表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/21

第3章-夜の産声-再会

 早朝から雨が降っていた。

 夏の雷雨。

 身体に雨粒を強く打たれ、歩いていた――戒十。

 意識が朦朧としていた。

 ここまでどうやって来たのか、なにも覚えていない。

 どういうわけか、戒十は人型に戻っていた。

 だが、服は着ておらず、代わりに全身が毛に覆われ、髪は地面に引きずるほど長い。

 戒十のわき腹には膿んだ傷、そして右腕がなかった。

 霞む視界。

 戒十の瞳に映る景色は、三倉と掛かれたドア。

 もう限界だった。

 戒十はマンションの廊下で倒れてしまった。

 足音が聴こえる。

 ここまで、無意識のうちに身を潜め、誰にも見つからぬように来たが、立ち上がる力も残っていない。

 眠るように戒十の瞳はゆっくりと閉じた。

 そして、ゴミ袋を持ったまま駆け寄ってくる少女の姿。

 少女はゴミ袋を落とし、驚きと動揺で戒十の横顔を見つめた。

「まさか……戒十くん!?」

 全身を毛で覆われ、片腕のない異質な存在。たじろいでも可笑しくない化け物だ。

 だが、純は戒十を悲しんだ。

「どうしたの、大丈夫?」

 微かに言葉に滲む恐怖。

 すぐに純は戒十の身体を弱く揺すった。けれど、反応はない。

 次に純は三倉家のチャイムを押した。けれど、反応はない。

 人を呼ぶ?

 脳裏に過ぎったが、今の戒十を誰かに見せてはいけないと思った。多くの眼に変わり果てた戒十を見せてはいけない。

 純は渾身の力で戒十を背負い、自分のうちまで運んだ。

 弟はまだ寝ている。母は台所に立っている。細心の注意を払いながら戒十は自分の部屋のベッドに寝かせた。

 顔にも出るほど純は動揺していた。

 これからなにを?

 戒十の様子を確かめるのが先か、置いてきてしまったゴミ袋の処理か、このことを母にだけは伝えるべきなのか、戒十になにがあったのか?

 とりあえず純はゴミをゴミ置き場に捨てに行くことにした。

 走ってゴミを捨てに行き、すぐに部屋に戻ってきた。部屋を空ける前と、戒十に変わった様子はない。

 ベッドに横たわる戒十の姿を観察しながら、急に純は顔を赤くした。そして、急いでバスタオルを戒十の下腹部に掛けた。そのとき、戒十がわき腹に怪我をしていることに気づいた。

 長い毛に覆われていて隠れているが、その一部だけがねっとりしており、毛を軽く掻き分けると膿んだ傷口が見えた。

 純は部屋を飛び出し、救急箱を持って戻ってきた。

 消毒液を掛けようとするが、それをやめて純はピンセットを握った。

 傷口から見えている金属片。

「痛かったごめんね」

 純は痛々しい顔をしながら、ピンセットで金属片を抉り出した。

 潰れた金属の塊。それは銃弾の破片だった。キッカが撃った毒薬入りの炸裂弾だ。

 その後、傷口を消毒して、試行錯誤しながらガーゼを当てて、テープで固定しようとしたが毛が邪魔でできず、包帯を腹に巻いて固定した。

 純は疲れたように床に座り、漠然と戒十の姿を眺めた。

 どうしてこんな姿に?

「銃で撃たれたのはこんな姿になったから?」

 あの金属片が銃弾であることは推測できていた。その因果関係を姿と結びつけたのは妥当な考えだろう。

 毛に覆われた異質な姿。

 片腕もないが、傷口は手当てするまでもなく、塞がって瘤のように硬くなっていた。

「……どうして……こんな姿に?」

 それが最大に疑問だろう。

 梅雨の雨の日、戒十は自分の前から姿を消した。その後、学校にも来ず、自宅を訪ねるが、いつも留守だった。

 長く感じた数週間だったが、それでも数週間という短い時間で、人間はこれほどまでに変貌できるのか?

 純が確信を持ってわかることは、戒十が何者かに命を狙われているということ。

 失われた腕、撃たれたわき腹。やはり、戒十のことを誰かに知られるわけにはいかない。

 誰かに知られれば、そこから戒十に危険が及ぶかもしれない。

 こんな姿の戒十を母が見たらどう思うか、それを考えると母にも秘密にするしかない。弟なんてもってのほかだ。

 考えを巡らせた結果、純は独りで背負うことを決めた。それが最後に残った選択肢だった。

 しかし、いつまで隠し通せるか?

