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シャドービハインド  作者: 秋月キアラ
第五章 夜の終焉
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第七節 処刑人の右腕

 クイーンの影は、施設の中だけに留まらなかった。


 銀白色の巨体が中央再接続室に立ち上がった瞬間、床を走っていた影流の一部が、壁を越え、通路を越え、排水管、搬送路、配線溝、空調ダクトを通って外へ流れ出した。


 黒い水ではない。


 血でもない。


 だが、それは確かに流れていた。


 影そのものが液体のように形を変え、常盤再生医療財団の地下から地上へ、湾岸道路へ、港湾倉庫へ、そこから宵浜市全域へ広がろうとしている。


 管制室の通信が乱れた。


『駅前、影流増加!』


『中央病院、影離脱率上昇!』


『旧市街、落影回収班から応援要請!』


『処分派が遮断具を展開しています、止まりません!』


 純の声が、その混線の中で強く響く。


『遮断しないでください! 今切ったら、影が戻れなくなります!』


 彼女の声はまだ弱い。


 だが、弱いまま、必死に通る。


『単一光源へ切り替えて、足元に影を戻してください! 遠くへ伸びている影を切らないで、近くに作り直して!』


 戒十は歯を食いしばった。


 中央再接続室の床では、クイーンの影が外へ出ようとしている。


 夜の王は影を一か所へ集めた。


 クイーンはそれを今度は肉体から解放しようとしている。


 そのどちらにも、市民一人ひとりの意志はない。


 ただ、光と影の力だけが、都市を引き裂こうとしている。


 シンが前へ出た。


 影縫刀の切っ先を、床へ向ける。


 右腕の指が、わずかに震えていた。


 戒十は見た。


 痺れがあると言っていた腕。


 何度も影を縫い、暴走者を止め、処分するかどうかの最悪の判断を握り続けてきた腕。


 その影が、すでに薄く裂け始めている。


「シンさん」


「止める」


 シンは短く言った。


 それだけで、何をするつもりかリサは理解したらしい。


 顔色が変わる。


「縫界は駄目」


「他にない」


「今の影流、都市規模だよ。施設だけじゃない。縫ったら、全部返ってくる」


「施設外へ出る前に、一度留める」


 シンは刀を両手で持つ。


 右手の握りが、わずかに遅れる。


「三十秒あれば、管制室が光源を切り替えられる」


 純の声が通信から飛ぶ。


『三十秒では足りません。最低でも四十五秒』


「三十秒でやれ」


『無茶です』


「無茶を言っている」


 シンは即答した。


 純が息を呑む。


 リサが叫ぶ。


「シン!」


「俺が縫う」


 その声に、いつもの悪い癖があった。


 自分一人で引き受ける声。


 誰かが汚れればいいと決めた声。


 誰かが痛めばいいと決めた声。


 誰か、ではなく、自分。


 それで終わらせようとする声。


 戒十の足元の影が、先に反応した。


「まただ」


 戒十はうなずいた。


「うん」


 シンは影縫刀を床へ突き立てようとした。


 その直前、純の声が通信越しにぶつかった。


『全部背負わないでください』


 刃が止まった。


 ほんの一瞬。


 だが、その一瞬を全員が見た。


 シンの肩が、わずかに揺れた。


 純は続ける。


『それが必要だと決めたのがシンさんなら、名前を出してください。自分一人で決めたって、言ってください』


 シンは何も言わない。


 クイーンの影は、もう中央再接続室の出入口へ達している。


 銀白色の巨体が、楽しそうに見下ろしている。


「処刑人」


 クイーンが言った。


「あなたは影を縫うのね。肉体へ戻すために。肉体が壊れないように。秩序が保たれるように」


 シンはクイーンを見なかった。


 刀の柄を握る。


 だが、すぐに突き立てない。


