第4話 生まれてきてくれて
鍬を打ちつける乾いた音が、朝の村に響いていた。
マイルズ騎士団が村に留まってから、早くも三日が過ぎている。アルベルヴィクの本隊を待つ間も、暇を持て余す者などいなかった。
神獣ロードフェニクスが舞い降りた際に消し飛んだ街道――今は大きく窪んだだけの、異様な広場と化している――その縁を均す作業に、力仕事に自信のある村人たちとマイルズの騎士が入り交じって汗を流していた。
「ふむ。あなたの指示には無駄がありません。元々こういったお仕事を?」
あちこちの進捗状況を確認して回っているコーデリアは、ちょくちょく足を止めては興味深げにロンに質問を投げかける。
「さっきから質問ばっかじゃねぇか! 一人だけキレイな恰好しやがって、働け!」
「こういった作業は男性の仕事と相場は決まっているのです。で、なぜ――」
「俺は元々冒険者、たまに穴掘ってたってだけ! つーか、男も女も関係ない!」
「冒険者……はっ! なるほど。余計な労力を避けるため……いえ、主に獲物を傷付けずに生け捕って高く売るため、そういうことですか」
「若いのになかなか頭が回る……って、お前もうあっちいけよ可愛くねぇ」
「ふっ、冒険者に粗暴な物言いをする者が多いのはすでに知るところです。私は男性によく声をかけられています。それでその生け捕る際――」
コーデリアには、ロンの生態がいちいち新鮮に映るらしい。彼女は来訪から毎日彼に何かしらを聞き、何かしらに得心し、そのたびに小さく頷いていた。
「はっはっは! 何とも心強い。私の知らぬ間にスルトにはよい人材が舞い込んだようだ。よし、団の訓練に穴を掘る作業を加えよう」
二人のやりとりを横目に、鎧を脱ぎ捨て、土木作業員と化している騎士団長ボルツ・ガットラムは高らかに笑う。
「お仕事中、失礼いたします」
そんな三人の輪に声をかけてきたのは、糧食を抱えて村中を配り歩くジェシカ。
ロンは滴る汗を軽く拭い、手渡された糧食を口に放り込む。
「ボルツさん、紹介しよう。妻のジェシカだ」
「ロンの妻、ジェシカと申します。夫が大変お世話になっております。この度ははるばるスルトまで駆けつけていただき、改めて御礼申し上げます」
折り目正しい所作、柔らかな声。ジェシカの姿に、ボルツとコーデリアは思わず居住まいを正した。
「こ、これはこれは……こちらこそ、ロン殿には助けられてばかりです」
ボルツは改めて名乗ると共に驚きをもって頭を下げた。そのような騎士団長の平民への振る舞いは、普段ならありえない光景である。だが、そうしたくなるような、そうせざるを得ないような、不思議な雰囲気をジェシカはまとっていた。
そしてこちらも同様。コーデリアの視線はジェシカに釘付けになっている。
「私はコーデリア・レイトヘイム。マイルズ騎士団二番隊長を務めております。ジェシカ殿、落ち着いたら私と共にマイルズに来られませんか」
「え、あ……え?」
「何を言っているんだ、お前は」
三日前、村の入り口で覚えた、あの小さな違和感。まさかその根源が目の前にあるとは、さしものコーデリアでも結び付けられなかった。それを言葉にする材料はまだない。コーデリアはジェシカの持つ糧食をロンに押し付け、彼女の手を力強く握っていた。
◇
神獣ロードフェニクスがスルト村に舞い降りてから、五日後の昼。
物見に立っていた若者の声が、村中に轟いた。
「て、帝旗だ! 本隊が来たぞーーー!」
地平の向こうに立つ土煙、その中央を進む、他を圧倒する意匠の軍用馬車。村人たちは弾かれたように広場へ集まり、雪崩を打つように膝をつく。マイルズの騎士たちもまた、慣れた所作でそれに倣った。
「ウィンザルフ・ディオス・アルバート皇帝陛下、御成りでございます!」
側付きの声が響き渡ると、馬車の扉が静かに開いた。
降り立ったのは、噂に違わぬ威厳をまとう男。まだ若さの残る顔立ちに、しかしその双眸だけは、歴戦の将のように鋭い。
「――面をあげよ。此度は、大儀であった」
進み出た村長ティムルとボルツが、労いの言葉を受ける。型通りのやり取りが終わると、ウィンザルフは肩の力を抜くように、小さく息を吐いた。
「儀礼はここまでだ。皆、楽にせよ。これより余は――私用で来たことにする」
その一言に、張り詰めていた空気が緩む。ウィンザルフは供の者を最小限に絞ると、興味深そうに神獣の足跡へと歩き出した。付き従うのは、アルベルヴィク騎士団長カーライル、魔法師団長パルテール、そして先々代魔法師団長カデシュ――先の騒動で村にも名の知られた面々だった。
しばらくして、休んでいたロンたちの元へ、ボルツが声をかけた。
「三人とも、少しいいか。パルテール殿が、例の石をぜひ見たいと仰っていてな」
「お初にお目にかかります」
ロンは頷き、エドガーとオプトに目配せする。二人が唸りながら運んできた頭ほどの石が、卓の上に置かれた瞬間、パルテールの目が釘付けになった。
「これは……見たことのない石です。カデシュ老、これを」
離れた場所で茶をすすっていた老人が、杖を突きながら歩み寄る。石を一目見るなり、その手が震え出した。