 限界など眼に見えている。

「大丈夫……」

 まずは戒十が意識を取り戻すまででいい。そうすれば事態はだいぶ改善される。

 さすがに一生眠り続ける戒十を、この部屋に匿うのは不可能だが、眼を覚ますまでならどうにかなる。

 この部屋には滅多なことがない限り、誰も入ってこないはずだ。けれど、弟が知らないうちに勝手に入る可能性がある。

 周りが見えないほど、純が考え事をしているとき、突然に部屋のドアがノックされた。

 心臓が止まるかと思った。

「純、どうしたの、朝食の準備できてるわよ?」

 なかなか姿を見せない純を心配して、母親が呼びに来たのだ。いつもは呼ばれる前に、朝食の準備も手伝っているのに――。

 純はドアの前に立ったが、ドアを開けることはなかった。

「なんだか調子が悪いから学校休むね。朝食は冷蔵庫に閉まっておいて、あとで食べるから」

「そう、わかったわ。ゆっくり休んでね」

 足音が遠ざかっていく。

 ほっと胸を撫で下ろす純。

 咄嗟の嘘だったか、これで今日1日は戒十の傍にいられる。

 明日までに戒十が目を覚まさなかったら?

 これからのことも考えなくてはいない。

 ドアを背もたれにして、膝を抱えて純は座った。

 ひと段落つき、疲れが急に襲ってきた。

 純は膝に顔を埋め、眼を瞑って深呼吸をした。

 時間だけが過ぎていく。

 家族は出かけてしまった。残っているのは純と戒十だけ。


 いつの間にか、純は眠りに落ちてしまっていた。

 物音が聞こえ、ハッとした顔をして純は目を覚ます。

 物音は違う部屋から聞こえた。戒十が目を覚ましたのかと思ったが、その戒十は目の前のベッドで横になったままだ?

 母か弟がなにかあって帰ってきたのだろうか?

 純は部屋のドアを静かに開け、首だけを廊下に出して、辺りの様子を伺った。

 物音は聞こえなかった。

「気のせい?」

 かと思ったが、気になって不安になってしまい、他の部屋も調べることにした。

 大きなカーテンが揺れている。ベランダに出る窓が開いているらしい。

 窓が開いていること事態は、特段に気にすることではない。階層が高いので、無用心ということにもならず、純が家に残っていることもある。だが、網戸が閉まっていないのは不自然だ。

 しかし、不自然だと思いつつも、誰かが閉め忘れたのだろうという、もっともありそうな可能性で考えを終わらせた。

 純は窓を閉め、カーテンを直し部屋を後にした。

 また物音がした。

 今度は確実に聞き取れた。それが自分の部屋からだと知り、駆け足で純は戒十の元へ戻った。

 部屋に戻ると、戒十の姿がない!?

 そう純が思った瞬間、後ろから口を塞がれてしまった。

 毛むくじゃらの手が自分の口を塞いでいる。純はその手を振り払おうとした。

 長い毛が床に落ちる。抜いたのではない。簡単に抜けてしまったのだ。

 突然のことに純はパニックに陥ったが、それが戒十だということを思い出した。

 純は無理に抵抗することをやめ、全身の力を抜いて戒十に身を任せた。

 すると、戒十も純を解放した。けれど、決して後ろを振り向くことを許さない。

「こっちを向かないで欲しい」

 哀しみが言葉には含まれていた。

 純は言葉を返す。

「わたしは今の三倉くんでも大丈夫だよ?」

 残念なことに、戒十はその言葉を信じることができなかった。

 自分の姿がどうなっているか、鏡はまだ見ていないが、想像くらいはつく。

 このような怪物を誰が普通に接することができようか?

 純の言葉。その言葉に戒十は小さな希望を見出し、この一言を残すことにした。

「ありがとう」

 そして、戒十は純が振り向く前に去ろうとした。

 だが、それは阻まれることになった。

 謎の男が立っている。この雰囲気はすぐにわかる。

「僕を探しに来たのか?」

 こんな場所にまで追ってくるなんて、純まで巻き込む結果になってしまった。

 男は飛び掛ってくる。

 純が小さく叫ぶ。

 戒十は動かなかった。相手に怯えて動かないのか、咄嗟のことに動けないのか、それとも怪我のせいかなのか?

