第7話 届くか、届かぬか
村外れの訓練場に着く頃には、すでに人だかりができていた。
毎年のことではある。だが三人目の相手がやはり「流星のコーデリア」だと知れ渡った今年は、村中の熱気がいつもと明らかに違う。遠巻きに人垣を作る村人に加え、村に駐留するアルベルヴィク騎士団の面々までもが勢ぞろいし、コーデリアさんの本気を目の当たりにできるかもしれないという期待感で、周囲の熱気は最高潮に達していた。
そんな輪の隅、母上の裾をきゅっと握って半分隠れるように立つ小さな影があった。アリアだ。今日はやけに顔色が優れない。
(怖いのだろうな)
無理もない。今日戦うのは、あの子にとって誰より大切な母親なのだから。
視線を戻せば、正面にはもう抜き身の細剣を提げたコーデリアさんが立っていた。俺は背に負った木剣の柄へ一度手を触れ、父上へ目配せして預かってもらう。それから腰の二振りへと手を移す。
この木剣は、八つの頃にボルツさんからいただいた一本目の刃筋がささくれてひび割れ、原型を留めなくなった後、自ら森に入りオプトさんに教わった「ハビロ」という堅木から削り出したものだ。弓には向かぬ木だと怪しまれたが、こちらは弓ではない。一振りの間合いと呼吸を忘れぬためだけに背負い続けている、いわば添え物である。
実戦で頼るのは、腰の二振り――舶刀だ。
当然、刃引きはしていない。
この辺りでは、俺が求めるような片刃の得物は、あまり馴染みがないらしい。唯一、北のノースフォークやシーモイから流れてきた舶来の片刃剣が村の武具屋に並んでいたが、実際に使うと刃が薄く、俺には心もとない強度だった。そこで、スルト村から少し離れた、魔素の濃いブカの森まで足を運び、エドガーさん、オプトさん、父上の三人に助けられながら、死に物狂いで仕留めた大爪熊の爪を持ち込んだ。
大将はボロボロの姿を見て驚愕していたが、俺のことをよく知ってくれているだけに、渾身の二振りを鍛えてやると承諾してくれた。拳鍔は取り回しの邪魔になるので依頼外だ。
片刃なら硬さより粘り――撓りを取れ、というのはボルツさんの見立てだった。魔獣素材は魔力との相性がよく、特に中位から上位の魔獣ともなれば、魔法を併用して戦う者にとっては喉から手が出るほどほしい品となる。中でも良質な爪や牙は、浅い傷なら勝手に塞がるという。
両刃の剣は、結局俺にはしっくり来なかった。いつか魂を震わせる一振りを手にするその日まで、俺は双剣士として生きると決めている。
「よろしくお願いします」
「今度はあなたによいように乗せられてしまいました。悔しいですが、受けましょう」
構えを取り、二つの切っ先に意識を集中。
周囲の音が消えると同時に、俺は地を蹴った。
狙うのは足払いの隙――放ったのは風断。目に見えぬ風の刃が空を裂く。
だが、届かない。
コーデリアさんは半身をずらしただけで、それを完全に見切っていた。
「遅い、丸見えです」
声と共に、細剣の切っ先が視界の端で光る。かわしたつもりが、すでに間合いの内。俺はとっさに舶刀の一振りで受け流し、もう一振りで斬り上げるが、空を切る。
速い。速すぎる。
鍛錬でなら、まだ目で追えていたはずだった。だが今、俺の目に映るのは常に一拍過去の残像だ。
幾度目かの鍔迫り合い――いや、迫り合いにすらなっていない。ただ触れて、逸らされ、また触れる。その繰り返しの中で、俺は一つの賭けに出た。
あえて、避けない。
コーデリアさんの刺突が布越しに脇腹をかすめ、熱い線を刻む。痛みなど構っていられない。俺は片方の舶刀を中空へ放り上げ、再度細剣の切っ先が皮膚の浅いところで止まったその瞬間、コーデリアさんの視線が舶刀の行く先へ奪われた隙をつき、空となった手で引き抜かれるより先に、素手でその刀身を掴んだ。
「――ッ」
バチッ、と手のひらに灯した雷が刀身を伝う。まだ放つことはできない。ただ帯びるだけの、拙い雷だ。それでもコーデリアさんの腕がわずかに痺れ、握りが緩む。
好機。俺はもう一振りの舶刀で斬り上げるが、コーデリアさんは寸でのところでこれを回避。
だが、俺の本命は中空から落ちてくるもう一振りにある。さらに一歩踏み込んで体を潜り込ませると同時に、細剣を放し、落ちてきた舶刀をつかんで振り下ろす。
間よし、態勢よし。
(入るっ! ――っ!?)
これも、届かなかった。
緩んだはずの握りが、俺の渾身を余裕で流せるまでに戻っており、あまつさえ、縦一閃の力を利用し、コーデリアさんはあっという間に細剣の距離を取り戻してしまった。
(今のを、いとも容易く……!)
「……やはり末恐ろしいですね。ですが、まだまだ」
その声に、初めて温度が宿った気がした。
まとう魔力の密度が、一段変わる。強化魔法――言葉にすればただそれだけのものが、これほどまでに人を作り替えるのかと、俺は肌で思い知らされた。踏み込みの速さ、剣筋の鋭さ、何もかもが今までとは別物になっている。
防ぐ。かわす。受け流す。俺にできるのはそれだけで、傷は数を増やす一方だった。
(まだだ。まだ、やれることはあるはず!)
