第18話 魚はうまい、気はまずい
あれから幾日も経たぬうちに、俺は訓練場の空気にすっかり馴染んでいた。朝駆けの型稽古、座学、対複数の実戦――代わり映えのない毎日のはずが、飽きるどころか、日を追うごとに手応えが増していくのを感じていた。
だが、どれほど心地よい時にも、終わりは訪れる。
体験入団、最後の一日。
いつも通りの朝稽古を終えた頃、ロドリックさんが木剣をしまいながら、いつもよりいくぶん早口で切り出した。
「今日で、最後か」
「はい。此度は、お世話になりました」
「よせやい、他人行儀な物言いはよ」
ロドリックさんは、ばつが悪そうに頭を掻いた。
「……俺に息子ってもんがいたら、こんな気持ちになるのかもな」
「ロドリックさん……」
「あー、ガラにもねぇこと言っちまった! じゃあ、達者でな、ジン!」
そう言い残すと、ロドリックさんは満足そうに笑って、逃げるように背を向けた。名残惜しさを誤魔化す背中に見えた。
「お前ほど、機を掴む早さを持つ者は、そうそう見られるものではない。……この先、どこでどう戦おうとも、その目だけは曇らせるな」
「――肝に、銘じます」
ベンジャミン隊長は満足げにうなずくと、太い腕を組んだまま、静かに踵を返した。武人らしい素っ気なさが、かえって胸の奥に染み渡る。
最後に、エドワードさんとボルツさんが並んで歩み出てきた。
「君が名を上げる日が楽しみだ」
エドワードさんが目を細めて言う。
「我々の扉が閉ざされることはない。それだけは、覚えておいてくれ」
「ありがたきお言葉」
「今日ばかりは、見送りに徹するとしよう」
軽く笑って、エドワードさんは一歩下がった。俺はボルツさんのもとへ歩み寄る。
「重ね重ね、お世話になりました」
「俺がそうしたいと思っただけだ。今更だろう」
ボルツさんは腕を組んだまま、しばし黙って俺を見下ろしていた。七年前、初めて木剣を手渡してくれたときと、同じ目だった。
「お前の父と奥方殿には俺から伝えておく……立派に育っていた、ってな」
「……師匠。行って参ります」
「ああ、行ってこい」
ボルツさんはそれ以上何も言わず、大きな手のひらで俺の肩を一つ叩いた。ただそれだけだったが、他のどんな言葉よりも重かった。
次に会うのは、いつになるだろうか。そう思いながら、俺は深く頭を下げた。
……―――
大通りを一人で歩くのは、マイルズに着いた日以来だった。
マイルズに来てからというもの、騎士団で過ごす間は、ボルツさんか団員の誰かしらが、常に傍らにいた。振り返れば、村を出てから今日この日まで、誰かの背を追わなかった日など、一日もなかったように思う。
ふと、腹の虫が鳴いた。
見れば、大通りの端に、炭火の煙を立ち上らせる屋台が並んでいる。串にパンに汁物に、より取り見取りだ。その中でも今の俺が欲しているものは―――
「お兄さん、香渓魚はどうだい。今ちょうど焼けたところだよ」
俺の視線をいち早く察した店主に声をかけられ、足を止める。騎士団員から聞いていたマイルズの名物だ。漁獲量が多く値も安く、それでいて滋養も高いと聞いていた。露店に出回るのは小ぶりなものばかりらしいが、俺に比べる術はない。
焼けた脂の下から、若草や熟れた果実のような、清々しい香りがほのかに漂っている。俺は迷わず赤銅貨を二枚渡し、串を受け取った。かじりついた身は淡白でありながら、鼻に抜ける香りだけが妙に濃い。
(これは、よいものを知った)
「いい食べっぷりだねぇ。どうだい、もう一本なら半額にしてあげるよ」
柔らかい骨ごとかみ砕いて腹に収める。あっという間に消えてしまった。商売上手な店主の口車に乗り、もう一本を購入。かじりつきながら再び歩き出した。
そして間もなく到着した、マイルズ冒険者ギルド。
この地方を統括する本部だけあって、想像以上の威容だった。吊り滑車を操る男たちの威勢のいい声が荷受け場に響き、荷を検める商人らしき身なりの者が書類を片手に右往左往している。
開け放たれた大扉からはひっきりなしに人が出入りし、その賑わいに胸が高鳴った。
「どけよコラ!」
「痛ってぇな、てめぇ!」
喧嘩になる寸前で仲間が仲裁に入り、大事には至らなかったようだ。こういった小競り合いも日常茶飯事なのだろう。スルト村では滅多にお目にかかれない光景だ。
ふと、村に置かれるという支部のことが頭をよぎった。確か帝都アルベルヴィクのギルドの支部だったはずだ。より近いマイルズの管轄ではないのかと若干気になったが、今考えても詮ないことだと、意を決して敷居をまたいだ。
(ほぉぉぉ……)
騎士団本部や宿舎の洗練された総切石積みとは異なり、こちらは木骨造の武骨な佇まいだ。中央にずらりと並ぶ受付を起点に、扇状に様々な窓口が配置されている。奥には螺旋階段が上階へと伸びており、なかなかに凝った意匠だった。
目にするものすべてが新鮮で、大量の依頼書が貼られた掲示板の前には黒山の人だかりができている。危うく吸い込まれそうになるところで、ようやく自分が何をしに来たのかを思い出す。
受付に掲げられた札を見比べ、目的の窓口へと足を向ける。
「おはようございます。新規の登録ですね?」
「あ、おはようございます。そうです」
挨拶の先手を打たれ、思わず意表を突かれてしまった。
「文字の読み書きは通じておいでですか?」
「はい、一通りは」
「では、こちらの書類にご記入をお願いします」
「あ、はい」
「あちらの台をご利用ください」
定型化されているのだろう、受付の女性は淡々と手際よく作業をこなす。大都市の機能美に、また一つ感心させられる思いだ。
「ふむ」
案内された台の上で書面に目を通す。名を記す欄から始まり、使用する得物、魔法の有無、使用する場合の系統。そして最後は「何ができるか」という問いが並んでいた。ここだけが妙に曖昧な聞き方だ。間違いなく、この欄の記述が評価の肝になるのだろう。
また、虚偽の記載があれば不利な処分を受ける旨の注意書きも添えられていた。
(嘘を吐く必要があるのか……?)
