第11話「常連たちの決起」
「ギ……『剛剣』のギルバート……!? な、なぜ貴様のような最高峰のSランク冒険者が、こんな辺境の荒野にいるのだ!?」
バルトロ男爵の引きつった甲高い声が、静まり返った広場に響き渡った。
男爵の背後に控えていた王都近衛騎士たちもまた、一様に顔色を青ざめさせ、構えていた長槍の穂先を小刻みに震わせていた。
大陸中にその武名を轟かせる伝説の剣士。
過去に単身で災厄級の古龍を討ち果たし、一騎当千の英雄として王立騎士団長ですら一目置く男が、抜身の巨大な黒鋼の大剣を肩に担ぎ、凶暴な肉食獣のような眼光で自分たちを睥睨しているのだ。
かつて戦場でその暴風のような剣技を目撃したことのある騎士にとって、それは死神が目の前に現れたのと同義だった。
「なぜいるかだと?」
ギルバートはフッと獰猛な笑みを浮かべ、地面に大剣の切っ先を突き刺した。
ドォン……! と腹の底に響く重い地響きが鳴り、頑丈な石畳が蜘蛛の巣状にひび割れて粉塵が舞う。
「俺はここの常連客で、筆頭用心棒隊長だ。……おい、豚男爵。俺の命の恩人であり、病んでいた肉体と魂を救ってくれた大将と若女将に指一本でも触れてみろ。貴様ら全員、肉片一つ残さず叩き斬って温泉の肥料にしてやるぞ」
ギルバートが顎をしゃくると、彼の背後から、ズラリと居並ぶ数十人の熟練冒険者たちが一斉に抜刀した。
シャキィン、と冷たい鋼の擦れ合う音が広場を満たす。
Aランク、Bランクの歴戦の猛者たち。
長年の討伐任務で痛めた腰や膝、魔獣の古傷の疼きに苦しんでいた彼らは、皆この『燈火亭』の湯とトウマの極上料理によって劇的な回復を遂げ、現役としての命を長らえさせてもらった者たちだった。
彼らにとって、この温泉街はただの観光地ではない。
命を救われ、誇りを取り戻した第二の故郷だった。
「き、貴様ら……冒険者の分際で、国家権力たる王都近衛騎士団に刃を向ける気か!? ギルド登録を抹消され、賞金首として国中から追われたいのか!」
バルトロ男爵が必死に虚勢を張り、脂ぎった顔を紅潮させて怒鳴り散らした。
だがギルバートは鼻を鳴らし、懐から黄金の鎖がついた漆黒の紋章メダルを取り出し、男爵の鼻先へと乱暴に突きつけた。
「国家権力だぁ? よく見ろ、豚野郎。俺は冒険者ギルド中央本部の特級名誉監査官の権限も持ってるんだよ。王族だろうが貴族だろうが、正当な民間事業への不法な武力弾圧を行う輩は、ギルド協定第十二条に基づき、即座に『治安の敵』として実力行使で排除できることになってんだ。文句があるなら、王都のギルドマスターに言いに来い!」
「ひっ……!?」
バルトロ男爵が怯んで後ずさった、その時だった。
ドドドドド……ッ!