「――ア、星刻石。まさか……この目で見る日が来ようとは……っ!」
その一言に、パルテールが息を呑む。
「誠か、翁」
声の主に、ロンたちは弾かれたように膝をつこうとする。
「よい、先ほども言ったであろう。今は私用だ」
ウィンザルフはそう言うと、しげしげと石を覗き込んだ。
「これが、ロマヌスの宝剣に使われた石か」
「仰せの通りにございます。星と星の衝突により砕け、遥か天より飛来したと伝承に残る幻の石。……それにしましても、この大きさは」
「ロマヌスの狂信者どもが泡を吹きそうだな」
クク、と喉を鳴らして笑うウィンザルフ。だが、その目はすぐに鋭さを取り戻し、ロンへ向けられた。
「して。村の総意として、これを余に献上したいそうだな」
ロンは静かに頭を下げた。
「直言を許す」
「はっ! この村にとって宝と呼べるものであるとは、重々承知の上にございます」
「たった今、この石の真の価値が帝国の誇る智者によって明らかにされた。市場に流せば、村はさぞ潤うであろう」
まさか献上の理由を問われるとは思わなかった。ロンの背に冷や汗が伝う。だが、ここで怯めばすべてが崩れる。
「……恐れながら、改めて確信いたしました。間違いなく、この石の噂が広まれば、村に無用な災いを呼び込みます。狙う者が現れ、村が傷付き、あげく石が誰とも知れぬ者の手に渡る恐れが。村の総意として、守り手として、それだけは避けたい故でございます」
「つまるところ、厄介払いか」
「……仰せの通りにございます」
一拍の静寂。ウィンザルフはやがて、堪えきれぬように喉の奥から笑い出した。
「クハハハハッ! よくぞ余を前にして申した、守り手よ。よかろう。古より伝わりし伝説の石、これより皇家のものとする」
高らかな声とともに、その場の空気が変わる。付き従う書記官が慌てて筆を構え、ウィンザルフは声を張った。
「宣言する。今この時をもって、スルト村、および神獣の足跡一帯を皇家直轄とし、帝国第三の聖地とする。領主ドリードには新たに子爵位と、代替としてガゼフ西方一帯を与える。現村人においては、神鳥の奇跡を目の当たりにした褒美として、末代までの租税を免除。その身に授かりし神威を、真の言葉で末代まで語り継ぐがよい!」
法が、一瞬にして書き換わる。
帝歴二八五年。新たなる聖地の産声に、村中がどよめきとともに沸き立った。
その日の午後、村長宅では今後の話し合いが持たれた。聖地となった村に何が起こるのか――巡礼者、警備の駐留、移住の制限。コーデリアの淡々とした説明に、村の者たちは存外あっさりと頷いた。慣れぬ者を迎え入れることに、この村はとうに慣れている。
「――というわけで、明日には団員の半数を連れてマイルズへ戻る。帝都駐屯隊への引継ぎと、残る団員の指揮は、コーデリア。お前に任せる。よかったな、ジェシカ殿としばらくご一緒だ」
「っ、団長! 私は子供ではありません!」
「はっはっは! では頼んだぞ、コーデリア」
むくれる部下の肩を叩き、ボルツは豪快に笑った。
夜になると、広場は祭りの熱気に包まれた。
神鳥が舞い降りた日から、聖地と認められた今日までの五日間。ティムルの一声で、これを「聖誕祭」とすることが決まった。村の開拓記念祭と合わせ、今後は村一番の祭りとして根付くことになるだろう。
褒賞の噂もあり、村人たちは気前よく酒蔵を開け放っていた。
「陛下も気前がいいもんだ! 今日は飲むぞ、ロン!」
「そうだな、税がないのは何よりでけぇ。俺は――」
「この子のために蓄えます」
隣に座るジェシカに即座に却下され、ロンは肩を落とす。
「当たり前じゃろう」
「言えたもんじゃねぇわな! がっはっは!」
村長ティムルとエドガーにまで追い打ちをかけられ、ロンは苦笑するしかない。
賑わう杯の輪の中、エドガーはロンの杯にはなみなみと酒を注ぎながら、ジェシカにはさりげなく蜂蜜水の杯を差し出す。当のジェシカも気にする素振りひとつ見せず、当たり前のようにそれを受け取っていた。
「それにしても、いい村ですね」
コーデリアがぽつりとつぶやく。
「魔物が出ないから平和、って話じゃないだろう」
「ええ。人と人との、繋がりといいますか。この温かさは、マイルズにはありません。北部開拓地は、その……あまりよい印象はなかったのです」
「だろうな」
「申し訳ありません。ですが、今は違います!」
「この村に来られてよかったと思う日々です」
ジェシカが柔らかく笑う。年の近さもあってか、コーデリアはおずおずと切り出した。
「それで、あの……ジェシカ殿」
「私ごときに殿なんて不要です。どうされましたか?」
「ごっ、ごときだなんてっ! な、なら、私のこともコーデリアと!」
「ふふっ、分かりました。それで、どうしましたか、コーデリア」
マイルズ騎士団二番隊長としての威厳も、いつもの折り目正しい立ち居振る舞いも脇に置き、コーデリアの目が輝く。
「その……お腹を触らせていただいても……よろしいですか?」
――ガタッ
その一言にロンは思わず立ち上がり、一瞬にして村人の間に緊張が走った。
(なぜ分かった!?)