そう思い込もうとした瞬間、彼女の両脚と切っ先に、それまでとは比較にならない魔力が凝縮されるのが分かった。
鞭のようにしなる肢体、柳のごとく流麗に。
これぞ――流星のコーデリア。
――――流穿一閃
視界が、消えた。
次に感じたのは、利き腕を裂く鋭い熱と、衝撃波。気づけば、俺は地面に叩きつけられていた。
細く絞られた威力でなければ、俺の半身は原形を留めていなかったはずだ。掠っただけ――それでも十分すぎる一撃だった。
視界いっぱいに広がる空。全身に散った傷が、今になって一斉に悲鳴を上げ始める。
それでも、俺の口から零れたのは呻き声ではなかった。
「ははっ……まったく見えなかった。あまりに遠い」
無念よりも先に、込み上げてきたのは多幸感だった。仰向けに倒れたまま、俺は満身創痍でそうつぶやいていた。
後に、俺はこの戦いを、真剣勝負における人生で初めての敗北と語ることになる。
……―――
「ジンさまっ!」
小さな悲鳴と共に、輪の中から飛び出してきたのはアリアだった。母上の後ろに隠れていたはずのその足が、誰よりも早く俺の元へたどり着く。
「大事ない。少し、休めば済む程度だ」
「うそです! こんなに、こんなに血が……」
瞳に涙を溜めて俺の傷を覗き込むアリアの隣に、母上が静かに膝をつく。
「大丈夫ですよ、アリア。よく見ていなさい。これが、私たちの仕事です」
母上の手のひらから、淡い光が満ちる。裂けた傷が見る間に閉じていくのを、アリアは食い入るように見つめていた。
「わたくしも、ジェシカお母さまのように……」
「あなたはもう、立派にできます。ほら」
促されるまま、アリアの小さな両手が俺の腕に添えられる。ぎこちない光がその手のひらに灯り、浅い擦り傷がゆっくりと薄れていった。
「……できました! ジンさま、もう大丈夫です!」
「はい、上手にできました」
(まだ傷だらけなんだが……まぁ、アリアのよき訓練になるのなら本望よ)
誇らしげに胸を張るアリアの頭を、母上が優しく撫でる。傍らに立つコーデリアさんは、その光景をただ静かに見下ろしていた。
「ありがとう、ジェシカ」
ぽつりと、コーデリアさんがつぶやく。母上はそれに、穏やかな声で応じた。
「いいえ。アリアは本当に頭のいい子。自分に必要なことだと分かっているのです。守る術を持つ者として、目を逸らしてはならない、と」
「……」
「こちらこそありがとう。この子を一生懸命育ててくれて」
「っ……当然です! 生まれる前から面倒を見ているのですから!」
(そんなことが可能なのか?)
娘の頭を優しく撫でる自分の手を見つめ、コーデリアさんは小さく息を吐いた。
「ジン」
「はい」
「剣を取って六年、よくこの短期間でここまでの使い手になりましたね。来年、私はもうこの場におりません」
予想外の言葉に、俺は身を起こしかけて痛みに顔をしかめた。
「そ、それは……なぜですか。俺はまだ、一度も」
「ええ、そうでしょうとも。ですが、この四人抜きは、あなたが独り立ちするに足る力を示すための試練。私はもう十分だと判断しました。それとも、旅先で私に敵う脅威がそうそう現れると、まだ思いますか?」
「……微塵も、思えませぬ」
「よろしい。ですが、あなたの父は私のように甘くはありません。肝に銘じておくことです」
「承知」
コーデリアさんだからこそのこの言葉、この矜持。
完敗だったが、むしろ俺はこの人に剣を教わった身として、その名に恥じぬ力を身に付けねばと、改めて覚悟を決めた。
(いつまでもこの子の行く手に居座るわけにはいかない。母としてできることは、もう――)
俺の傷が塞がれてゆくのを見届け、娘の小さな手をそっと握る。
頭を下げて見送る俺に、彼女はいつもより柔らかい一瞥だけを残して歩き去っていった。
……―――
そして、一年が過ぎた。
四度目の聖誕祭。今年もまた、俺は同じ訓練場に立っていた。
「エドガーさん、オプトさん」
「悪ぃな、ジン坊。俺はもう、教えることが尽きた」
「俺もだ。この一年、お前の力に追いつけるとは思えねぇしなぁ」
二人はそう言って、揃って一歩下がる。すでに承知していたことだった。
「コーデリアさん」
「申し上げた通りです。私はすでに、退きました」
輪の外から、アリアの手を引いたコーデリアさんが小さく頷く。
残るは、ただ一人。
腰の一振りに手を添え、静かにこちらへ歩み出る父上の姿があった。
「よかったじゃねぇか、無傷で俺の前に立てて」
「……」
父上の双眸は、子に向けるものでは、すでにない。
「殺るか、殺られるか。次はないと思え」
「っ!?」
父上が全身に漲らせた魔力の波動が、俺の全身を駆け巡る。
この圧力、この殺気、やはり父上は本気だ。
村人たちのざわめきが、潮が引くように静まっていく。
これまでの三人とは、まとう気配からして違った。父上が本気で得物を構えるところを、俺は一度も見たことがない。
それでも、分かることが一つだけあった。
この四年間、俺が追い続けてきた背中は、今なお――遠い。
「行くぞ、ジン!」
「はいっ!」
お読みいただき、ありがとうございます。
続きが気になる方は、ブックマークをしておくと更新を見逃さずに読めます。
面白いと思っていただけたら、ページ下の☆☆☆☆☆から評価をいただけると励みになります。
(毎朝7時10分更新)




