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第1章-夜のはじまり-「月と咆哮」

 深夜の学校に忍び込み、戒十は身を潜めながら屋上に向かった。

 屋上への扉を開けて瞬間、室内に吹き込む夜風。

 月明かりと星々が見下ろす4階建ての屋上で、戒十を待っていたのはひとりの少女だった。

 ミニスカートを風に揺らしながらフェンスから夜景を眺めている。

 戒十は少女の横から夜の街を見下ろし、独り言のように話しかけた。

「今夜は風が気持ちいいね」

 様子を伺って戒十が振り向くと、少女も合わせて振り向いた。

「アタシは夜のほうが好き。昼間は苦手」

「日の下もいいものだよ」

「カイトはまだまだ人間なのね」

 リサに言われて戒十は静かに笑った。

 重症を負ったシンは一命を取り留めたが、傷口の完治よりも精神的なショックで、まだ病院を退院していない。

 その数日間、戒十は毎晩この場所でリサと会っていた。

 フェンスから離れたリサは準備運動をはじめた。

「逃げないで来たのは褒めてあげる。けど、そろそろギブアップしたらー?」

 意地悪く言うリサを戒十は睨み付けた。

「せっかく手に入れた能力を使えないんじゃ意味がない」

「時間を掛ければ慣れてくるよ?」

「僕に力があればって睨みつけたのはリサだ」

「あのときはそんなつもりなかったしー」

 シンに重症を負わせ逃げた『成れの果て』。傷付いたシンを置いて行くことができず、『成れの果て』を負うことを断念した。あのとき、戒十に『成れの果て』を追える力があったならば――。

 数日間で聴力のボリュームを自由に操作できるようになった。だが、必要な音だけを絞って聴く能力は開発できていない。

 瞬発力に関しても、突然の変化に脳と身体が噛み合わず、思い通りに力が発揮できずにいた。

 ひと言で説明するならば――特訓。

 戒十はリサの指導の下に特訓をしていたのだ。

 その特訓は聴力のチャンネルを自在に操る方法と、格闘に関する特訓だった。

 リサは手を解しながら指を鳴らした。

「さーて、今日もはじめるぅ?」

「今日は絶対に捕まえてやる」

「肩の力を抜いて緊張ほぐさないと筋肉が固まるよ」

 無言で戒十はリサに飛び掛った。

 リサの身体は薄絹が風に揺れるように、静かに戒十の突進を躱[カワ]した。

「まだまだ遅〜い。そんなんじゃ、一生アタシに触れることすらできないよー」

「まだはじまったばかりだろ」

 リサが戒十に課した内容は、リサを捕まえること。ただそれだけだった。

 しかし、そのただそれだけができないのだ。

 捕まえることはおろか、触れることすら叶わない。

 戒十を挑発するように紙一重でわざとリサは躱わすのだ。

 リサの腕を掴もうとした戒十の手が宙を掴み、そのまま戒十はバランスを崩して前のめりになってしまった。

「――っ!」

 コンクリに両手を付こうとしていた一瞬、戒十の頬にリサはキスをした。

 動揺した戒十はコンクリに付いた手のバランスを崩し、肩から崩れるように倒れてしまった。

 それを見てリサは悪戯に笑う。

「にゃは。可愛いね、動揺しちゃって」

「うるさい!」

 戒十は倒れた目の前にあるリサの足を掴もうとした。だが、軽くジャンプされて躱わされてしまう。

 歯を食いしばりながら戒十は急いで立ち上がる。

 立ち上がったときにはリサの姿が見当たらなかった。

 左右を見回し、後ろも振り返ったがいない。

 そんなはずはない。

 こんな場所で見失うはずもないし、今の戒十ならば音を聴けるはずだ。

 気配が急に背後でした。

「仲間内じゃ気配を消すの一番うまいのよねー」

 驚いて振り返った戒十。

 リサの顔は戒十の鼻先まで迫っていた。

 少し端のつり上がったリサの唇が戒十に迫る。

「ちゅーはお預け」

 次の瞬間、戒十はリサに巴投げをされて宙に飛んでいた。

 夜空に向かって落ちていた戒十は、いつしか地面に向かって落ちていた。

 戒十は屋上のフェンスを越え、屋上の外へ投げ飛ばされていたのだ。

 4階建ての建物から地面に向かって落ちるのはあっという間だった。

 リサはフェンスに身を乗り出して戒十が地面に着地したのを確認した。頭から落ちたり、着地に失敗したりしなければ無事な高さだ。

 戒十は気づいていなかったが、この屋上に3人目がいることにリサは気づいていた。

「シンいるんでしょ?」

 名を呼ばれ、物陰から長身の闇が姿を見せた。

「戒十はまったく俺に気づいていなかったようだな」

「才能ゼロなんじゃないのぉ」

「それはまだわからないと思うが?」

「カイトを噛んだのはお姫様だしねー」

「本人の資質はゼロでも、クイーンの資質を少なくとも受け継いでいる。彼が『成れの果て』にならぬことを願いたい」

 姫とはいったいどのような存在なのだろうか?

