第19話 根も葉もある
答えを出すより早く、両方の『外』が雪崩れ込んできた。
まず扉が蹴破らんばかりに開き、悲鳴を聞きつけた職員や冒険者たちが我先にと押し寄せる。同時に窓の外では、両断された立木を指差し、口々に何事かと騒ぐ野次馬の声が膨れ上がっていく。
「な、なんだこの有様は……」
「あの木が……あの木がぁぁっ!?」
妙なことに、人の生死より木の心配をする声のほうが多い。違和感を覚えつつ室内を見渡すと、腰を抜かしていた男性職員の一人が、震える手で床を突っ張りながら立ち上がった。
「お、お前ら、早く庭を見てこい……! まさかとは思うが……」
「え、あの木って、まさか……」
三人の顔から、みるみる血の気が引いていく。俺一人が状況についていけず、ぽつんと取り残された恰好だった。
(そんなに、まずい代物だったのか……)
押し寄せた野次馬の一人が、震える声で答え合わせをしてくれた。
聞けば、両断した立木は、街中でも珍しい通年の常紅樹――季節を問わず紅く色づき続ける、いわば生きた目印だったらしい。塀越しに見えるその梢は、待ち合わせの目当てにも、ここが冒険者ギルドの裏手だと知らしめる看板の代わりにも使われてきたという。
(やってしまったようだ。母上、申し訳ありません。息子は腹を切らねばならぬやもしれませぬ。先立つ不孝をどうか、お許しください)
得心がいくと同時に、腹の底がすっと冷えていく感覚があった。
「私が悪いんです……私が、あんな無茶を言わなければ……」
女性職員が顔を覆って震え始めた頃、廊下の奥から、静かな足音が近づいてきた。
人だかりが、波が引くように左右へ割れる。
現れたのは、五十路を数えて間もないと見える一人の男だった。無駄な肉の一切ない、鞭のようにしなやかな長躯。歳月に灼けた肌と、隅々まで見通すような目つきが、ただの事務方ではないと物語っている。
「……で、誰が何をやらかした?」
声は低く、それでいてどこか飄々としていた。誰何された三人が我先にと弁明しようとするのを、男は片手で制する。
「いや、いい。見りゃ分かる」
男の視線が、俺の立ち姿へ流れる。乱れた服の下に覗く右腕の古傷、無駄のない重心。値踏みするような一瞥は、ほんの瞬きの間に終わった。
「――見ない顔だが……そこそこ修羅場はくぐってるな、坊主」
図星を突かれ、思わず息を呑む。初対面の相手に見透かされる心地は、あまりよいものではなかった。
「ギ、ギルドマスター……!」
誰かが叫んだ言葉で、ようやくこの男の身分を知る。マイルズ冒険者ギルドを統べる長。この街の頂に立つ男の一人が、よりにもよって俺の粗相の後始末に自ら足を運んできたということだった。
「これはご無礼を。ジン・リカルドと申します」
「……冒険者でもないお前の名に興味はねぇ。まずは、あの木の話だ」
(やはりお怒りか……どんな沙汰が下されるか)
ギルドマスターは窓辺に歩み寄ると、無残に倒れ伏した常紅樹を一瞥し、深く息を吐いた。
「あの木はな、先代のマスターがよそから取り寄せて、手ずから植えた自慢の一本でな。そこらには生えねぇ珍しい品種だ。薬草学者がわざわざ見物に来るくらいはな」
その一言で、先刻の野次馬たちの反応の意味が、ようやく腑に落ちた。あれは単なる看板ではなく、この街とギルドが誇る自慢の種そのものだったのだ。
「申し訳、ございませんでした」
深く頭を下げる。詫びの言葉一つで済む話ではないと分かっていたが、他にできることもなかった。
「弁償の儀、いかようにも……」
「金の話はしてねぇよ」
顔を上げようとした矢先、その声に遮られた。
「……金の問題じゃないことは、分かるな」
もっともな理屈だった。だが、それでは俺はどうやって落とし前をつければいいのか。
「な、ならどうすれば……」
女性職員が、蒼白のまま口を挟んだ。
