第21話 星なき銀に梢は揺れて
まだまだ途上のこの魔法。それでも、常紅樹の歩みは一歩ごとに確かさを増していった。
道を逸れるたびに大枝が並木を薙ぎ倒しかけ、慌てて歩みを止める羽目になることもある。やはり木が歩く、という想像は、想像でしかないのかと思い知らされる。
だが、ゆっくりと、一歩ずつ歩を進めるうち、根の運びも、幹の傾け方も、俺の思い通りに動かせるようになっていった。
その速度も次第に上がり、幾本もの極太の根が蠢きながら地を滑っていく様は、何とも奇妙で滑稽だ。見方によっては愛嬌がある、とさえ思えてくる。
そうして歩みを進めるうちに街道へ出たが、当然ながら、穏やかな道中とはいかなかった。
最初にすれ違った行商の荷馬車は、御者が悲鳴を上げて手綱を放り出し、荷馬もろとも脇道へ転げ込んでいった。
次に行き会った旅の老爺は、腰を抜かしたかと思えば、震える手を合わせ、道端に小銭を置いて拝み始めた。
「あ、いや、その」
声をかけようとしたが、老爺はすでに一心不乱に何事かをつぶやいている。詫びる機会もなく、俺たちはそのまま歩みを進めるしかなかった。
(ご神木、とでも思われたか……)
困惑と気恥ずかしさが相半ばする感情を抱えながら、マイルズの城壁が見えてくる頃には、俺の胸中は別の緊張に取って代わられていた。
東門に近づくにつれ、見張り台の鐘が乱打された。
「て、敵襲だああああっ! 化け物だ、化け物が来たぞおおおっ!」
あっという間に、槍を構えた門兵たちが横一列に並び、盾を連ねて包囲網を敷く。物々しい怒号が飛び交う中、俺は慌てて前へ進み出た。
「待たれよ! これは魔物ではありませぬ!」
「下がっていろ小僧、巻き込まれるぞ!」
誰も聞く耳を持たない。見張り台から、恐慌に駆られた誰かが弓を引き絞り、矢を放った。
常紅樹の幹めがけて飛来するそれを、考えるより先に叩き落としていた。抜き放った舶刀の一閃が奔り、乾いた音が門前に響き渡る。辺り一帯が、水を打ったように静まり返った。
「この木は、マイルズ冒険者ギルドマスターへの品! 傷の一つでもつけるならば、相応の覚悟を持っていただきたい!」
声を張り上げると、門兵たちの動きがぴたりと止まった。
「な、なんだと……」
「真偽を疑うのであれば、エドワード・ギムル騎士団長殿にこのジン・リカルドの名を出していただいて構いませぬ!」
畳みかけるように名を出すと、隊長格の男の顔からみるみる血の気が引いていった。
「……げ、下げい! 武器を収めよ!」
号令一下、隙なく並んでいた槍衾が崩れる。安堵の息を吐く間もなく、俺は常紅樹へと向き直った。
「さあ、行くぞ」
門をくぐる、その一挙手一投足は、常紅樹自身の意志に委ねる。梢をわずかに傾け、太い根を折り畳むようにして身を屈め、巨躯がゆっくりと城門の下をくぐり抜けていく。見上げていた門兵たちが、思わず後ずさりながらその様を見送った。
門と中央大通りが直結しているこの街の構造には助けられた。細道であれば、家々の軒先を擦りながら進むしかなかっただろう。
「おかーさん、みてみてー! でっかい木が歩いてるー!」
「どぅわぁぁぁぁっ! 何事だこれはーっ!」
練り歩く大樹に何事かと方々から見物人が押し寄せ、驚きと感嘆をもってその巨躯を見上げていた。傍で寄り添う俺の存在は気づかれにくいらしく、声をかけられることはない。
荷車や馬車、門へ向かう人々には申し訳ないが、回れ右していただくほかない。これもすべてギルドマスターの沙汰ゆえ、ご容赦願いたいところだ。
おっかなびっくりの大人たちに比べ、子供たちの順応は早い。先入観がない分面白がっているらしく、甲高い笑い声が大通りを満たしていく。
ならば、応えぬわけにはいかない。大樹の歩みを止め、根へ魔力を通す要領で、頭上に広がる大枝をかすかに震わせた。
さざめく葉擦れの音とともに、役目を終えた紅葉がぶわりと空へ舞い上がり、大通り一面へ鮮やかに降り注ぐ。息を呑むような朱の雨に、あちこちから歓声が上がり、通りは一瞬にして祭りのような熱気に包まれた。
(うむ。皆が喜んでくれた。母上への手紙に書き添えねばなるまい)
ギルドの裏庭に着く頃には、人だかりが黒山になっていた。
ギルドの門はさすがにくぐれず、裏庭の塀をまたがせるようにして根を滑り込ませた。慌てふためくギルド職員たちだったが、事の成り行きを耳にしていたのか、呆然と見守るばかりで止めようとはしない。
当然だ。なんせギルドマスターの―――
