第11話 躍動する白き影
「ふぅ」
リィナは服についたコンクリートの粉を払っていた。その顔は、元の無表情に戻っている。あの安堵の表情は気のせいだったろうか。
と、いうか、どっから来たんだ。俺は上を見上げた。リィナは俺の記憶が確かなら、空から降ってきた。特に高い建物は無い。
「屋根を伝って、走ってきました」
おい、心の声に返事をするな。いや、今のは俺の態度から察したのか。とにかく、それだとしても別に屋根が連続してるわけじゃないから、どっちにせよ、どう走ってきたのかは想像できない。
パルクールの心得でもあるんだろうか、リィナは。
「さて、未熟者の相手をいたしましょう」
ビギナーって、いったな。明らかに下に見た発言だ。少年にも聞こえていたのか、少し不服そうに頬を膨らませている。
「えー、お姉ちゃん。適合者じゃ無いんでしょ。そんな匂い、しないもん」
そうなのか。リィナは精霊符持ってたけど、契約してるわけじゃ無いのか。あと、匂いっていったな、あいつ。俺に近寄ってきたのも、そのせいか。
「ええ、私は生粋の魔術師ですから」
そう言うと、リィナは流れるような所作で紙を取り出す。何も書かれていない、ペラペラの白紙だ。不思議な光沢が夜の微かな明かりを反射している。
リィナは目を閉じ、その紙を額につける。瞬間、縁が輝きだし、幾何学的な文様が紙の表面に浮かび上がってきた。
目を開けたリィナが、それを手のひらの上にのせる。
「ふぅ」
小さく息を吹きかけると、その紙は粉のように小さく砕けて、周囲に散った。きらきらと、粒子になって舞う姿に俺は思わず見とれてしまう。
「なに、それ?」
少年は首を傾げる。
「人払いの術式を展開しました。これで、しばらくは誰も近寄ってこないでしょう。並の適合者は、接敵前に行うものですよ」
そういや、リィナ言ってたな。人目を避けるって。それ、リィナ自身にも言えることだったんだ。
リィナは一歩踏み出し、少年に涼やかな視線をおくる。
「だから、貴方を未熟者だと言ったのです」
静かな怒りが、リィナの声から感じられた。
その言葉に最初は面白くない表情をした少年だったが、すぐにあまり気持ちのよくない満面の笑みを見せた。
「じゃあ、思いっきり遊べるじゃん。楽しそう!」
……ん、今までのって手加減してたのか、こいつ。とんでもないな。
ただ、そんな少年に表情を変えぬまま、リィナは告げた。
「楽しく遊べるかどうかは、貴方次第です」
その言葉が終わるか、終わらないか。
リィナの背後で倒れていたはずの、腕を片方なくしたコンクリートの土人形。その灰色の巨影が、リィナをもう片方の腕で叩き潰そうとしていた。
「リィナ!」
なんで、あんな体であんなに素早いんだ。俺が声をかけた時には、すでに拳が振り下ろされていた。俺は、そんな光景をなすすべなく見守るしかなく。
「『我が双臂は鋼の如く』」
そんな俺の耳に、彼女の鈴のような声が届いた。
ずしん、と重い音。振り下ろされた土人形の拳を、リィナはその細い片腕で受け止めてしまった。まるで、自分よりも固い物質にぶつかったかのように土人形は再びバランスを崩してしまう。
「んっ」
それをリィナは見逃さない。振り返った瞬間に、倒れる土人形に飛びかかり、その腕をつかむ。そして、着地をした瞬間に地面へとそれをたたきつけてしまった。
一回だけで足りなかったのか、腕をつかんでリィナは土人形を振り回す。アスファルトが悲鳴をあげている。声を出せない土人形の、断末魔か。
軽々と宙に浮かされた土人形は、リィナの手によって、なすすべなく投げ飛ばされた。
なんて、豪快な。俺がぽかんと口を開けたまま見ている前で土人形はただのコンクリートの塊になってしまった。
「ひっ」
