第12話「暴走する王都の人工魔導温泉」
広場に頭を擦り付けたまま、脂汗で泥まみれになって震えるバルトロ男爵。
男爵の取り巻きの近衛騎士たちも長槍を投げ捨て、武装解除された状態で地面に膝をついていた。
エレノア皇女の威光と、ギルバート率いる歴戦の冒険者たち、そしてクラウス会頭率いる大商業連合の強固な包囲網。
ヴェルデ温泉街の団結と信望は、王都の腐敗した権力機構を圧倒していた。
「バルトロ男爵、無駄な足掻きはやめて、大人しく帝国と商業連合の査定官による取り調べを受けなさい。貴殿が私腹を肥やすために犯した数々の不法行為は、ベルガルド国王にも直接通告いたします」
エレノアが冷然と言い放ち、近衛兵に拘束の手錠を命じようとした、まさにその瞬間だった。
ヒヒィィィンッ!
街道の彼方から、狂ったように馬を走らせる一騎の騎兵の姿が現れた。
馬の口からは白い泡が激しく吹き零れ、騎兵は鎧も兜も泥と黒煙の煤で真っ黒に汚れていた。
背中に背負った旗印は、ベルガルド王都の正規伝令部隊のものだった。
「だ、男爵閣下ぁぁぁぁっ! 男爵閣下はいらっしゃいますかぁぁっ!」
伝令兵は広場の真ん中で落馬するように馬から転がり落ち、地面を這いながらバルトロ男爵の元へと縋り付いた。
その血を吐くような切迫した絶叫に、広場を包んでいた勝利の余韻が一瞬で吹き飛んだ。
「何だ、見苦しい! 余計な騒ぎを起こすなと申したはずだ!」
バルトロが青ざめた顔で喚き立てると、伝令兵は血走った目を見開き、息も絶え絶えに叫んだ。
「大惨事です! 王都近郊、モルグ山麓の『王立魔導温泉スパ』開発現場で、地下岩盤の大爆発が発生いたしました!」
「……な、何だとぉぉぉっ!?」
バルトロ男爵の喉から、裏返った悲鳴が漏れた。
トウマとセレスティアも思わず顔を見合わせる。
「魔導士団が殿下と閣下のご命令通り、予定日の三倍の魔力を投入して地下五百メートルの断層を一気に魔力爆破したところ、地下の巨大な有毒ガス溜まりと超高圧の熱泥水脈を直撃してしまいました! 工期を半年も短縮しようと無謀な連続発破を重ねた結果、大地の許容量を完全に突破してしまったのです! 穴という穴から、猛毒の硫黄ガスと沸騰泥水が間欠泉のように噴き出し、作業員や工夫数百名が崩落した坑道に生き埋めに! さらに、完成祝賀の事前視察にいらしていたレナード王太子殿下も、崩落したVIPパビリオンの奥に取り残されております!」
「ひっ……レ、レナード殿下が……!?」
「それだけではありません! 噴出した毒泥水と高熱の鉱毒が、王都の飲料水の七割を供給する主要水源『ルシエ川』へと激しく流れ込み始めました! 今夜中にも王都の全上水道が有毒鉱毒に汚染され、数万人の市民に致死毒と皮膚病が及ぶ壊滅的危機に陥っております! 王宮筆頭魔導士たちも結界魔法で封じ込めようとしましたが、暴走した大地の巨大な熱エネルギーに押し潰され、全員が魔力枯渇で吐血して倒れました! もう……誰にも止められません!」
伝令兵が絶望に両手で頭を抱え、泥の上で号泣した。
あまりの事態の大きさに、広場にいた騎士たちも町民たちも、息を呑んで戦慄した。
「ば、ばかな……! 余計な金をかけず、手っ取り早くヴェルデ以上の温泉を湧かせろと命じただけなのに……! なぜそんなことに……!」
バルトロ男爵はガタガタと歯を鳴らし、泡を吹いて白目を剥いた。
己の強欲と虚栄心のために自然の理を無視し、乱暴な力押しで大地を傷つけ、温泉を強奪しようとした結果が、国家崩壊の未曾有の大災厄を引き起こしたのだ。
自分の責任から決して逃れられないと悟った男爵は、恐怖のあまり失禁し、そのまま意識を失って泥の上に倒れ込んだ。
「自業自得とはいえ、愚かしいにも程がありますね……」
エレノアが軽蔑の眼差しで見下ろす。
ギルバートも忌々しそうに大剣の柄を強く握りしめ、地面に唾を吐き捨てた。
「けっ、ざまぁねぇな! 自然の理も知らねぇで金儲けを企んだ豚どもの当然の報いだ! レナードのばか王子も、そのまま泥水の中で溺れて頭を冷やしてりゃいいんだよ!」