 通信回線を開いた。


「灰田」


『聞いている』


 灰田の声が、すぐ返った。


 背後には怒号と走る足音が混じっている。彼も地上で影害対応の真っ只中にいるのだろう。


「市役所地下、旧設備室に残っている共生派とVIOLET DRAGONへつなげ」


『もうつながっている』


 シンは一度だけ息を吸った。


 それから、低く言った。


「三十秒、支えろ」


 リサの目が見開かれる。


 シンは続けた。


「俺一人では無理だ」


 その言葉が、中央再接続室に落ちた。


 短い。


 ただそれだけの言葉。


 だが、戒十は胸の奥が震えるのを感じた。


 シンが、自分から助けを求めた。


 灰田は一瞬だけ黙った。


 次の瞬間、怒鳴った。


『全班、聞いたな! 縫界補助へ回せ! 単一光源固定、影流逆流箇所へ遮影布展開! VIOLET DRAGONの回収班は、影を踏むな、押さえろ!』


 カウンターの男の声が混ざる。


『今さら白昼局の命令を聞けってか!』


 リサが通信へ叫ぶ。


「命令じゃない、お願い!」


『リサがお願いって言うなら仕方ねえな!』


 若いギタリストの声も聞こえた。


『旧市街、落影二体回収済み! 遮影袋、残り三!』


 スーツ姿の女性が冷静に言う。


『作戦同意範囲を記録しました。白昼局とVIOLET DRAGONの混成補助、三十秒限定。責任者名、灰田、辰巳、リサ、シン』


 灰田が怒鳴る。


『書類は後にしろ!』


『今だからです』


『くそ、頼もしいな!』


 純の声がそれらを整理する。


『駅前班、三秒後に光源切替。旧市街班、黒い看板の影を押さえてください。中央病院班、病棟廊下は照明を落としすぎないで。シンさん、十秒後ならいけます』


 シンが頷いた。


「十秒後に縫界を展開する」


 クイーンが笑う。


「支え合って、影を縛るの?」


 シンはようやくクイーンを見た。


「違う」


 右腕の影が、刀の影と重なる。


「帰る場所を作る」


 十秒。


 九秒。


 戒十は足元の影を見る。


「僕らは」


「支える」


 影の戒十が先に言った。


「シンの右腕を見る」


「右腕?」


「切れそう」


 戒十は息を呑む。


 影には見えているのだ。


 シンの右腕の影が、すでにクイーンの影流に引きずられ、細い糸のように裂け始めていることが。


 純の声が飛ぶ。


『三、二、一。今!』


 シンが影縫刀を床へ突き立てた。


「縫界」


 声は低かった。


 だが、その一言で中央再接続室の床が変わった。


 刀の影が、床へ沈む。


 そこから黒い縫い目が広がった。


 まっすぐではない。


 蜘蛛の巣でもない。


 都市の道路網のように、光源の配置図のように、無数の線が中央再接続室の床を走り、壁を越え、通路へ、搬送路へ、排水管へ、財団施設全体へ伸びていく。


 縫う。


 斬るのではなく、留める。


 クイーンが解放しようとしている影を、肉体へ強制的に戻すのではなく、散りすぎないように地面へ縫い止める。


 その一瞬だけ、施設全体の影が止まった。


 クイーンの銀白色の巨体が、大きく揺れる。


「縛るな」


 声が低くなる。


「まだ、縛るのか」


 シンは答えない。


 答える余裕がなかった。


 影縫刀を通じて、圧力が戻ってくる。


 数十人ではない。


 数百でもない。


 施設内に流れ込んだ、宵浜市中の影の一部。


 持ち主へ戻りたい影。


 肉体から逃げたい影。


 痛みで暴れる影。


 名前を呼ばれて迷う影。


 落影に変わりかけた影。


 それらの重さが、一本の刀へ、シンの右腕へ、雪崩れ込んだ。


 シンの右腕の影が、肩から指先まで一気に裂けた。


 肉体の右腕にも、黒い線が走る。


 皮膚の下を、影が焼くように侵食していく。


 指先が黒くなる。


 爪の根元から、壊死のような色が広がる。


 リサが叫んだ。