「マスター、これは私の失態です。彼に責は……」
「お前の失態は後で聞く。並べ」
にべもない一言に、女性職員が肩を落とす。他の二人も同罪だとばかりに並ばされ、ギルドマスターの視線がぐるりと四人分――三人の職員と俺――を巡った。
「なぁ坊主。俺ぁ死んだ英雄より、泥をすすってでも生き延びた新米のほうを買う質でな」
唐突な物言いに面食らったが、続く言葉で得心する。
「同じ木を、植えてこい」
「……同じ木、でございますか」
「街の東の森に、あれと同じ常紅樹が自生してる。同じだけ育った奴を見繕って、同じ場所に根付かせろ。それができたら、水に流してやる」
俺は、その言葉を聞いた瞬間、背筋が震えた。
理不尽な沙汰にではない。切腹を免れた安堵でもない。
なぜか胸の奥で渦巻く熱が、そうさせていた。
「必ずや、果たして参ります」
「期限は一月。それを過ぎれば、このギルドの敷居は二度とまたがせねぇ」
「承知。……ただ、恐れながら一つだけ、お願いがございます」
「頼みごとができる立場だと思ってやがるのか。……まぁいい、言ってみろ」
「御沙汰を全ういたしました折には、こちらのお三方は不問に付していただきたく」
「なんだと……!」
俺からの予想だにしない願いに、ギルドマスターは額に青筋を立てて三人を睨みつけ、しばしの沈黙の後、鼻を鳴らした。
「いいだろう。この者らの処分はいったん坊主に預けてやる」
「ありがたく!」
「あ、あのっ! 私も何かお手伝いを―――」
俺は早速森に向かおうと扉に手をかけたところで、女性職員がおずおずと声を上げてきた。
「ありがとうございます。ですが、これは私に下された沙汰です。お構いなく」
「で、ですがっ!」
「あ、では、こうしましょう」
「はい!」
「……このお部屋、お任せしてよいですか?」
ぽかんと口を開けて固まる三人。
俺が意気揚々と部屋を出ると、マスターの怒声がギルド中に響き渡った。
「さっさと片づけんかーっ!」
「はぃぃぃぃぃ!」
……―――
「ジン・リカルド……元六星ロン・リカルドの息子にして流星の愛弟子……か。ふっ、ボルツの奴め、とんでもねぇのを寄越しやがる」
折れた木を眺めつつ、執務室で煙草をくゆらせるレイモンド。その口角はかすかに上がっていた。
◇
街の東に広がる森は、伐採の手が入らぬまま長い年月を重ねてきたと聞く。
庭師を雇う金子など元より持ち合わせておらず、まして母上から託された布袋には、これから積み上げていくべき軍資金がそのまま眠っている。安易に切り崩す気にはなれなかった。
(己の頭と足で、か)
ならばやることは一つ。まずはこの目で常紅樹を探し、運ぶ算段はその後で考える。木一本を丸ごと運ぶとなれば荷車も入用だろうが、それすらも借りる当てはない。
東の門番に木札を見せて門を抜け、舶刀、木剣、弓の帯を締め直す。
街道へ躍り出るなり、俺は身体を前へと滑らせた。
マイルズまでの道中で練り上げた歩法を、そのまま疾走へと昇華させた独自の走法だ。
地面の反発を流れるように前進力へ変えて加速するその速度は、並の馬なら置き去りにするだろう。
すれ違う行商人たちの驚きの視線を背に受けながら、駆け続けた。額に浮いた汗が伝い落ちる頃、木々の深緑が濃くなったところでスッと足を緩め、静かに息を整えた。
「ふーっ……ここか」
半日もかからずに森の入口へ着けたのは僥倖だ。中天の日の位置を確かめ、俺はそのまま鬱蒼とした木立の中へ足を踏み入れた。
その瞬間――肌を撫でる空気が粘つくように重くなり、胸の奥に小さなとげが刺さるような違和感が走った。
(……まぁ、いるだろうな)
わずかにざわめく魔素の気配に警戒を強めつつ、俺は舶刀の柄に手を添え、森の深部へと進んでいった。
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