第3話 ありがたや
二日間、馬を駆け続けた一行がスルト村の入り口に差しかかった頃、空はようやく白み始めていた。
「……静かすぎるな」
先頭を行くボルツが手綱を緩め、つぶやく。壊滅した村を覚悟してきたはずが、遠く聞こえてくるのは悲鳴ではなく、笑い声だった。
「何かが、あった。というより――何かが、終わった後のようですね」
コーデリアも馬上で目を細める。だが、それが何なのか、一行の誰一人として知る由もない。
時は、二日前まで遡る。
◇
――瑠璃色の鳥は消えた
辺りを包んでいた圧倒的な気配と光も失せ、元の村の姿へと戻っている。
恐る恐る様子を探りながら顔を出し、ぽつぽつと村人たちが外に出てきた。村長のティムルもまた杖を突きながら出てくるが、いまだそこにある光を囲む四人の元へ歩み寄る。
小さく、そして形を持たぬ柔らかな光が、ジェシカの手のひらで揺らいでいた。
わけが分からぬままそれに釘付けとなっているエドガーとオプトだったが、後の二人は違う。
言葉がなくとも、ジェシカとロンだけがこの光が何なのかが分かっていた。
「ロン」
「アイツのせい、なんだろうな……ったく、ありがてぇことに、俺の役目だと確信しちまってる」
「で、でも……本当に……」
ためらうジェシカの不安を拭うようにロンは微笑み、ジェシカの両手に自分の両手を添え、ゆっくりと彼女の体内へ光を誘った。
――ガクッ
「お、おいロン!?」
「どうした!」
「あなたっ!」
光がジェシカの体内へ導かれたと同時に膝から崩れ落ちたロンを見て、三人は慌てふためく。
「はぁっはぁっ……案外気前がいいんだな……ははっ、安いもん……だ……ぜ」
軽口を叩くと同時にロンは地面へと倒れ込み、顔から血の気を失わせてそのまま意識を手放した。
命を宿すということの代償を、暗い意識の中で理解していた。
「ロン!」
「おい、しっかりしろ!」
ロンを抱き起こすエドガーとオプト。気を失っているだけだと安堵したのもつかの間、その手を握り締めていたジェシカもまた、足元がおぼつかなくなってゆく。
「あっ」
「っ、おいおい、ジェシカもかよっ!」
―――事は成った
ジェシカが気を失った瞬間、瑠璃色の光をまとう一陣の風が村全体に行き渡った。
大いなる力に包み込まれるような、そのような感覚。
その瞬間、老若男女、村人全員がまるで若返ったかのように精気が満ち、抱えていた病や怪我が忽然と消え去っていた。
「おいエドガー! ジェシカを見てみろっ!」
「ま、まさか……すまんジェシカ、腕まくるぜ!」
ロンと同様に、ジェシカの黒瘴病を恨み抜いていた旧知の二人。
あちこちで上がる村人たちの歓声を聞き、木製の軋む寝台にロンとジェシカを横たえた二人は、彼女の身体の異変をすぐさま察知した。
「斑点が……ない!」
「ははっ、ウソだろ……これは治ったってことで、いいんだよな!?」
「そうであってほしい、いや……これは絶対に治ってる! 違いねぇ!」
「ううっ! よかったなぁ、よかったなぁ……二人とも」
「ロンてめぇ……早く目ぇ覚まさねと承知しねぇぞ」
瑠璃色の風は、黒瘴病をも吹き飛ばしていた。
―――頂きにて 其方を待つ
事はほんの数分――いや、一瞬だったと言ってもいい。
しかし、この出来事は大陸全土に衝撃と畏怖をもたらす、伝説の夜として刻まれることになる。
村中が歓喜に包まれる中、様子を見回っていた村長のティムル。
年月と共に剥がれ落ちていったはずの力を持て余さんとばかりに、突いていた杖を肩に担ぎ、瑠璃色の鳥が降り立ったであろう大きく窪んだ着地点へと足を運んでいた。
「むむ、これはまた見慣れぬの」
そこで見つけたのは、松明の灯りとはまた異なる、明滅する薄桃の光点が所々にちりばめられた、それはそれは美しい石だった。
「なんじゃこれは……今の儂でも重すぎて持てんとは。後で若い衆に運ばせるとするかの……ふぅ、どっこいせっと」
ティムルが腰かけたその石。
その正体を知るまで、間は長くない。
「神代よりおわす、八神の御一柱。あれこそ、神鳥様に相違ない。ありがたや、ありがたや」
ティムルはポツリと、この地に伝わる古い伝承の名を口にした。
◇
歓喜に沸いていた村が我に返ったのは、ティムルの一喝によってだった。
「――喜ぶのはここまでじゃ。よいか、皆の衆。子の件は他言無用じゃ」
