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政略結婚した夫に毒を盛られたので潔く死のうとしたら溺愛されてるんですが、何か間違えました?  作者: 隙間ちほ


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6.クリスティーナの覚悟


 少し外の空気を吸いたくなった。ほんの少し、陽の光を感じたくなったのだ。クリスティーナがそうこぼしたので、午後の時間は中庭で過ごすことになった。

 白い日除け布の下、外用のテーブルの上に次々と茶菓子が運ばれてくる。細やかな作りのそれらは、料理人が特別にあつらえてくれたのだろう。宮殿で見たものにだって見劣りしない、豪華で、繊細で、眺めるだけでもクリスティーナの心を慰めた。

 侍女がお茶の用意をしているのを待つ間、クリスティーナは椅子に腰掛け、ぼんやりと日除け越しに外を眺めた。何もかも変わってしまったような気がするのに、そこにあるのはいつも通りの庭だ。変わったのは私なのだろうかとクリスティーナは考えた。

 

 当然のように現れたフェリクスに対して、もはや誰も驚かない。クリスティーナでさえも。

「外に出られるようになったのか」

「はい、フェリクスさま」

 そうか、とひとつ頷くと、またもや当然のような顔でフェリクスは目の前の茶菓子を毒見し始める。主人の仕事ではない。だが、もはや誰も止めない。この家は、随分とおかしな事になっている、とクリスティーナは思う。だが、居心地の悪さはなかった。

 小さくて甘い、砂糖やクリームのたっぷり施された可愛らしい菓子を、フェリクスが難しい顔で見据える。繊細な意匠など気にせず、乱暴に口に放り込む。なんて勿体無い食べ方なんだろう、とクリスティーナはおかしくなってしまった。

 ふ、とフェリクスが目元を緩める。

「笑っているな、今日は気分が良さそうだ」

「まぁ、私ったら……」

 含み笑いを見られてしまった、とクリスティーナは身を縮めた。しかし、クリームの上に可愛らしい苺が飾り付けられた小さな甘い菓子を、そっと唇に当てられる。ハッとして視線を上げると、間近にフェリクスがいた。

「美味かった。食べるといい。妙な味はしていない」

「……は、い……」

 手ずから差し出されたのに対して口を開くのは、フォーク越しよりもずっと緊張した。

 お行儀が悪いわ、と内心思っているのに。どうぞお皿に置いてくださいまし、といえばいいだけなのに。でもクリスティーナはそうしなかった。

 思い切って菓子を齧る。その時唇が指先に触れてしまった、と思うと急に顔が熱くなった。

「しまった、口元が汚れたな」

「!」

 少し焦ったフェリクス。即座に伸びてきた指が、クリスティーナの口端を拭っていく。そうしてフェリクスは、躊躇いなく指についたものを舐めた。

「うん、うまい」

「……!…………!」

 クリスティーナは真っ赤になった。自分はすでに彼の妻であり、歴とした公爵夫人であると言うのに、これではまるで、まだ何も知らぬ小娘のようではないか。だと言うのに、クリスティーナは血がのぼせるのを止められず、わなわなと唇を震わせた。

 クリスティーナの後ろで、呼応するように侍女の手にしたティーポットの蓋がカタカタと鳴るのが聞こえた。

「……あっ、すまない。今のは流石に礼を欠いてしまった、よう、だ……」

 慌てたフェリクスの声が、クリスティーナの顔を見た途端に少しずつ萎んで行く。

「い、いえ……」

 クリスティーナも、蚊の鳴くような声でしか返事ができない。

「……」

「……」

 どうすれば良いかわからなくなって、二人して無言で、互いに視線を逸らした。

 


「旦那様は、本当に奥様を大切に思っておいでなのですね」

 髪を漉く侍女の声は、ほんのりと弾んでいた。

「あんなに甘いお顔で微笑む旦那様、初めて見てしまいました!」

「ふふ、あなたはそういうお話が好きなのだったわね……」

「あ、その、はい、お恥ずかしながら……」

 彼女が余暇に楽しんでいる、甘やかで優しい恋愛小説の類を思い浮かべて、クリスティーナは微笑んだ。

「……でも、私たちはそうじゃないのよ、きっと」

 クリスティーナはそっと視線を下げた。

「だって私たちの関係は、あくまで義務的なものでしかないんだもの」

 言いながら、クリスティーナは自分の声が沈んで行くのを感じた。夢物語のようであればいいのに、と思う気持ちが隠せない。自分自身に対しても。

「……はい、奥様がそうおっしゃるなら……」

 侍女は少し寂しそうな声を出した。


 この幸せな日々が続くといい、という気持ちが、クリスティーナの中に生まれてしまった。

 だが同時に、内なる自分が囁く。この方にふさわしい妻を立て直すべきだ、と。フェリクスのためにも、いつまでも汚名を被った家の娘を置いておくのは良くない。貴族としてのクリスティーナはそう考えた。

 

 どうにか気持ちを断ち切ろうと、クリスティーナはフェリクスに対してよそよそしく振る舞おうとした。手を取ろうとする度に、食事の度に。そうして何度も失敗し、ますますクリスティーナは胸が苦しくなるのだ。

 その日、階段で出くわした時も、パッとやる気に満ちた顔に変わるフェリクスを見て、クリスティーナは一瞬心が揺れた。けれども今度こそ、と思い直して毅然と顔を上げた。

「……フェリクスさま、どうぞお構いなく」

「何?」

 ムッとした顔になったフェリクスだったが、すぐに諭すような口調で返した。

「だが、貴女には必要だろう?」

 不要です、と言えればよかった。なのに、真剣そのもののフェリクスの顔を見てると、その言葉は喉に引っ掛かって出てこない。

「……お手を煩わせたくありませんので」

 クリスティーナはできるだけそっけなく言った。

「遠慮しなくていい」

 さらに断られて、フェリクスは驚いたような、どこか拗ねたような顔になった。

「……前のように、いきなり抱え上げたりはしない」

 う、とクリスティーナは口ごもる。だがここで流されてはいけない。

「侍女がおりますわ」

「……私の方が背が高い」

「ええと……」

「それに私の方が力がある」

「はぁ……」

「何かあったときに充分に支えになれるが?」

「その……」

 奥様、と侍女が必死な顔で囁いた。

「あの、私、お邪魔なようですので、奥様、どうか……」

 チラチラとフェリクスを見ながら、侍女は半歩ほど後退した。小さく震えながら引き下がろうとする彼女を引き止める術は、今のクリスティーナにはない。

 仕方なく、渋々、といった風をあえて出しながら、クリスティーナはフェリクスの腕をとった。そのときの、フェリクスの満足そうな顔ときたら。

「……!」

 クリスティーナは、これ以上フェリクスの顔を見ないように、必死で己のつま先だけを見つめながら階段を降りた。

 


「ダメだわ……」

 どうしたって、フェリクスの善意を無碍にすることは、クリスティーナにはできそうもなかった。そうしてそばにいればいるほど、些細なことで意識してしまう。離れがたいと感じてしまう。理性的な自分が、かき消されてしまう。

 ――これ以上、この人を好きになってはいけない。

 悩み抜いた果てに、クリスティーナは、フェリクスに離縁の申し出をする事に決めた。

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