その光景に、少年の喉から音が漏れる。初めて見る表情だ。あれは、たぶん恐怖。
本能で悟ったんだろう。目の前の相手が、リィナが、遊び相手としてはふさわしくないと。
わかる。今のリィナの目、朱く輝くそれは狩人に似ている。さしずめ、追い詰められた獲物の心境になっていることだろう。
リィナはそんな目で、真っ直ぐに前を見つめる。少しだけ、彼女の周囲が歪んだ気がした。
「『我が体躯は風の如く』」
おっ。
リィナの体に流れる線のようなものが一瞬見えた。あれは魔力の流れか。ふわっ、彼女の足下の粉が舞う。彼女を中心として、風が生まれている。
リィナは地面を蹴った。彼女の姿がブレた、と思ったら消えてしまった。
「えっ」
消えたのではなく、移動した。そのときは、それがわからなかった。わかったのは、この刹那で少年との距離をつめたことだ。
「こないで! 『閉じて、僕の宝箱』!!」
叫びながら、少年は地面へと手を触れる。再び、地震のような揺れ。
「おや?」
状況判断のために立ち止まったリィナの周囲の地面が隆起する。瞬く間に、それは彼女を覆い、コンクリートのドームを作ってしまった。
閉じ込められた彼女を見て、少年の顔に再び笑みが戻る。勝ち誇って、拍手までしていた。その横で、何もせずに立ち尽くしている土人形がいるってのは、なんか変な光景だ。
「あ、あはは。やった、捕まえた!」
……どうしてだろう、心配は心配なんだけど、冷めた気分になってるな。もちろん、傍目には少年の勝ちに見えるんだけど、あのリィナがこれで止まるわけない気がしている。妙な信頼感が、すでに生まれていた。
「『我が双脚は鋼の如く』」
結論から言えば、俺の予想は当たっていた。
リィナの声が聞こえたかと思ったら、ズドン、と自動車事故のような強烈な音が周囲に響く。こちらからは見えない。ただ、吹っ飛んでいったアスファルトの塊と、少年の顔が引きつったからわかる。
あいつ、壁を蹴り飛ばして穴を開けたな。
白い影がドームから現れる。その所作は、優雅だ。一切の無駄がなく、美しいとまで言えるような歩みで。まるで、何事もなかったかのように少年の前にリィナは立っていた。
「う、うわぁぁぁん! やだ、こないでよぉ!!」
もう少年から、最初に対峙したときのような恐怖は感じない。ただのだだをこねている子どもだ。
その声に、保護者ポジションで立っていた土人形が動く。今度はリィナは捕まえようと、両腕を開く。やはり巨体の割に素早い。しかし、リィナの速度には及ばない。
冷静に、頭を下げるだけでそれを避けると、彼女はまるで赤子の手でも握るかのように、その腕に触れた。
「『汝が体躯は綿の如く』」
その詠唱が耳に届くと共に、信じられない現象が起こる。もう、驚きすぎて驚くことは無いと思っていたけど、これにはまいった。
リィナの目の前で、土人形はふわりと浮かび出す。まるでヘリウムガスを注入されたかのように、空へと昇っていこうとする土人形をリィナはつかまえた。
遊園地で配っている風船みたいだな、と俺は思った。かなり奇抜なデザインだけど。
それを引き連れ、リィナは少年に歩み寄る。土人形の巨体のせいで見えないけど、彼はきっと泣いていることだろう。俺だって怖い。
戦意を完全に喪失し、腰を抜かしている少年が座っている。たぶん、そんな彼の前でリィナは立ち止まった。
そして、小首を傾げて問いかける。
「どうですか、楽しめましたか?」
事務的な問い。それが聞こえた俺は苦笑いを浮かべる。
いや、すげぇな。俺にはそんな感想しか生まれなかった。圧倒的すぎて、これが試合だったら観客は楽しめない。すごいものを見た、という感想は生まれるけれども。
これが、リィナという魔術師の力を俺が初めて知った夜の日の出来事だった。