「シン、切って!」


「まだだ」


「もう持たない!」


「まだ二十秒ある」


 純の声が震える。


『あと二十四秒です! 駅前、影流低下。旧市街、固定成功。中央病院、まだです!』


 シンの膝が落ちそうになる。


 戒十が動こうとする。


 シンが怒鳴った。


「先へ行け!」


 その言葉は命令だった。


 いつものシンなら、それで終わりだった。


 行け。


 自分は残る。


 自分が止める。


 誰かが助かるなら、それでいい。


 戒十の足は、一瞬その命令に従いかけた。


 でも、影の戒十が止まった。


「行かない」


「シンさんが」


「行かない」


 影は低く言った。


「誰かが代わりに死んで助かりたいわけじゃないって、純が言った」


 戒十の胸に、その言葉が刺さる。


 純の声が通信から飛ぶ。


『戒十、シンさんの右腕の影が裂けています! 肩まで行く前に切り離さないと、胴体側へ入ります!』


 シンが歯を食いしばる。


「先へ行けと言った」


「聞こえました」


 戒十は答えた。


「でも、従いません」


 シンが戒十を睨む。


「命令だ」


「僕、あなたの部下じゃありません」


 リサが叫ぶ。


「今それ言う!?」


「今だからです!」


 戒十は足元の影へ言う。


「共同操作、三十秒。目的はシンさんの右腕の影を胴体から分離。攻撃対象なし。救出補助。壊死の拡大を抑える」


 影の戒十が即答する。


「同意」


 純の声が入る。


『許可します。時間管理、私がします。シンさん、右腕の切断線を作れますか』


 シンは荒い息をしながら答える。


「できる」


『一人で全部切らないでください。戒十が分離を補助します』


「……了解」


 その一言が重かった。


 了解。


 シンが、自分だけで終わらせるのをやめた。


 戒十は影と呼吸を合わせる。


 視界が変わる。


 肉体の視界と、影の視界が重なる。


 シンの右腕が見えた。


 肉体の腕ではない。


 その下にある影の腕。


 刀影とつながり、縫界の圧力を受け、無数の影の痛みを通している腕。


 肩口から、黒い亀裂が胴体へ入ろうとしている。


 あれを止めなければ、シン自身の影核まで傷つく。


 しかし、雑に切ればシンの肉体が持たない。


 腕だけ。


 右腕の影だけ。


 縫界の役目を終えるまで支え、そのあと胴体から切り離す。


 戒十の影が床を走る。


 シンの右腕の影へ触れた瞬間、膨大な痛みが返ってきた。


 熱。


 冷たさ。


 恐怖。


 怒り。


 誰かの影が肉体から離れようとする感覚。


 誰かが戻りたいと叫ぶ感覚。


 誰かが、もう戻りたくないと泣く感覚。


 それらが、一気に戒十の影へ流れ込む。


「っ、あ……!」


 戒十の膝が落ちかける。


 影の戒十が叫ぶ。


「離すな!」


「わかってる!」


「痛い!」


「僕もだ!」


「それ言う余裕あるなら平気!」


「平気じゃない!」


 純の声が割り込む。


『二人とも、会話できているなら意識はあります。あと十二秒!』


 リサが銀糸を飛ばし、戒十の影がシンの腕へ持っていかれないように支える。


「黒猫くん、右に寄りすぎ!」


「無理です、引かれる!」


「影くん、足元押さえて!」


「やってる!」


「名前ないと呼びづらい!」


「今それ!」


「生きて帰ったら絶対会議!」


 リサの叫びが、痛みの中で妙に鮮明に聞こえた。


 シンは刀を握ったまま、右腕を見た。


 指先はもう動かない。


 肘から下は、黒く沈んでいる。


 肉体の痛みもあるはずだ。


 だが、それ以上に、影の腕が引き裂かれる痛みが彼を貫いている。


 それでも、刀を離さない。


 純の声。


『あと五秒! 中央病院、固定成功! 全班、遮影布展開完了!』


 灰田の声が混ざる。


『シン、もういい! 離せ!』


