第13話 紫煙に想う【Side : Shiori】
朝の空気はひんやりとしていた。
私はタバコに火をつける。久々すぎて、どこかぎこちない。ただ、その懐かしい動作に安心感を覚えた。それこそ、まさしく私が求めていたものだ。
「あー、やっぱり、やっちゃったかな」
誰にも聞こえないように小声で、空に向かって呟いた。まだ薄暗さが残っている空は、それでも青かった。
思い出すのは昨夜のこと。勢いで許諾してしまった後悔が襲ってくる。私は早まったことをして、そして、そのせいで息子を危険な目にあわせるんじゃないか。
だから、あまり眠れていない。ぼんやりとした思考で思い出す。
昨夜は急な胸騒ぎがして、仕事を途中で切り上げて帰ってきた。それについては後悔はない。なにせ、そもそもが余分にしていた仕事だ。
雄大のことがあって休んでいた期間に、ずいぶんサポートしてもらった。だから、時間のある限り、他の人の仕事を引き受けていたのだ。それだから、残したとしても感謝こそされても非難されることは無い。多少、心は痛むけど、雄大のことの方が優先だ。
その雄大だ。
遅くなる旨を連絡した後、予定よりも延びそうになった。雄大は何も言わないと律儀に待っている子だから、気になって電話をかけるも不通。どくん、と胸が強く高鳴った。
だから、隣の家に連絡をとって様子を見に行ってもらいつつ、私は急いで帰ってきたんだ。そこで待っていたのが……。
「どうか、こいつに部屋を貸してあげてほしい」
背中を向けて他の二人と話をしていたのに、私と目を合わせた瞬間に私に向かって土下座をする愛息と、呆れ顔で隣に立つ隣の家の澪ちゃん。そして、雄大の隣に正座をして背筋を伸ばす白い髪の女の子。雄大の言うこいつとは、その子のことだった。
状況がよく飲み込めない私は、その女の子を見た。西洋人形のようだ、という比喩表現があるけれども、まさしくそれ。完成された容姿、動かない表情は人形を思い出させた。
消え入りそうな白に、はっきりとした意志を感じさせる強い朱の眼差し。ただ者では無い、ということはよく分かった。
「ちょっと俺の不注意で危ない目にあったところを助けてくれたんだ」
その告白に、ぞわっと悪寒が走った。つい最近、雄大は襲われたばかりだ。その犯人も捕まっていないというのに。やはり、一人にするのは早すぎたか。
再び、隣の少女を見る。こくこく、と頷いていた。その子どもっぽい仕草に不気味さが薄まり、滑稽さが増してきた。
「それで、聞くと日本に身寄りがないらしくてさ。俺、このまま放り出したくなくて」
雄大がそこまで話すと、澪ちゃんがあからさまにため息をついた。
「すみません、おばさん。あたし、戻ります」
もう時間が遅い。そうしたら、というと澪ちゃんは私の隣を通ろうとする。近づいた彼女にお礼を言うと、ぺこりと頭を下げた。
「ユーダイくんって、ああいうのほっとけないんですよね」
そう耳元で呟いてから、彼女は去って行った。
澪ちゃんに同意だ。基本、他人を優先するのに、一度言い出したら聞かないところ。そして、その融通が利かないのは慈悲深さが原因。あの人にそっくりだ。
それで、身を滅ぼされたら困るんだけど。
「頼む、母さん」
……雄大が、私に頼んでくるなんて、いつ以来だろうか。
それこそ、まだあの人が生きていたとき。料理が得意だったあの人がキッチンに立っていたときに、自分もそれをやりたいと泣きついていて。まだ小さいからダメだとたしなめられて、雄大は私を見た。そして、近寄ってきて泣きついてきたんだ。「あれを僕もやりたい」、と。
そのあと、子ども用の包丁とか探して買い集めたんだったな。懐かしい。
「……分かりました」
雄大の久々に見せる熱意に負けて、私は首を縦に振った。そのときの嬉しそうな雄大の顔ははっきりと覚えている。
あんなに喜んだこと、私がしてあげたことで今まで無かった気がする。少し、寂しい。
その後、何かを小声で話す雄大とリィナちゃん。
私に聞こえないようにしているのは分かった。嘘が得意な雄大だけど、何か隠している様子なのも分かった。うさんくさい話。それでも、私が了解した、もう一つの理由。
やっぱり、あの子の雰囲気、似てるのよね。
リィナちゃんのまとう張り詰めた空気。存在感。それと似ているものを私は知っている。
「あ、あれ?」
そして、リィナちゃんはもう深夜に近い外へと飛び出していってしまった。雄大の話から、泊まるものだと思っていた私は雄大を問い詰める。
「えっと、夜は仕事に行くって」
「……それって、危ないものじゃないでしょうね?」
しどろもどろになる雄大に、私はさっそく自分の許可を後悔することになったのだった。
タバコの煙が空に混じっていく。
「さて、どうしようかな」
色々と考えをめぐらすも、はっきりとした答えは出てこない。仕方ない、私はタバコの火を消してベランダから中に入る。
「あれ、母さん」
そこで起きてきた雄大と鉢合わせした。彼は、くんくんと鼻を動かして尋ねる。
「母さん、タバコ吸ってた?」
雄大は臭いに敏感だ。料理が趣味、なのもあって。
「そう、ちょっとね」
私の返答に、雄大は眉根を寄せる。それもそのはず、雄大にタバコを吸うところを見せたことは無いはずだ。
最後に吸ったのは、あの人の葬式が一段落して、雄大を母に預けて、一人になったときだ。
「別に良いんだけど」
雄大は少し口をとがらせる。良い、と言いながら納得できてない表情だ。
「体には気をつけてよ」
――詩織の好きなようにすればいいけど、体には気をつけろよ。
その言葉で、あの人がよく言っていたことを思い出した。本当に似てきた、本当に。
キッチンに立つ雄大の背中と、あの人の背中を重ねながら思い出す。それは、病床の彼が私にだけ言った言葉。
自分の選択を悔やんでいた私に向かって、彼は言った。
――俺は、俺が選んだことに悔いは無い。詩織が連れ出してくれたから、色々なものも見れたし、雄大にも出会えた。雄大には、悔いを残さないように生きてほしい。もちろん、おまえもな。
「そうね、響くん」
想像のあの人が背中を押してくれた。私は、私が悔いを残さないように動こう。
私は、鞄からパソコンを取り出して開く。会社にメールを打つ。本日はリモートワークでもいいでしょうか、と。
もう一つ、覚悟を決めなければいけないことがある。
「どう考えても、あの子はお義母さん絡みの案件なのよね」
リィナちゃんがまとっていた空気。所作が洗練されていて、冷たく張り詰めたそれを生み出していた。
それは義実家で感じたものと、本当によく似ている。だから、連絡をすべきだろう。結婚後、あの人の葬式ですら、お義母さんとはまともに話していないんだけど。
「……ちょっとだけ、先延ばしにするか」
それでもタスクに入れた。自分がやるべきことの。あと、必要なのは覚悟だけ。それでも、必ずすると決めた。
なんせ、雄大が決めたことだ。私がそれを邪魔してはいけない。彼には悔いを残さずに生きて欲しいから。




