第12話 拝啓、橋の下から
「やだ、やだぁ!」
「おとなしくしてください」
リィナが少年に覆い被さって懐を探っている。
見た目は最悪だ。リィナが小柄だから、まだ子ども同士のじゃれ合いに見える。でも、俺の頭に浮かんでいるのは強盗の類いのイメージ映像だ。非常に物騒である。
じたばたと、もがいていた少年の足の動きが徐々に弱まっていき、そして、パタンと地面に力なく落ちた。
「うわっ」
最悪を想像して血の気が引く。
立ち上がったリィナは振り返って俺を見る。満足げな顔に、ちょっと後ずさりしてしまった。そんな俺の態度を見てか、リィナはちらりと倒れたまま動かない少年を見た後に、手にしたカードを俺に見せつける。
「土の精霊符との契約を強制解除しました。その衝撃で気を失っただけです。ご心配なされず」
リィナの手で褐色に輝く土の精霊符。その光が、ゆらゆらと闇夜に揺れている。なんか、訴えかけてるな、これ。そういうのがわかるようになってきた。
えっと、これは……無念か。なぜか、その輝きを見ていると、部活動の大会で負けてしまって悔しがっている友人の顔を思い出した。
リィナはきょろきょろと周囲を見回している。
「人除けの効果が切れかけていますね」
ああ、あの綺麗な紙か。時間制限みたいなものがあるんだろうな。
「私がここに来るまでに、すでに警察が動いていました。ここにたどり着くのも時間の問題でしょう」
警察、かぁ。ただでさえ、俺が巻き込まれた事件のときに色々と疑われてるんだよな。あのときは本当に何も分からなかったんだけど、こう犯人をかばっている風に見えたみたい。
いや、だって、忘れてるんだから仕方ないだろ。今だって思い出せない。
「彼らがたどり着くまでに、この場を離れた方がいいでしょう」
リィナの提案に、俺は素直に頷けなかった。
だって、さぁ。
倒れたままの少年を見やる。あのまま放置するのは、さすがに心苦しい。
「はぁ」
そんな俺を見て、リィナはあからさまにため息をつく。
いや、君さぁ、その無表情で息だけ吐くの止めてくれない? すごいバカにされている気分になる。リィナにその意志がないとしてもさ。
「貴方に何ができると? 襲われて、逃げるのも叶わなかった貴方が何をすると?」
それを言われると答えようがないんですが。何もできない、できなかったのは事実だし。あと、思っていたよりも辛辣な返事だな。もしかして、怒ってます?
「まぁ、それでも他者を思いやろうとする心根には好感を覚えますが」
少しだけリィナの雰囲気が柔らかくなったが、すぐに冷たいものに戻った。
「彼は未熟者。契約から日が浅い。目覚めたときには適合者だった時の記憶はほとんどないでしょう」
なるほど。確かにそれは一緒にいると説明がしづらい。
「先ほど申し上げたとおり、すぐに警察が到着します。彼は、専門家に任せた方が得策です」
リィナの説明は理にかなっていた。後ろ髪はひかれるが、ここを離れるべきだろう。そうなると、家に帰るべきか。
俺が歩き出すと、リィナはその背後をついてきた。
「ユータ様、お話ししたいことがあります」
初めて会ったときと、同じ台詞をリィナは口にする。しかし、受ける感じは違っていた。あのときは涼やかで、今は……刺々しい?
「少々、お時間よろしいですか?」
あ、分かった。やっぱり、リィナは怒ってる。俺は振り返る勇気もなく、家路を急ぐ。遠くから、微かにサイレンの音が聞こえてきた。
玄関を開ける。まだ母さんは帰っていない。今日はもしかしたら会社で泊まりなのかもしれない。
無表情の威圧を受けながら、俺はリィナを招き入れる。彼女は無言で俺よりも先に中に入っていく。ここ、俺の家なんですが。
リィナは迷うことなく和室に向かう。静かについていった俺の背中は、さぞ小さくなっていることだろう。
畳に流れるような所作で正座するリィナ。ぽんぽん、と彼女は自分の前を叩く。座れ、ということだろう。俺は素直に座る。普段はしない、正座までしてしまう。
「さて」
「はい」
俺は何とかリィナの顔を見る。その瞳の朱が、まるで燃えているかのように揺らいでいた。
「私は言いましたよね? 夜間に一人で出歩くな、と」
「はい」
「それではお聞きしましょう。なにゆえ、貴方はあのような軽率な行動をとったのですか?」
その後、俺はリィナの説教を浴びた。何を答えても言い訳になり、彼女は理詰めで俺を責め立てる。淡々と、逃げ場なく追い詰められる。少年に襲われたときよりも、恐いかもしれない。
そして、俺は理解した。リィナは確かに無表情だが、無感情じゃ無い。こんな激しい怒りを俺に見せるくらいには感情豊かだ。ただ、表情筋が死んでいるだけ。今も、こんなに怒っているのにお面のように表情は動かない。
