭いラウエルにでも頼まれたの?」

「やれやれ、しばらく見ないあいだにずいぶん面白い娘になったものだ。なぜ私があの愚かな兄に荷担せねばならないのだ? あのような小物は歴史は必要としていないだろう」

「それなら、あなたもそうでしょう? 愚鈍王子ミハエル」

「愚鈍王子か。なかなか洒落た名前だと思うのだがな」

「私を誘拐した意図は何よ?」

「私が必要としたからだ、あなたを」

「何故? 私を?」

「結婚してほしい」

「は?」

 ルシアはミハエルの唐突な声に、少々間抜けな声を出してしまった。


「ちょ、ちょっとあんた、頭大丈夫?」

「さあね? 自分自身は十分まともだと思っているんだがな」

 ミハエルは余裕の笑みすら浮かべた。彼の言動は脈略がなく不条理で非常識だったので「愚鈍」と形容される彼の行動らしいとも思えた。しかしその時ルシアはミハエルの瞳の奥にある理知を読み取っていた。長い囚われの生活の中、彼女も人を見る力を手に入れていたのである。


「あなたの目的は何? あなたの目的は『私』ではないわね?」

「さすが……無論、あなたが言うようにあなた個人を私は必要としていない。必要なのは、あなたの立場だ。ま、最もあなたぐらい美しいと個人としても興味はないこともないが、それはこの場合、二の次かな」

 ミハエルは相変わらず軽薄な笑みを浮かべていたが、今は「愚鈍王子」たる口振りではなかった。その笑みは知的な遊戯を楽しんでいるかのような、知性が見え隠れしていた。

「でもどうするつもり? 今更ラッツウェルに刃向かったところでヴァルハナ戦役で彼は大きな力をつけたわ。もはや国内で反旗は難しいと思うけど?」

「さてね。それはあなたにとってどうでもよいことではないか? あなたの夢はただ一つ、アムル公国再興だろう?」




 セレナたちはアスブルクから南へ向かう定期船に乗って出港した。

 カランダ王国の西側に広がるトバ海を南に下り、カランダ市を経由してアルカーティス大陸の北側を大きく抉る、カイン湾に入る。そのカイン湾の一番奥深くにホーエンツ公国の都、カイン市がある。ホーエンツ公国はアステ・ウォール帝国の属国になるが、経済的に潤う同国はほぼ独立国家として営んでいる。


 順調に行けば二ヶ月はかからぬ行程であった。多少検問がうるさくとも、地上を歩くよりははるかに早かったし、かつ安全であった。陸上の街道を進んでも、やはり関所は数多くあるからだ。


 アスブルクの港を出て十七日、船は順調に進み、カランダ港へ到着していた。

 この船は旅客のみならず、貨物も運ぶため一日はカランダ市に滞在せねばならなかった。

 偶然にその日、カランダ市はラッツウェルとアリアの結婚式でとんでもない賑わいとなっていた。セレナたちもその群集に紛れて絶世の美男子と美女という夫妻の誕生を見るべく、野次馬の列に混じっていた。


「すごい……きれい……」

 人垣の谷間からアリアの姿を見たセレナは率直でこれ以上的確な言葉は見付からない言葉をため息交じりに吐いていた。

「ほんと……でもあの人、すごいきれいだけど、薄いっていうか……その、幻みたいだよね」

 ミナが言った。アリアは薄く入れた紅茶色の髪といい、白く透き通った肌といい、色彩に乏しい美女であった。

 また体も病的なほどに細く、この時彼女はミナと同じく十九であったが、生気ははるかにミナに劣っていた。別の物語であるがアリアはまもなく病に倒れ、闘病の中、二十二の年で没する。


 しばらく儀式を交わした二人は豪奢な船に乗って港を出た。

 一種の新婚旅行のような物だ。

 この時代、貴族や王族の高貴な身分には、そういった風習があった。


「こら、二人とも。警備の兵士の数だって多いんだから、あんまり目立つなよ」

 人混みの中からすり抜けるようにアーディルが現れ、二人に注意を促した。

 確かにセレナたちはこの国ではお尋ね者も同然である。

「大丈夫だって。こんなに人がいるんだからわかんないよ」

 ミナは相変わらずお気楽な声で笑った。


「あれ?」

「セレナ? どうしたんだ?」

 アーディルが怪訝そうにセレナの顔を覗き込んだ。

 すると見る見るセレナの表情が変わる。アーディルが不思議そうにセレナの視線の方向を見ると、そこには南へ向かったはずの二人が居た。

 ファティマとシレーヌである。

 ファティマは優れた占術により、セレナ達の動向を占っていたのである。如何に彼女が優れた呪術師であれ、この人波の中で奇跡に近い巡り合いではあったが。


「ファティマ、シレーヌさん!」

 セレナは魔法の心得がある。人混みの中から魔法による精霊の動きを感じたのであった。その使い手がファティマだったのだ。ファティマらもセレナたちに気づいて駆け寄った。


「カランダに行けばあんたたちに会えるんじゃないか、と思ってね」

 ひとしきり再会を喜んだあと、シレーヌが微笑みながら言った。

 ラルフたちと別れた後、彼女は南より北へ行く事を思い付いたのである。

 二人は元々フェンリルに所属していたと言うわけでもなかったし、もしファティマの出自がジャッドらに知られたとしても、まさかカランダ国内に行方を暗ませているとは想像し難い。逆をついたのである。


「でも、どうして? ラルフさんたちは?」

 セレナがラルフやガルドがいない事に気づいて尋ねた。

 特にファティマとラルフはほとんど一緒にいる印象が強く残っていた。


 ファティマは彼女らしく理路整然といきさつを話し、ラルフたちと別行動をしている事話した。そして、ルシアがジャッドという暗殺者にさらわれた事も。

 真面目なセレナが深刻そうな顔をすると、ミナが逆に表情を崩してファティマを励ますように笑った。

「ファティマも色々大変だよね。どう? 私たちと南に行こうよ。旅は道連れってね」

 いろいろと深刻な事を抱えるセレナやファティマにとって、ミナの楽観的な考え方は意外と精神的な助けになっていた。


「うん、そうね。アーディルたちなら信頼できるし……」

「シレーヌさん?」

「ファティマには悪いけど、私にもやりたい事もあるからね」

 シレーヌがあまり見せぬ遠い表情を見せた。常に目の前に起こる事を冷静に処理する彼女にはあまりないことだった。

 ファティマはそれを敏感に気付いて、怪訝そうな顔で見つめた。


「悪いけど私はラルフたちに合流する。あ、心配しないでよ。剣士としてやり残した事があるからよ。ま、ラルフの足手纏いにはならないようにはしないといけないかもね」

「シレーヌさん……」

「それと、ラルフが浮気しないように見張っててあげるから」

 シレーヌが冗談交じりの声で言った。

 ファティマは声は出さなかったが、驚愕した瞳をシレーヌに向け、次の瞬間には微笑みを零していた。


「ね、そういう事でファティマを頼むよ。アーディル」

「ま、断るわけにはいかないよな。知らない仲じゃないんだ。事情も事情だし」

 アーディルのその答えに喜んだのはセレナたちかもしれなかった。三人の少女の仲は事情と時間を超えて、奇妙な連帯感と友情が芽生えていたのだ。


 こうしてファティマはセレナたち一行に身を委ね、シレーヌは独り戦いの場に走った。彼女の中でジャッド、カーミラとの戦闘で過去が現在に逆流していた。

 彼女もまたラルフと同じく、過去を記憶の中に隠蔽した人間であったのだ。

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