街の入り口の方から、大地を裂かんばかりの凄まじい轟音が響き渡った。
騎士たちが設営していた鉄条網と重い木製のバリケードが、護衛の傭兵たちが放った魔法の衝撃波によって木っ端微塵に粉砕されたのだ。
砂塵を巻き上げて広場へと突入してきたのは、百人を超える精鋭武装警備兵を従えた、星巡り商業連合の大商団だった。
先頭の馬車から颯爽と降り立ったのは、理知的な眼鏡を鋭く光らせたクラウス会頭だった。
手には何枚もの羊皮紙の公文書を携えている。
「やあ、トウマ殿、セレスティア様。ご無事のようで何よりです。少々道中のゴミ掃除に手間取り、遅参いたしました」
クラウスはトウマとセレスティアに優雅に一礼すると、冷徹な視線をバルトロ男爵へと向けた。
その瞳には、大陸中の経済を動かす冷徹な支配者の光が宿っていた。
「ば、バルトロ男爵……貴様、商業連合の会頭たる我が身の通商路を不法に封鎖してくれましたね。街道の不当占拠、物資の遅延、我が連合に所属する商人たちへの不当な脅迫……すでに我が査定員が算出した損害賠償額は、金貨十五万枚に達しております」
「じゅ、十五万……!? 何をばかな! 我が輩は王太子殿下の命を受けてだな……!」
「王太子の命など、我が連合には通用しません。さらに宣告いたしましょう。我が星巡り商業連合は、ベルガルド王都への穀物、魔導鉱石、ならびに生活必需物資の供給を、本日正午をもって全面的に停止いたしました」
「な……な、何だとぉぉぉぉぉっ!?」
バルトロ男爵の顎が外れんばかりに落ち、両目が飛び出しそうになった。
王都の全流通の四割以上を一手に牛耳る星巡り商業連合が兵糧攻めを発動したのだ。
数日も経たぬうちに、王都の食糧価格は十倍に暴騰し、貴族も平民も飢餓と暴動のパニックに陥る。
一商業貴族の欲と独断で引き起こしてよい事態を、遥かに超えていた。
「き、貴様ら……グルだったのか!? だが、いくら冒険者と商人が束になろうと、所詮は平民! 第一王子レナード殿下の王命と、我がベルガルド王国の軍威には決して――!」
「――控えなさい、見苦しい俗物」
その声は、広場の熱気と喧騒を一瞬で凍りつかせるほど、凛として透き通り、威厳に満ちていた。
人々が息を呑んで振り返る。
『燈火亭』の玄関の暖簾を静かにくぐり、姿を現した一人の女性がいた。
艶やかなプラチナゴールドの髪に、吸い込まれそうな深いサファイアの瞳。
身にまとっているのは、この宿に滞在する客と同じ簡素な麻の浴衣であったが、その全身から放たれる気品と神聖なオーラは、宮殿の玉座に座る女王そのものだった。
女性の背後には、純白の近衛騎士服に身を包んだ護衛兵たちが、音もなく整列していた。
彼らの胸に輝いているのは、隣国シルフィア帝国の双頭の鷲の皇族紋章。
「あ……あ、貴女様は……まさか……!?」
バルトロ男爵の顔が、今度こそ完全に死人のような土気色に変色した。
歯の根が合わず、ガチガチと音を立てる。
「シルフィア帝国第二皇女……エレノア・フォン・シルフィア殿下……!?」
エレノア皇女。
大陸最強の軍事大国シルフィア帝国の皇帝が最も深く寵愛する才媛であり、外交と軍事の両面で絶大な影響力を持つ皇女である。
エレノアは冷ややかな眼差しでバルトロ男爵を見下ろした。
「わたくしは、長年の冷え性と魔力衰弱の治療のため、身分を隠してこの『燈火亭』で湯治を続けておりました。トウマの温かい手による素晴らしい源泉と滋養あふれる野菜、そしてセレスティアの細やかな心遣いのおかげで、わたくしの身体は十数年ぶりに快癒の奇跡を迎えようとしているのです」
エレノアは一歩前へ踏み出し、冷徹な声で宣告した。
「そのわたくしの湯治の静寂を乱し、武器を持った兵を率いて土足で踏み躙るとは……ベルガルド王国の貴族は、我がシルフィア帝国に対して宣戦布告をするおつもりですか?」
「め、滅相もございません! せ、宣戦布告など、そのような……っ!」
バルトロ男爵はガタガタと全身を震わせ、ついに自らの脂ぎった膝から崩れ落ちて地面に頭を擦り付けた。
帝国との全面戦争。
そんな事態を引き起こせば、レナード王子どころか国王自らの手で一族全員が国家反逆罪として極刑に処される。
トウマとセレスティアが作り上げた温泉街は、ただの宿場町ではなかった。
冒険者の武力、大商人の強大な経済力、そして帝国の軍事外交力――大陸の頂点に君臨する者たちが、心からの恩義と敬愛によって結びついた、難攻不落の聖域となっていたのだ。
トウマは冷ややかに見下ろし、地面に這いつくばるバルトロ男爵に向かって静かに告げた。
「さあ、男爵。正午になったぞ。……誰が誰に平伏する番か、よく分かっただろ?」
広場に、町民たちと冒険者たちの怒涛のような歓声と哄笑が轟いた。
力と権力で奪おうとした悪党が、自分たちが軽んじていた人々の信望と絆の前に無様に打ち砕かれた瞬間だった。




