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異世界剣風録~その少年は、自分が武士だったことを知らない~  作者: 詩雪
第一章 スルト村編

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第5話 最初の一振り

 物心ついた頃には、俺はすでに村の暴れん坊として名を馳せていたらしい。


 五つの歳、並び立つ家々の屋根に上って駆け回り、板材を踏み抜いて大穴を空けた。


「どうして地面ではなく屋根を駆け回ったのですか、ジン」


 笑顔のまま怒れる母上に、俺は至極真面目に答えた。


「高いところのほうが、村がよく見わたせます。まものが来たとき母上をお守りしたいのです」

「……はぁ。ありがとう。でもね、ジン。屋根に穴が空くと、住んでいる人が雨に濡れてしまうわ。それでもいいの?」

「そ、それは……よくないと思います」


 その日の夕方、父上と母上と共に、穴を空けてしまった家へ謝罪に向かった。その後、大工道具を担いで屋根に上がった父上は、なぜか楽しそうに穴を塞いでいた。


「いい心意気だ、ジン!」

「あなた、笑い事ではありません!」


 六つの歳には、村長様の飼い牛の背に忍び寄って跨り、そのまま村を突っ切る大暴走を引き起こした。追いかける大人たちの怒声を背に受けながら、俺は風を切って駆けるということがこれほど気持ちのよいものかと、なぜか胸を高鳴らせていた。


「どうして牛さんに乗ったのですか、ジン」

「ほんとうは馬がよかったのですが、馬はにげてしまいました」

「……はぁ。今度、騎士様にお願いしてお馬さんに乗せてもらいましょう」

「ほんとうですか、母上! ありがとうございます!」

「ですがその前に、ご迷惑をおかけした皆様に謝るのが先です」

「はい、あやまります!」


 七つの歳。これが一番こっぴどく叱られた出来事だ。


 村に駐留するアルベルヴィク騎士団の宿舎に忍び込み、置かれていた本物の長剣を引き抜いて振り回した。刃の重さに耐えきれず取り落とし、自らの腕を浅く切った。


 血を見ても泣くことはなかった。痛みも我慢した。なぜならこんなところに忍び込んで、挙げ句怪我をして帰ろうものなら、また母上を困らせてしまうからだ。


「ただいまかえりました」

「おぅ、おかえり」

「おかえりなさい、ジン。そろそろ食事ですよ」

「きょ、今日は夜のしゅぎょうするので、いりませぬ!」


 コソコソと自室に戻り、急いで服の上から腕にぐるぐると布を巻いた。部屋の中は薄暗いので、血のにじみは気にならなかったが、痛みは一向に引かなかった。


 しかし、そんな俺の小細工など通用するはずもなし。早々に怪我を察し、傷が刃物によるものだと見抜いた父上は烈火のごとく怒り、母上は俺の傷を見て声を上ずらせた。


「二度と……二度と、怪我を隠すようなことはしないで。お願い、だからっ……」


 大した傷ではなくとも、雑に対処すれば悪化し、そこから大病を患うことも珍しくはない。子供ならなおさらで、実感してからでは遅いのだ。


 あの日の二人の顔だけは、どれだけ月日が経っても忘れられそうにない。


 それでも懲りなかった俺は、その翌年――八つの歳、エドガーさんの狩りに黙ってついていった。もちろん、勘の鋭いあの人が気づかぬはずもなかったのだが。


 罠にかかって暴れる魔獣を見つけた俺は、好奇心に負けて不用意に近づいてしまった。牙が振るわれる寸前、横合いから飛び込んできたエドガーさんの一撃が、辛くも魔獣の息の根を止める。


「……ジン坊。お前、俺がちょっとでも遅れてたらどうなってたか、分かってんのか」


 いつもの豪快な笑い声はなく、静かな、それでいて底のある声だった。俺はただ、頷くことしかできなかった。


 弓の師・オプトさんに手ほどきを受けるようになったのも、この頃だ。


「弓を持ちたきゃ、まずは自分の身の丈に合った木を、自分の目で選ぶことから始めるんだよ」


 そう言って連れていかれた森の奥で、オプトさんは何本もの若木を吟味しては、俺に触らせ、しならせ、香りまで確かめさせた。


「これだ、と思うものを選べ。急ぐんじゃねぇぞ」


 半日がかりで選んだ一本の枝を、オプトさんは丁寧に削り出し、弦を張る要領を一つ一つ教えてくれた。矢羽根の切り方、やじりの重心の取り方――不器用な俺の手元を、根気強く見守ってくれた。


「へへ、下手くそだけどよ。ま、そのうち慣れる」


 出来上がったのは、お世辞にも上出来とは言えない、いびつな弓と、数本の矢。それでも俺は、誇らしくて仕方がなかった。


 こんな悪童ぶりの合間にも、穏やかな夜はあった。


 まだ物心つくかつかないかの頃、文字を覚え始めた俺は、母上の膝の上で羊皮紙に向き合うのが日課になっていた。ある夜、なぞる文字の合間に、俺はずっと気になっていたことを尋ねた。