 リサはシンの腰に目をやり、脇差を確認した。

「その刀どうしたのぉ?」

「なにもないよりはマシだ」

 脇差とは小刀ことである。通常の刀より短いために、必然的に初太刀の間合いも狭くなる。

「ってことは新しい刀は見つかってないの?」

「超硬合金の刀が時期に届く」

「超硬合金ってよくわかんないけど、なんか凄そう」

「だが、アヤカを見つける前には届きそうもない。そこで脇差で俺と手合わせ願いたい」

「いいよん」

 鞘を持って柄に手をかけるシンに、リサは手ぶらで応じた。傍から見ればリサが不利だが、シンはリサの実力を承知の上だ。

 シンの踏み足に力が込められる。

「――いざッ!」

 鞘から初太刀が抜かれた。

 屋上に戻ってきた戒十は二つの影が折り重なるように動いているのを見た。

 シンの一刀をことごとく躱わすリサ。

 客観的にリサの動きを見ることによって、戒十はリサへの対策を練ろうとしたが、自分ではリサに敵わないことを痛感させられるに至った。

 第1にシンを相手にするリサの動きはカイトを相手にしていたときの比ではない。明らかにカイト相手のときは、手を抜いていたのだ。

 第2にリサはシンの動きを誘導している。敵の攻撃を紙一重で躱わすことにより、途中で攻撃の手段を変えさせず、尚且つ隙を作ったように見せてそこに攻撃をさせる。

 遊びのない常に最速最善の攻撃を繰り出すシンの攻撃は、リサにとって最も操りやすいものなのだろう。

 それは戒十にも当てはまる。必死でリサを捕まえようとするあまり、目の前に右手を出させればそれを掴もうとし、左手を出されればそれを掴もうとしていた。

 常に脇差だけで攻撃していたシンが、その脇差をリサに向かって投げつけパンチを繰り出した。

 パンチはリサの頬を軽く撫でた。

 そして二人は戦うことをやめて動きを止めた。シンが勝ったのだ。

 わざと脇差だけの攻撃を仕掛け、それに相手の眼と思考がなれたところへ、はじめて別の攻撃を繰り出す。

 脇差を広い鞘に収めたシンは戒十に顔を向けた。

「おまえがリサに勝てない理由がわかったか?」

 そう言われ、戒十はドキッとした。今行なっていたシンの戦いは、戒十に見せるためにわざとやっていたことだったのだ。

 戒十はシンの大きさを知った。


 夜空に月は浮かんでいなかった。

 色の濃い闇夜だった。

 特にそこが森の中となると、視界はゼロに等しい――人間ならば。

 木々の陰に潜む四つ足の影。

 それを各方向から取り囲む影たち。

 『成れの果て』は自分を囲む二つの気配に気づいた。そして、大きな気配よりも、小さな気配しかない方角に気を配る。

 しかし、距離が近いのは大きな気配だ。

 急に大きな気配の移動速度が上がり、明らかな殺意を感じた。

 『成れの果て』の前に姿を飛び出したのは戒十だった。

 前方を塞がれた『成れの果て』が後ろに逃げようにも、小さな気配が急に大きな気配となり、シンが姿を見せた。

 弱そうな戒十を強行突破もする方法もあったが、安全な策をとって『成れの果て』は広い道へと逃げた。

 だが、そこに第3の影が立ちはだかったのだ。

「気配消すの得意なんだよねー」

 意地悪く笑う少女。

 3人目のリサがいたのだ。

 気配の大きい戒十を囮にして、わざと小さな気配を出していたシンもフェイク、本命の狩人は完全に気配を消していたリサだったのだ。

 長く伸びた鋭い爪と爪が交される。

 セーラー服姿の少女と巨大な体躯[タイク]を持つ黒い毛並みの野獣。

 前に住宅街で見たときよりも、『成れの果て』はひと回りも、ふた回りも巨大化しており、スレンダーだったボディは筋肉質に盛り上がっていた。

 『成れの果て』の咆哮が静かな森に響き渡る。

 それに負けじとリサも咆えた。『成れの果て』よりも、大きく気高い咆哮だ。

 一触即発のリサと『成れの果て』の間に、脇差を抜いたシンが飛び入り、『成れの果て』の背後から刃を向けた。

 『成れの果て』の背中に付き立てられる磨かれた切っ先。その位置は心臓を少し外した位置を射抜いていた。

 なにがシンの切っ先を誤らせたのか?