冒険者たちや町民たちの中からも、王都の横暴に対する怒りから「自業自得だ」「殿下や男爵を助ける義理などない」という声が次々と上がった。
無理もなかった。
つい先ほどまで、自分たちの街を踏みにじり、皆殺しにして奴隷に落とそうとしていた傲慢な者たちなのだ。
しかし、有毒な泥水が王都の数万の市民に迫っているという事実には、皆一様に顔を青ざめさせ、どうすることもできない無力感に押し黙るしかなかった。
だが、その時――
「……っ……あぁ……っ!」
小さな悲鳴と共に、セレスティアがふらりとよろめいた。
トウマは素早くその華奢な肩を抱きとめた。
「セレス! どうした!?」
「トウマ様……大地が……精霊たちが、苦しんでいます……っ!」
セレスティアの紫水晶の瞳が、涙を浮かべて激しく震えていた。
彼女の【精霊眼】には、王都の方向の大地脈が真っ赤な血を流すように引き裂かれ、地下に封じられていた数千年の怨嗟と熱泥が、狂い狂った巨竜のように暴れ回っている光景が視えていたのだ。
「大地が悲鳴を上げています……このままでは断層の崩壊が連鎖し、王都の地盤そのものが大陥没を起こしてしまいます……! レナード殿下やバルトロ男爵の罪はどうあれ……王都に暮らす何の罪もない何万人もの人々や、幼い子供たちが、猛毒の煙と泥水に呑まれて命を落としてしまいます……!」
セレスティアは胸を押さえ、痛切な声で訴えかけた。
かつて自分を嘲笑い、石を投げ、荒野へ追放した王都。
恨んで当然の場所のはずだった。
冷たい牢屋の中で、涙さえ枯れ果てるほど絶望させられた故郷。
しかし、彼女の心の中には、醜い復讐心など一片もなかった。
そこにあったのは、苦しむ大地の悲鳴を聞き届け、無辜の人々の命を救いたいという、本物の聖女以上の至高の慈悲と気高さだった。
トウマはセレスティアの澄んだ瞳を見つめた。
そして、力強く頷いた。
「ああ、分かっているよ、セレス」
トウマは作業着の前掛けを外すと、愛用の鉄鍬を手に取り、腰の頑丈な革ベルトには土壌調律用の水晶をしっかりと固定した。
琥珀色の瞳には、一切の迷いのない覚悟の炎が宿っていた。
「トウマ殿……まさか、王都へ行くおつもりか!?」
クラウスが驚愕して眼鏡を押し上げた。
ギルバートも目を見開いて詰め寄る。
「大将! 正気か!? あいつらはあんたの街を力ずくで奪おうとした敵だぞ! 助ける義理なんてこれっぽっちもねぇ!」
「義理なんかないさ、ギルバートさん」
トウマは静かに、しかし大地のように揺るぎない声で答えた。
「俺は王子や男爵を助けに行くんじゃない。あいつらが弄び、傷つけた大地と湯脈を鎮めに行くだけだ。自然の恵みを預かり、人を癒やす湯守として、大地の暴走で無関係な人々が死ぬのを黙って見過ごすことはできない。……それに、セレスが泣いているのを放っておくわけにはいかないからな」
トウマが優しく微笑みかけると、セレスティアの目から大粒の涙が零れ落ちた。
ギルバートは短く刈り込んだ頭を激しく掻きむしり、やがて大笑いした。
「ったく……大将も嬢ちゃんも、呆れるほどのお人好しだぜ! だが、そのばか正直な真っ直ぐさに惚れたんだ! 分かったよ、俺の腕尽くで道を切り拓いてやる! 王都まで全力で護衛してやるぜ!」
「我が商業連合の最速の装甲快速馬車を提供いたしましょう。王都の城門を強行突破いたします」
クラウスが不敵に笑って告げ、エレノアもまた凛とした笑みを浮かべて頷いた。
「わたくしも同行します。王宮の愚物どもがトウマとセレスティアの邪魔をせぬよう、シルフィア帝国の名において道を掃討いたしましょう」
広場全体から、地響きのような大歓声と声援が沸き起こった。
奪われかけた温泉街の民が、今度は王国そのものを救うために立ち上がる。
トウマとセレスティアを乗せた快速馬車は、砂塵を巻き上げ、暴走する王都の灼熱地獄へと向かって疾風のごとく駆け出した。