土を割るようにして、太い根が静かに沈み込んでいく。わが友――常紅樹が、確かな重みをもってその場に根付いていく。見守る群衆から、どよめきとも歓声ともつかぬ声が上がった。
新たな宿へ、無事に根を下ろしたその姿を見届けると、張り詰めていた何かがぷつりと切れた。
気づけば俺は、根元にもたれかかるようにして、意識を手放していた。
……―――
次にまぶたを開けたとき、真っ先に映ったのは、呆れと苛立ちが綯い交ぜになった壮年男の顔。
「……ようやくお目覚めか」
声にたっぷりととげを含ませ、その男は俺を見下ろしていた。
「これは、失礼を……どれほど眠っておりましたか」
「丸一日だ、丸一日。おかげでこっちは、裏庭を潰されるわ、見物人は押し寄せるわで、てんやわんやだ」
見物人が押し寄せるだろうことは、町の門をくぐった時点で察しがついていた。先代には申し訳ないことをしてしまったが、背を預けるわが友の威容を見上げると、少しは贖罪できた気分だ。
さっそく町の名所となったわが友は、はじめこそ「ご神木」と拝まれていたが、じきにもっと気安い「木霊様」呼びが定着し、大層な人気を博しているそうな。
「よく根付いて、安心しました」
「もう、かける言葉が見つからねぇ……ったく」
ギルドマスターはほとほと困り果てたのか、ガリガリと頭を掻いて言葉を選んでいる。
俺は立ち上がり、居住まいを正した。
「これで……御沙汰は果たせた、ということでよろしいでしょうか」
「ちっ……ああ。言い出したのは俺だ。ここまでやらかすとは思わなかったがな。騎士団からも、怪我人が出てねぇ以上はお咎めなしだとさ。……あの食えない狸まで味方に引き入れてやがったとは、手回しのいい小僧だぜ」
「狸? はて」
首をかしげる俺を、ギルドマスターは胡乱な目で見つめた後、ふんと鼻を鳴らした。
「とにかく!」
ギルドマスターは切り替えるように背筋を伸ばし、あの眼力で力強く俺を見据えた。
「俺は、マイルズ冒険者ギルドマスター、レイモンド・オルグレンだ。レイモンドと呼べ」
「よろしくお願いします。レイモンドさん」
「よく来たな、ジン・リカルド。お前はもう、冒険者だ」
……―――
レイモンドさん直々の手はずにより、俺は改めてギルドの窓口に足を運んだ。
職員らの俺を見る目は様々だったが、概ね悪くない印象のようで、ひとまずは安心といったところだろう。厄介者扱いされては動きづらくなってしまう。
「あなたは……」
「マイルズ冒険者ギルドへようこそ。ジン・リカルド様」
受付の席に、俺が風で脅したあの女性が座っていた。
聞けば、俺を試したあの三人。適性評価室、とかいったか。無事に沙汰が果たされたことで、不始末は不問にされたと聞いた。
「私がマスターに直接異動を願い出たんです。評価官なのに、あなたのことを何も見抜けませんでしたから」
「……」
「あとの二人もそれぞれ別の部署へ移りました。ああ、気にしないでくださいね。感謝こそすれ、恨むなんてありえませんから!」
そう言って身を乗り出してくる女性――ヴァネッサさんは、からりと笑った。腕っぷしを見込まれて評価官を務めていたそうだが、今回の件を機に、受付窓口から一から学び直すと決めたらしい。
元を正せば俺の過信、失態が招いたことだが、その前向きな笑顔に、これ以上の気兼ねは野暮というものだろう。
「承知いたしました、今後とも、よろしくお願いいたします」
「はい、こちらこそ!」
ヴァネッサさんは会心の笑みを浮かべ、手元に用意されていた冒険者プレートを窓口の台へと置いた。両端に細い銀鎖が通されており、首から下げる仕様となっているようだ。
「このプレートは冒険者の証であり、あらゆる町で身分証として機能します。この町に入るとき、木札を交付されましたよね?」
「ええ、これです」
俺は懐から札を取り出し、ヴァネッサさんに手渡した。
「こちらはギルドで返却しておきますので、今後はこの冒険者プレートを肌身離さず、お持ちになってくださいね」
受け取った銀板は、手のひらでひんやりと重い。
表面には何も描かれておらず、鏡のように磨かれた平野が広がり、裏面にだけ『ジン・リカルド』の名が刻まれていた。
細い銀鎖を頭から通し、首へとかける。胸元に落ちた冷たい銀が、トクン、と跳ねた鼓動に合わせてゆっくりと体温を吸い込んでいった。
――ここからだ。
誰の庇護も、敷かれた道もない。己の足で世界に立つための証。
この無地の板に、俺は何を刻んでゆくのか―――楽しみで仕方がない。
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