 すべて違った。

 弱すぎる。

 戒十の長い爪が男の胸を抉った。

 男は胸を押さえながら後退りをした。

 決して弱い敵ではない。

 戒十は変わったのだ。

 『ケモノ』になった戒十は人型に戻っても、以前の戒十とは別のモノに変わっていたのだ。

 開花した戦闘能力。

 しかし、まだ調子が悪い。

 音が雪崩のように押し寄せてくる。

 酷い頭痛と眩暈。

 戒十は男に止めを刺す。

 男の腹を貫いた戒十の腕。抜かれた腕は腸を引きずり出していた。いくらキャットピープルといえど、死を免れない致命傷だ。

 残虐な光景を目の前にして純は絶叫して気を失った。

 純に見せてはいけない光景だが、これでいい。気を失ってくれたほうがやりやすい。敵を倒せば、もうここをすぐに去る。今度こそ、もう2度と純と会うことはないのだから。

 驚いた顔で戒十は振り返った。

「クソッ」

 その短く吐き捨てた言葉にすべての感情が含まれていた。

 他の雑音に惑わされ、もう1人の敵に気づかなかったのだ。

 敵は気を失っている純を人質に取った。

「大人しくしろ!」

 男が叫んだ。

 戒十は立ち尽くしながらチャンスを伺った。

 自分が敵を仕留めるのが早いか、敵が純を殺すのが早いか。

「僕を狙ってきたんだろ?」

「そうだ、生け捕りにしろとの命令だ」

「僕が抵抗せずに君に捕まれば、その人を解放するか?」

「してやろう。だが、まず外で待機している仲間を呼んでからだ」

 男がケータイを出そうとした瞬間、戒十は動いた。

 長い爪が男の頬を抉った。

 さらに攻撃の手を休めずに――と思ったのだが、戒十の視界が霞んだ。

 男は戒十との実力の差を実感し、純を連れて逃げようとしている。この状況で人質を取っても、戒十を生け捕りにするのは難しいと判断したのだ。

 純を抱えて逃げる男。

 男はベランダに向かって走りだしている。

 すぐに戒十も後を追おうとした。

 しかし、開けられたカーテンから光が部屋に差し込んだ瞬間、戒十の視界がさらに霞み、意識が遠のく感覚に襲われた。

 陽を浴びた黒い影がベランダを飛び越えていく。

「こんなときに……」

 自分の不甲斐なさを呪った。

 戒十は床にうつ伏せになって、そのまま動くことができなかった。

 ここで意識を失うわけにはいかない。

 必死に立ち上がろうとした。

 腕が痺れて動かない。

 誰かが近づいてくる音が聴こえた。あいつが仲間を引き連れて、体制を整えなおしたのかもしれない。

 もう抵抗もできない。

 それでも戒十は戦おうとした。諦める気などない。

 最後の力を振り絞って戒十はうつ伏せから仰向けになった。

 そして、自分を見下げる顔を見た。

「大丈夫ぅ、戒十?」

 その顔を見て、戒十の顔は思わず綻んだ。

 リサがいた。

「見ればわかるだろ。知り合いが浚われた、早く追ってくれ」

「シンが追ってるけど……。それよか、戒十がまさか元に戻れるなんて、思ってもみなかった」

 満面の笑みを浮かべるリサ。本当に嬉しそうだった。

 しかし、戒十は純が気がかりだった。

「僕のことはいいから、早く敵を追えよ!」

「怒鳴んないでよ、シンが追ってるって言ってるじゃん。奴らはシンに任せたから、アタシは戒十のこと任されたの!」

「僕は独りでも平気だよ」

「ぜんぜんへーきじゃないじゃん。ここの傷、やっぱり治ってないんだ」

 キッカに撃たれた傷のことだ。

「でも、あの銃弾を撃たれて死なないなんて……」

 傷は残っているが、治る方向に進んでいる。通常のキャットピープルであれば、死んでいたはずの毒薬だった。

 リサは戒十の身体を担ぎ上げた。

「行くよ」

 行こうした瞬間、リサのケータイが鳴った。

「はい、もしもーし」

 テンション高く電話に出たが、急激に顔色が曇った。

 ケータイを切ったリサは、申し訳なさそうに戒十を見つめた。

「逃げられたって」

 戒十はなにも言わなかったがリサは感じた。戒十の鼓動が乱れている。これは怒りだ。

「必ず助けるから」

 そう言ってリサはこの場から戒十を連れ出した。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