 シンは短く息を吸う。


「縫界、解除」


 影縫刀を引き抜いた。


 同時に、クイーンの影流が再び動こうとする。


 しかし、その一瞬の停止で、管制室と地上班が光源を切り替えた。


 影の一部は持ち主の足元へ戻り、暴走しかけた流れがわずかに弱まる。


 だが、圧力の反動はシンの右腕へ集中した。


 黒い亀裂が肩へ走る。


 シンは迷わなかった。


 左手で影縫刀を持ち替える。


 自分の右腕の影へ、刃を当てた。


 戒十と影が、肩口の境界を押さえる。


 リサの銀糸が、胴体側の影脈を縛る。


 純が叫ぶ。


『今!』


 シンは、自分の右腕の影を切った。


 音はなかった。


 だが、中央再接続室の空気が震えた。


 影の右腕が、肩口から切り離される。


 それに連動して、肉体の右腕が力を失った。


 黒くなった指先から肘、上腕へ、感覚が消えていく。


 ただ、壊死の侵食は肩で止まった。


 胴体へは入らない。


 シンは膝をついた。


 右腕は、そこにある。


 だが、もう彼の影には右腕がなかった。


 肉体の右腕も、だらりと垂れ、動かない。


 クイーンが低く笑った。


「自分の影を切ったのね」


 シンは息を荒げながら顔を上げる。


「一部だ」


「強がり」


「事実だ」


 声は弱い。


 だが、まだシンだった。


 戒十はすぐに彼を支えようとした。


 シンが言う。


「行け」


「またそれですか」


「クイーンを止めろ。俺は」


「安全な区画まで運びます」


「時間がない」


「あります」


「ない」


「作ります」


 戒十は影を見る。


「共同操作、延長十秒。目的、シンさんの搬送。攻撃対象なし」


『許可します。十秒だけ』


 純の声。


 影の戒十が頷く。


「同意」


 シンが拒もうとする。


 戒十は先に言った。


「誰かが代わりに死んで助かりたいわけじゃない」


 シンの言葉が止まった。


「純の受け売りです」


 戒十はそう付け加えた。


「でも、僕もそう思います」


 リサがすぐに銀糸を伸ばし、シンの動かない右腕を固定した。


「暴れない。今暴れたら、本当に怒る」


「……リサ」


「怒るって言った」


「俺は」


「生きて。命令じゃない、お願い」


 シンは何も言わなかった。


 戒十と影の共同操作が始まる。


 影がシンの足元を支え、肉体の戒十が肩を貸す。


 リサが銀糸で右腕を吊り、壊死部分が揺れないよう固定する。


 シンは重かった。


 人ひとりの重さ。


 いつも無理な状況を一人で支えていた男の、当たり前の重さ。


 戒十はその重さを、初めて感じた気がした。


 中央再接続室の端に、影流の届きにくい補助制御室があった。


 純が管制室から扉を開ける。


『左側、補助制御室へ。そこなら影流が弱いです。医療キットは壁面』


「了解」


 戒十はシンを運び込む。


 シンは最後まで自分の足で歩こうとした。


 だが、二歩目で膝が崩れた。


 戒十と影が同時に支える。


「だから、無理しないでください」


「……歩ける」


「歩けてません」


「少しは」


「今のは倒れかけただけです」


 リサが扉を閉めながら言う。


「黒猫くん、言うようになったねえ」


「シンさんが言わせるんです」


「俺のせいか」


 シンがかすれた声で言う。


 戒十は即答した。


「はい」


 ほんの一瞬、シンの口元が動いた。


 笑ったのかもしれない。


 すぐに痛みで消えた。


 補助制御室の床へシンを座らせる。


 リサが壁面の医療キットを取り出し、右腕の状態を確認する。


 肉体の右腕は、肩から下が黒く沈んでいた。


 血はほとんど出ていない。


 影が切られたせいで、肉体側の血流も神経も急速に機能を失っている。


 リサは唇を噛む。


「右腕は」


「わかっている」


 シンが言った。


「動かない」