よし、それを面白がることで精神を保とう。俺はそらし気味だった視線をリィナにまっすぐ向けた。
「なにか?」
「いえ、なにも」
いや、やっぱり恐いな。無表情の怒りって。
その後、俺はリィナの気の済むまで説教を受けることになった。さすがに満足したのか、気づけばあれだけ強かったリィナの威圧が消えていた。
ああ、でも説教されて分かった。リィナは本当に俺を気遣ってくれて忠告してくれたんだ。迷惑かけちゃったな。
「リィナって、今はどこに住んでるの?」
あまり見た目で判断してはいけないが、おそらく外国人であろう彼女の住居を俺は聞き出そうとした。菓子折りの一つでも持っていこう、そう思ったからだ。
しかし、リィナの反応は俺が思っていたのとは違っていた。
「住む?」
リィナは小さく首を傾げた。言葉の意味が分からない、そんな様子で。
「いや、どこに帰るのかなって」
「帰る?」
言葉を換えたが繰り返しだ。まるで同じ映像を再生したかのように、ずれのない角度でリィナは首を傾げた。
うーん、どう聞けばいいか。俺が悩んでいる間に、リィナは俺の言葉の意味をくみ取ったようで、目を少しだけ大きくして答えた。
「魔術の行使を感知するまで、周囲を警戒するつもりです」
ああ、そうか。リィナの仕事は夜が本番だったか。魔術師、適合者は人目を避けるんだもんな。白昼堂々動き回る連中は少ないんだろう。
それなら、こう聞くか。
「どこで寝てるの?」
これなら、住み処を聞くことができるだろう。そう思ったんだけど、これも俺の目論見通りとはいかなかった。
なぜなら。
「昨日はあちらの橋の下で」
彼女は住所不定だったのだから。無職では、ないんだろうが。
「……はい?」
俺の理解が追いつかなかった。それはつまり、ホームがレスということか。え、女の子が? たった一人で?
「なにかおかしなことでも? 私は常に適合者を追って動いているので、特定の住居など足かせにしかならないと思いますが」
いや、それでもホテルに泊まろうとか、あるだろ。もしかして、日本の金がなかったりすのか。
リィナは強いだろうけど、それは俺も実際に見たから知っているけれども。それとあれとでは話が別というか。そんなことは俺が許さないというか。
「それでは。お気をつけて」
俺の困惑に気づかず、リィナは立ち上がろうとする。俺は反射的に手を伸ばす。しびれた足がじゃまをしてきたけど、何とかその細腕をつかんだ。
ああ、やっぱり細いよな。触れて、初めて実感できた。だからこそ、このままいかせるわけにはいかない。
「なんですか?」
リィナは俺を見下ろす。俺の急な行動に、ほんのちょっとだけ戸惑いの色が目に宿る。
「ここに住め」
「……はい?」
今度はリィナが困惑する番だった。
「いいから、ここに住め。母さんは俺が説得する。部屋も余ってるし、何だったら合い鍵用意する。勝手に出入りして構わない。何だったら食事くらいは用意する。この和室が気に入ったなら、ここにしろ。俺達は使わないから」
俺はぐるぐるしていた考えを、一気にまくしたてた。
リィナは恩人だ。そんな彼女が、健康で文化的な最低限度の生活も保障されていない現状に我慢がならなかった。
俺の勢いに気圧されているのか、リィナは黙って俺を見ていた。こんなことしたことない。俺でも驚くくらいなんだから、言われてる方の驚きはもっとだろう。
「いいか。頷くまで出さないからな」
そこで、リィナの視線が俺から外れ、前に向いた。そちらは部屋の扉の方。なんだろう、俺は振り返って、そして固まった。
「ふ~ん」
そこに立っていたのは、神谷だ。帰ってきたのが遅かったのか、まだ制服姿だった。
腕を組んで、頭を回しながら唸っている。
「いやね、あたしも勝手に家に入るのはマズイかなと思ったわけ。でも、おばさんから様子見てきて欲しいなんてSOSをもらってるしね」
そういえば、携帯電話を見ていなかった。もしかしたら、母さんから連絡があったのかもしれない。
色々とありすぎて、そんな考えが吹っ飛んでしまっていた。
「チャイムを鳴らそうとしたら、玄関少し開いてるし、中から話し声がするしで、ここに来たってわけ。そしたら、こんな状況でさ。あたしはどうすべきだろうね?」
神谷は丁寧な状況説明をしている。
こんな状況とは。俺はリィナの腕をつかみ、そして直近の台詞が「逃がさない(意訳)」ときた。
それに気づいて、俺の思考は一気に冷えた。ああ、これはまずい。
神谷は携帯電話を取りだして、こちらを一瞥する。
「とりあえず、通報しとく?」
「すみません、それは勘弁してください」
俺は、すべりこむように神谷の足下へ土下座を決めた。その後、何とか神谷に納得してもらった俺は思った。
考え無しの行動は控えよう、うん。俺の身を滅ぼす。




