6章・心の絆(2)
「久しぶり、エヴァのおばさん!」
アスブルク市内にある、ありふれた邸宅の前でいそいそと掃除をしていた中年の女性にアーディルは声をかけた。
「おや! アーディルじゃないか。久しぶりだね。どうしたのよ? 突然」
エヴァと呼ばれた女性はアーディルの顔を見て、すぐに弾けるような歓喜の声を上げた。
彼女はフェンリルの元指導者カゼル・ラッセルベントの妻。エヴァンゼリン・ラッセルベントである。
「いや、まぁ説明すると長くなるから……」
「そうか、ヴァルハナのフェンリルは壊滅したか」
かつてフェンリルを創始し、それを率いた男、カゼルはアーディルらの話を聞いて淡々とした表情でつぶやいた。
「少しくらいショックな顔をしないのかよ?」
「当然さ。俺はフェンリルを辞めた男だぞ。今更、どおってことねぇさ」
「あんたらしいな」
アーディルは肩をすくめて苦笑いをした。
アーディルとカゼルは顔見知りだ。アーディルは竹を割ったような性格のカゼルが気に入り、フェンリルに入った。二人の間には倍以上の年齢差があったが、友人のような気の置けない関係だった。
「しかしどうしてこんな季節にアスブルクなんかにきた? ただ寒いだけだろう?」
カゼルは怪訝そうに聞いた。
ミナの帰郷だけとは思えなかったからだ。
「あの子の髪を見てくれ。あんたなら、わかるはずだ」
アーディルは声のキーを一つ落としてセレナを見た。
少し後ろの方で控えていた彼女はためらいながらも室内には不似合いなローブを外した。
「ほう……こりゃまた、べっぴんさんだな、アーディルよ」
「あのな」
「わかってるよ。ガイアの一族だな。ファーニアと同じだ。あいつに会ったのか?」
カゼルは義理の娘、愛情は実の娘と変わらぬファーニアが行方不明になったことを知っている。だが、彼は彼女が北海の孤島、コルア等で無残な最期を遂げたことを知らない。
アーディルはファーニアの姿を思い出して、目を細めた。その気配にカゼルも眉をひそめた。
「カゼルさん……ファーニアさんは……」
セレナはすっと前に出て、カゼルに皮袋を渡した。コルア島で発見したファーニアの遺骨の袋だ。あれ以来、ずっとこの皮袋はセレナが持って譲らなかった。
「そうか……やはりな、あの子は不幸な子だ。まず、俺に拾われたことが不幸だったのかもしれん。せめて人並みの幸せを、と思った追ったが、やはり宿命なのかもな」
カゼルは遠くを見てわずかに瞳を濡らした。
実子のおらぬ彼にとってファーニアは自らの子ほどかわいかったのだろう。しかし、彼女は彼の望む所ではない所で死んだ。
「俺は君に何も答えてやれない。明日、ルドア神殿行くがいい。どうせファーニアもそう言ったのだろう?」
「あ……はい。あ、この剣は、ファーニアさんの……」
「いい、あいつが君にそれを渡したのだったら、君に必要なものなのだろう。もう俺には剣はいらんよ。たとえファーニアの形見であったとしてもね」
カゼルは笑った。どこか空虚ではあったが、偽りのない笑みだった。
「アーディル、安くていい宿を紹介するよ。四人を世話するにはうちは狭すぎるからね、ごめんね」
エヴァが重い空気を振り払うように言った。
アーディルがふと気づくと彼女の足元に小さな女の子がいる。人見知りするのか、エヴァの後ろに隠れたままだ。
「この子は?」
「アーディルよ、すまんな。もう俺はお前たちの力にはなれん。こうして身を引いて見ると、小さな幸せに喜びを感じるようになった。この子はカチュア。この間引き取った養女だ」
カゼルは微笑みを浮かべていた。四十後半の男にしては屈託がなさ過ぎる笑顔だった。
セレナたちはその夜、エヴァの紹介による宿で休息を取り、次の朝早く、町の北東に位置するルドア神殿を目指した。ルドア神殿はアスブルク市内から、徒歩で二時間ほどの距離に位置している大神殿である。
ルドア教は太陽神ルドアを奉るアルカーティス二大宗教の一つである。
なお、二大宗教の他者ははるか南方に位置するアステ・ウォールのガイア教である。そもそもこの二大宗教は、祖を同じくしルドア教にしろ、ガイア教にしろ太陽神ルドアと大地の神ガイアを経典の中で崇めている。この二つの宗教が分離した年代は正確にはわかっていないが、およそ二〇〇〇年前であるともいわれていた。
ルドア教は北の民に信仰された。それはかつて北アルカーティスは冬の大半を氷と雪に覆われる地域であったからだ。その北国にとって太陽の光とは、一番重要なものであったに違いない。
そのルドア教の総本山の神殿をセレナたちは目指していた。
「いけません、巫女王様はお忙しい身。突然訪れになられましてもこまります」
神殿の中央部に進んだセレナたちは巫女王尋ねるべく、若い神官に巫女王の所在を尋ねていた。その神官も女性でおそらくは神に身を捧げる身分、巫女であるのだろう。年はセレナと同じくらいか、それより少し上にすぎない。恐らく二十歳を超えていないであろう。
「よろしいのですよ」
本殿の奥から柔らかな声がかけられた。
続いてその声の主が現れる。豪奢ではないが、清潔で透明感のある上質な白い衣を纏った不思議な女性であった。
十代といえば、なるほど、と頷けるであろうし、三十路を超えている、と言えばそんなものか、とも思うだろう。ただ海のように深く、湖の水面のように落ちついた瞳が印象深かった。
「レイシア様!」
セレナ達を応対した若い巫女は驚愕して彼女の名を呼んだ。彼女のような下端の巫女では巫女王レイシアの姿を見ることは希である。
「あなたたちがここを訪れることは、お告げからわかっておりました……」
レイシアは静かに言った。
彼女の言うお告げとは霊的な予知能力だといっても良い。
巫女ならば大なれ小なれそれを持ち、その能力の大きな者が高い位の巫女になるというのが彼女たちの風習だった。年齢や経験よりも優先されるという特殊な世界とも言えよう。
「あ、あの、私」
セレナが急いで外套のフードをとり、その緑の髪を外気にさらした。
普段は彼女はその髪を隠している。染めればよさそうの物だが、彼女はその髪の色を染めて隠すことはなかった。それが運命に対する彼女の矜持とも言えた。
レイシアはセレナの髪を見ても、表情を変えることはなく静かに頷いた。彼女の言葉通り、彼女はセレナがここに現れることを知っていたのだ。
「わかっております。あなただけ、私と共に奥へ。あなたはそのほかの方々を客室へお連れしなさい」