「母上は、どうして皆の傷を治せるのですか」


 母上は筆を置き、俺の両手をそっと包み込んだ。


「これはね、心を形にする力なの」

「心を、形に……?」

「怖いとか、痛いとか、そういう気持ちじゃなくて――誰かを想う、温かい気持ちのほうよ。それを、ぎゅっと形にするの」


 そのときはまだ、意味が分からなかった。


 ただ、母上の手の中に灯る温もりだけは、確かに覚えている。


 ……―――


 八つの歳、コーデリアさんが小さな女の子を連れて村を訪れた。


「ジン、元気にしていましたか?」

「はい、このとおりです!……あの、その子は?」

「紹介します。娘のアリアです」

「ほほう。コーデリアさんの」


 話には聞いていた。村にしょっちゅう顔を出していたコーデリアさんが、ある日突然パタリと村に来なくなった時期がある。なんでも、結婚やら出産とやらが重なっていると聞いたが、その後は相変わらず村に来ていたので、大して気にしていなかった。


 コーデリアさんの陰に隠れるようにしがみつく、三つになったばかりだという少女。人見知りなのか、俺と目が合うたびにサッと顔を引っ込める。


 正直、俺は興味が持てなかった。屋根にも上れない、弓も持っていない、どうせ狩りにもこっそり付いてこれない。遊び相手にはとても見えなかったからだ。


「ジン、アリアと遊んであげて」

「一緒に、ね?」


 しかし母上とコーデリアさんに揃って頼まれては、断れるはずもない。渋々ながら手を引き、油が採れる村の畑を歩いて回った。ちょうど頃合いのようで、よく花が咲いている。村人らはこの時期、ここで気分転換をしている。


 特別なことは何もしていない。花を摘んで渡しただけ、転びそうになった手を咄嗟に支えただけ。それだけのことだったが、アリアはその日以来、ことあるごとに俺の後ろをついて回るようになった。


 それから二年。


 アリアが五、俺が十の歳になる頃には、すっかり立場が逆転していた。


「ジンさま、これ見て!」


 得意げに差し出される、拙い花冠。下手な木彫りの人形。突き放すことは容易い。だが、俺にはどうしてもできなかった。


(女子供に冷たく当たる奴は、弱い奴だと――エドガーさんもオプトさんも、そう言っていたではないか)


 森から巨大な魔獣を仕留めて凱旋する大人たちの背中に、俺は誰よりも憧れていた。弱いと思われることだけは、何よりも恐ろしかった。


 だから今日も、俺はアリアの拙い贈り物を、両手でしっかりと受け取るのだった。


 ……―――


 同じ八つの歳、めきめきと背が伸び、腕にも力がついてきた俺に、大きな転機が訪れた。


「今日からお前に、剣を仕込む」


 そう告げたのは、マイルズ騎士団長を退いたというボルツ・ガットラムさんだった。隠居後の余暇のすべてを、この村に――俺のために割いてくれるのだという。すべては父上の頼みだったらしい。


「私からも、剣を扱う上での立ち居振る舞いと心構えを」


 コーデリアさんもまた、これまでの礼儀作法や知識に加え、剣士としての在り方を教えてくれるようになった。このとき初めて、あの厳しくも優しいコーデリアさんが、名のある剣士なのだと知らされた。とはいえ、幼い俺には今ひとつ実感が湧かなかった。剣を教えてくれる、ちょっと過保護なもう一人の母――それ以上でも以下でもなかったのだから。


 ただ一人、父上だけは、俺に剣を教えようとはしなかった。理由を尋ねても、「お前にはまだ早い」とはぐらかされるばかりだった。


(父上だって、昔は名の知れた剣士だったと聞くのに)


 その日、騎士団が使用している訓練用の広場には、ボルツさんとコーデリアさんだけでなく、父上と母上、エドガーさんにオプトさんまでもが顔を揃えていた。まるで、何かの門出を見届けるかのように。


「真剣はまだ危ない。まずはこれで慣れておけ」


 ボルツさんが差し出したのは、一振りの木剣だった。


 誰かのお下がりでも、間に合わせの得物でもない。俺のためだけに削り出された、俺だけの得物だ。


 両手で柄を握り込んだ瞬間、手のひらに吸い付くようなその重みが、自分の一部であるかのようにすとんと馴染み、胸の奥が震えた。


 ―――ああ、これだ。


 言葉にならない懐かしさが、腹の底から込み上げてくる。


 これまで見よう見まねで、小枝を振り回してはきた。構えなど、誰にも教わっていない。それなのに、両の足は自然と大地を踏みしめ、腰は沈み、剣先はひとりでに一点を見定めていく。まるで、これまでの八年間では到底積み上げようのない、もっと長く、もっと遠い年月を潜り抜けてきた者の所作そのもののように、体が勝手に出来上がっていった。


 ――――風が、止んだ気がした。


 その静寂を破るように、俺は木剣を振り抜いた。


 ヒュンッ!


 空気そのものが裂けたような音が、静まり返った広場に響き渡る。剣を習い始めたばかりの、八つの子供が放てる一閃では、断じてなかった。


「な……っ」


 息を呑んだのはボルツさんだけではなかった。エドガーさんもオプトさんも、母上でさえも、言葉を失ったまま俺を見つめている。


 ただ一人、父上だけが、何かに耐えるような、それでいてどこか誇らしげな複雑な笑みを、静かに浮かべていた。


 風の余韻が収まる中、俺はただ、握った木剣の重みだけを、確かに感じていた。


お読みいただき、ありがとうございます。

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(毎朝7時10分更新)

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