子を宿してまだ五日。見た目に変化などあるはずがない――ロンはそう思っていた。冒険者として鋭い観察眼には人一倍自信があったが、女の些細な仕草に宿る意味までは、所詮男には推し量りようもなかったらしい。
しかし、ジェシカはコーデリアのこの言葉に驚きつつも、これまでにない笑顔を湛えた。
「もちろんです」
ジェシカのお腹にそっと手を当てたコーデリア。魔力感知に長けた彼女の手のひらに伝わってきたのは、魔力ではない何か。
「……温かい。これが人の持つ生命力……そのものなのですね」
「ふふ、それがこの子の魂、というものかもしれないわね」
「魂……」
(おいおいおいおいっ! それを言うのか!?)
男たちの動揺とは真逆、ジェシカとコーデリアの間には侵しがたい雰囲気が醸し出されていた。
コーデリアの瞳が、じわりと潤む。
「私にも……いつか、このような日が来るのでしょうか」
普段の凛とした彼女からは想像もつかない言葉に、ボルツが盛大にむせた。
だが、こういうとき、男の出る幕はない。
「ええ、きっと。あなたなら素晴らしい人に、巡り会えると私は思います」
二人は笑って抱き合う。その光景を、居合わせた誰もが眩しそうに見つめていた。
やがて、ロンが思い出したかのように口を開く。
「ふぅ……ああそうだ、ジェシカ。皆に、聞いてもらったらどうだ」
「そうですね。この場をお借りして、皆さま、聞いていただけますか」
ざわめきが止む。酒を片手に、村人たちが自然と輪を作った。
ジェシカは慈しむようにお腹へ手を当て、静かに――しかし、はっきりと告げた。
「この子の名前は、ジン―――」
―――ジン・リカルド
その夜、村がひとつになって沸き立った歓声は、後にも先にも、これ以上のものはなかったという。
◇
幾月かが過ぎた、ある夜のこと。
ジェシカの短い悲鳴が、丸太小屋に響いた。
「ジェシカ、しっかりしろ! 俺はここにいる!」
産婆役を買って出た村の女たちを率いる、エドガーの妻サブリナに豪快に部屋を追い出されながらも、ロンは扉の前に張り付いて必死にジェシカに声をかけていた。
「ううっ、あなた……っ」
「が、がんばれ! がんばれっ!」
外では、エドガーとオプト、それにコーデリアまでもが、所在なく行き来していた。ティムルは杖を抱えたまま、静かに祈りを捧げている。誰かがふと空を見上げ、あの夜と同じ星が瞬いていることに気づいた。
――泣き声が、上がった。
小さく、しかし力強く。
丸太小屋の壁を震わせるほどの産声だった。
「男の子よ!」
声を上げたサブリナの腕の中、真っ赤な顔をした小さな命が、精一杯に泣いていた。
「ジェシカ!!」
ダンッと、扉を激しく開けたロン。
許可なく入ろうとするロンに、サブリナと女たちの鬼のような形相が向けられ、赤子の泣き声がさらに増した。
「馬鹿! 心配なのは分かるけど、汚いあんたの手で二人に触るんじゃないよ!」
サブリナが、戸口をふさいだ。
「今のジェシカは病気に弱いんだ! それに赤ん坊も! あんた二人がどうなってもいいのかい!?」
「そ、それはよくない! し、しかしですねサブリナさん! 俺はもう心配で心配で――」
「ちょっとあんた! この馬鹿をどこかに括りつけておいて!」
「はいよ」
「うっ! てめぇらっ! はなせぇっ! えっ? ち、ちょっ、なんで俺がダメでコーデリアはいいんだよ!」
「私は全身をくまなく清めてきていますので」
「くっそぉぉぉっ!」
「今日のところは諦めろ、ロン」
「そーそー、俺たちの出る幕はねぇよ」
差し出された我が子を、震える腕で受け取るジェシカ。小さな重み、小さな熱。何もかもが儚く、それでいて何よりも確かだった。
ジェシカはその小さな顔を覗き込み、幾度もこみ上げる涙を拭いながら、ただ、笑っていた。
「ありがとう。生まれてきてくれて」
まだ言葉を持たない小さな命は、ただ嬉しそうに、母の胸へ顔を埋めた。
お読みいただき、ありがとうございました。
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