「村長?」
「考えてもみるがええ。神鳥様が人の子を授けたなど帝都、ましてや旧王都の大聖堂に知れれば、ジェシカだけではない。その子は一生、檻の中で数多の人間に拝み続けられるだけの存在となるやもしれぬ」
ロンとジェシカの顔が強張る。
「儂は確かに神鳥様を信じておる。じゃが、ありがたがられるばかりの生が、その子の幸せとは到底思えんのじゃ」
ティムルの意見に皆が頷き、ロンはうつむいて肩を震わせ、ジェシカは必死に涙をこらえていた。
「ワシらも村長とおんなじじゃ。んじゃけど、こんな田舎でも、ここはマイルズのご領主さまの土地でさぁ」
「そだそだ。あと、二日、いや下手すれば明日にもあのボルツさんがぎょうさん仲間引き連れて見に来るで。何があったか、必ず聞かれる」
「分かっておる。ガットラム団長殿には昔何度か世話になっとるからの。かの御仁ならば必ず駆けつけてくださるじゃろう。嘘はつけぬ。だからこそ、皆で神鳥様への感謝を伝えるのじゃ」
ティムルは杖の先で地面を打ち、皆を見渡した。
「儂らはずっと森を切り開きながら、怪我や病を抱えた者を数多く迎え入れてきた。そして数多く見送ってきた。死病の最期の惨たらしさは皆も知る通りじゃろう。それでも、儂らは受け止めて生きてきた。誰にも恨み言ひとつ言わずに……の」
重くのしかかるティムルの言葉。
そう、このスルト村は魔素が薄いという特質上、病の進行、怪我の悪化を遅らせることができる場所と言われていた。
しかし、転ずればそれは、「終わりの場所」とも言えるのである。
「神鳥様は儂らを……この村を哀れに思し召されたのじゃ。それをなぜ哀れまれたと誰ぞ問われたところで、神の御心を人間が推しはかることなぞできようか。儂らはそう信ずるだけではないか。そうは思わぬか、皆の衆」
「……違いねぇ」
「神鳥様のお考えなんて俺らに分かるわけがねぇんだ」
「んだんだ!」
「万が一の場合、ジェシカの子については皆と同じ、癒しの奇跡の一環ということにしましょう。長らく子を……その……望めぬ身体でしたから、これも神鳥様のお慈悲だと」
「皆さん……本当にありがとう……本当に、ありがとう……」
「気ぃ使わせてすまねぇ、村長、みんな。もし運悪く感づかれて手ぇ出してくる奴がいたら、騎士だろうが神官だろうが、俺が責任をもってぶっ殺す」
「「馬鹿かてめぇ!!」」
エドガーとオプトの怒気で場は幾ばくか和んだ。
ロンは冗談ではなく本気で言ったのだが、もはや迷いはない。
困った顔で見上げているジェシカの肩を、ロンはそっと抱いた。
「俺たちの子だ。きっと強い子になる。自分で真実にたどり着くだろうさ」
「そうですね」
「安心しな、このエドガー様が鍛えてやるからよ」
「ばっか、頭悪くなるだろう。俺に任せな二人とも」
「……表出ろ、切り刻んでやる」
「はっ、脳天に風穴あけてやるぜ」
◇
二日後、ようやくスルト村にたどり着いた一行を迎えたのは、変わり果てた村ではなく、一介の開拓村にはない晴れやかな村の風景だった。
「帝都から言われた通りの惨状を覚悟していたが……」
ボルツのつぶやきに、出迎えたティムルが深く頭を下げる。
「よくぞ、はるばる来てくださった。ご立派になられましたのぉ。あの頃はまだ」
「ははっ、もう任官して十年ですよ。ご無沙汰しておりました、ティムル村長殿」
ティムルは、村総出で幾度も擦り合わせた言葉で、あの夜の出来事を語った。長年病人を見捨てず生きてきたこの村を、神獣が哀れに思し召し、癒しの奇跡を授けて去っていった、と。
「村長殿もかの神獣……だとお考えで」
「いかにも。村の皆もそう信じて疑うておりませぬ。ましてや誰一人として怪我などしておりませぬな」
ティムルの言葉に、兵たちの間にどよめきが広がる。二日間張り詰めていた緊張が、安堵に変わっていく音だった。
コーデリアだけが、笑顔で語るティムルの奥に、ほんの小さな影を見た気がした。
(確かに原因すら分からなかった黒瘴病を、一瞬で治す力なんて奇跡としか言えない……でも、本当に、それだけ?)
だが、それを言葉にする材料は何一つない。コーデリアは小さく息を吐き、その違和感を胸の奥へしまい込んだ。
村の広場では、騎士と村人の隠しきれない歓声が、幾度も風に乗っていた。