 刺さった脇差は即死には至らず、『成れの果て』は背中を大きく振ってシンを振り飛ばす。その際に、シンが握ったままの脇差は抜かれ、それと同時に『成れの果て』の傷は見る見るうちに塞がった。

 通常のキャットピープルを遥かに凌ぐ治癒力だった。

 『成れの果て』は前脚を地面について、戒十に向かって飛び掛った。もっとも弱い場所を強行突破する気だ。

 戒十は護身用で渡されたボーイナイフを構えた。だが、グリップを握る手には汗が滲んでいた。

 牙を向けた『成れの果て』が眼前まで迫る。

寸前まで『成れの果て』から目を放さなかったが、ついに戒十は恐怖に打ち勝てず、地面に伏せてしまった。その上を飛び越えていく『成れの果て』。

 戒十に罵声を浴びせる者はいなかった。はじめから戒十は戦力だと思われていない。それよりも『成れの果て』を負うことが先決だ。

 疾風のごとく駆けたシンが脇差を抜く。

 刃は風を切り、『成れの果て』の腹を横に斬った。長刀ならば胴を一刀両断にできていただろう。

 飛び退いた『成れの果て』の後ろにはリサが待ち構えていた。

 その光景に戒十は唖然とさせられた。

 『成れの果て』の乳房からヒトの手が飛び出していた。その手に握られた紅く脈打つ臓器。リサによって背中から心臓を抉り取られたのだ。

 目の前でグシャリと潰された己の心臓を目の当たりにして、『成れの果て』は胸を突刺しているリサの腕を両手で掴み、咆えながらへし折ったのだった。

 痛烈な激痛にリサは表情を変えることなく、生き残った腕を『成れの果て』の後頭部から顔面に伸ばし、鋭い爪を『成れの果て』の両眼に突刺した。

 耳を塞ぎたくなる奇声が鼓膜を振るわせる。

 少女の仮面の被ったリサは冷酷に――。

「止めは今度こそシンが……」

 脇差を構えたシンが『成れの果て』の果ての前に立つ。

 静かな森がざわめいた。

 刃から血を拭い、脇差は鞘に収められた。

 落ちた首を拾い上げ、リサはその首と顔を合わせる。

「『成れの果て』はキャットピープルよりも五感、運動神経、治癒力が優れてるけど、凶暴性が表に出すぎて手に負えない。そんなのが世間一般に知られたら、キャットピープルはあることないこと言われて人間に皆殺しにされる。今はお偉いさんのキャットピープルが、人間に働きかけて隠蔽を繰り返してるけど」

 キャットピープルだけで大きな組織を動かすことはできない。人間の中にはキャットピープルに協力する者や、組織のトップがキャットピープルだと知らずに動いている者が多い。それはとても危険なことだ。

 いつ人間がキャットピープルの秘密を口外するとも限らない。

 現に今すぐにでもキャットピープルを撲滅させようとしている人間もいるのだ。

 未だに地面に伏せたままの戒十をシンが見下す。

「帰るぞ。リサ、後は任せる」

「オッケー」

 残酷なシーンは遠い昔のように、リサは笑顔で手を振った。

 立ち上がった戒十はシンに強引に連られ、この場を後にする。

 静かな森に骨を砕くような音が聴こえたが、戒十は振り変えることはなかった。シンの姿が消えたこともあって、逃げるように夜の森を後にした。

 森を出ると、そこは大きな道路だった。目の前には線路も通っているが、車の通りはない。車が通っているのは、この道路を縦断して線路の地下を潜る国道だ。

 車のライトがまばらに列を作っている。人間の文明が作った人工の光。

 空を見上げると、星は寂しそうに輝いている。

 月はない。

 ひとり静かに道路を歩き出す戒十。

 静かな夜。

 しかし、耳を澄ませば、風の音、木々のざわめき、エンジン音――そして、気高い咆哮が聴こえた。

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