「戻せるかは」


「いい」


「よくない」


「今はいい」


 リサの手が止まる。


 シンは左手で自分の右腕を押さえた。


 それは、自分の一部に別れを告げるような仕草だった。


 だが、彼の目はまだ前を見ている。


「右腕は失った」


 声は低く、掠れている。


「だが、俺まで失わせる必要はなかった」


 リサが目を見開く。


 戒十も、影も、何も言えなかった。


 シンは続ける。


「……今、そう思った」


 たぶん、それは彼にとって認めにくい言葉だった。


 右腕を失ったことよりも。


 自分自身を残す必要があると認めることのほうが、きっと難しかった。


 純の声が、通信から静かに届く。


『記録しました』


 シンは目を閉じる。


「記録しなくていい」


『必要です』


「厳しいな」


『よく言われます』


 リサが小さく笑った。


 涙が混じっていた。


「シン、後で怒るから」


「もう怒っているだろう」


「後でも怒るの」


「忙しいな」


「長生きだからね」


 シンは少しだけ息を吐いた。


 戒十は立ち上がる。


 クイーンの声が、まだ中央再接続室から響いている。


 影を解放する。


 肉体を置いていけ。


 先に歩け。


 その声は市内へも広がっている。


 シンがここで作った三十秒は、まだ終わりではない。


 ただ、街の影が完全に引き抜かれるのを一度止めただけだ。


 次に進まなければならない。


 シンは左手で影縫刀を差し出した。


「持っていけ」


 戒十は驚く。


「僕が?」


「使えとは言っていない。リサへ渡せ。俺は今、まともに振れない」


 リサが刀を受け取る。


 重さに少し眉を寄せた。


「シンの刀、相変わらず愛想ないね」


「刀に愛想はいらない」


「持ち主そっくり」


「褒めているのか」


「半分」


 リサは刀を背負うように持ち、銀糸を巻きつける。


 シンは戒十を見た。


「戒十」


「はい」


「先へ行け」


 同じ言葉だった。


 だが、さっきとは違った。


 自分を置いて死なせろという命令ではない。


 自分はここで生き残るから、おまえは次の役割へ行けという言葉だった。


 戒十にも、それがわかった。


「今度は、従います」


「そうしろ」


「でも、何かあったら呼んでください」


「……努力する」


「そこは、はいって言うところです」


 シンは少しだけ目を細めた。


「はい」


 リサが声を上げて笑いそうになり、すぐに堪えた。


「シンが、はいって言った」


「笑うな」


「無理」


 戒十も、ほんの少しだけ笑った。


 足元の影も揺れる。


 だが、その笑いは長く続かない。


 中央再接続室の向こうで、クイーンの巨体が動く音がした。


 施設全体が震える。


 補助制御室の壁に、銀白色の影が浮かぶ。


 女王はまだそこにいる。


 街の影を連れて。


 リサは涙を拭わず、刀と銀糸を構えた。


「行こう、黒猫くん」


 戒十は頷く。


「はい」


 影の戒十が足元で言う。


「今度は、僕らが支える」


「うん」


「身体は渡すなよ」


「わかってる」


「僕も奪わない」


「知ってる」


 純の声が通信で重なる。


『次の光源同期まで、二十七秒。戒十、リサさん、戻ってください』


「了解」


 戒十は補助制御室を出る直前、もう一度だけシンを見た。


 右腕を失った男は、左手だけで壁に身体を預けている。


 弱っている。


 傷ついている。


 それでも、まだそこにいる。


 処刑人ではなく、生きて残った人間として。


 シンは短く言った。


「行け」


 戒十は今度こそ、前を向いた。


 中央再接続室へ戻る。


 女王の影が待っている。


 夜明けまで、まだ遠い。

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