そんな疑問を抱きつつ筆を走らせ、空白を埋めていく。紙の質が非常によく、滑るように書きやすい。これを作った職人殿に会ってみたくなるほどだ。
書き終えた書類を手に窓口へ戻り、順番を待つことしばし。
「お前、字書けるの?」
「よ、読めるっ」
(ああ、そこから嘘が始まるのか)
俺と入れ違いで台へ向かった二人組の密談が耳に届く。早くも注意書きの意図を察してしまった。
「あの、何か問題が?」
「い、いえ! 失礼いたしました。とても美しい筆跡でしたので、つい……」
「……それはどうも」
提出された書類を前に固まっていた受付の女性。そこを褒められるのかと一瞬面食らったが、母上の厳しい手習いのおかげに違いない。
「あの、リカルド様」
「はい」
「別室に来ていただけますでしょうか。確認させていただきたいことがございます」
そう促され、同階奥の部屋へと通された。俺の前の男は「二日後にプレートを取りに来い」と言われていたはずだ。何か不審がられているのだろうか。
そうして待つこと、またしばし。
統一された制服をまとったギルド職員の男女三名が扉を開け、俺の前に仰々しく居並んだ。先刻の女性の姿はない。三人は『適性評価室』なる部署の所属らしく、値踏みするように俺を見定めている。
「リカルドさん。この、扱う魔法の欄なのだが……三つ記載しているね」
「はい」
「それぞれ、どの汎用魔法に該当するのかな」
「……はい?」
情けないことに、質問の意図がまったく理解できなかった。
見栄を張っても仕方がない。素直に聞き返すと、質問者以外の二人から失笑が漏れた。
若干呆れられながら教わったところによれば、「汎用魔法」とは体系化され広く流通している術式の総称で、大半の魔法師はそれを基礎に戦うらしい。初耳だった。師匠たちからそんな話は一度も教わっていない。
だが、よく考えればそれも当然だったのかもしれない。母上の治癒魔法を除けば、師匠たちが身体、武器強化や感知以外の魔法を使っているところを見たことがないのだ。俺が初めて風を刃として扱ったときも、全員が心底驚愕し、「お前にしかできん」と口を揃えていた。
教えなかったのではない。教えようがなかったのだ。
「では……そうだね、風の魔法を見せてもらえるかな」
「あ、はい」
促され、俺はぐるりと部屋を見渡した。俺の風断は対象を切り裂いてこそ真価が分かる。ただ宙に放つだけでは、突風が吹き荒れるだけだ。
「どうしたんだい?」
「あの、何か斬ってよい標的はありませんでしょうか」
「え? 切る? 風なんだよね?」
「はい、確かに風です」
怪訝な顔をされて若干腹が立ったが、それを表に出すほど子供のつもりはない。あれこれと説明を試みたものの、三人は信じられないと首を横に振るばかりだった。
「なら、私に撃ってみて」
「……はい?」
「いいから。こう見えても、ギルド内じゃ身体強化は得意なほうなのよ」
「はぁ……職員殿がそう仰るなら従いますが」
言われるがまま女性職員へ手のひらを向けるが、どう見ても適切な強化魔法をまとえているようには見えない。魔力の膜が薄く、関節の補強も粗い。これでは刃が通ってしまう……では済まない。両断してしまう。
「あの、その強化では死にますよ」
「……へ?」
「撃ってよいと仰るなら撃ちますが、責任は負いかねます」
侮られるのも大概にしてほしいものだ。少しばかり語気を強め、俺は手のひらに全力で風を収縮させた。
書類が嵐のように部屋中を乱舞し、窓掛けが激しく引き裂かれんばかりにたなびく。軋む机、壁へ激突する木製の椅子、派手に横倒しとなる書類棚。瞬く間に、俺の手の中に凝縮された暴風の刃が完成した。
これを、鎌鼬のごとく―――
「お覚悟」
「ひぃぃぃぃっ!」
「ま、待てぇぇぇっ!! 止まれ、私たちが悪かった!!」
男性職員が青ざめた顔で標的の前に立ちはだかる。少々やりすぎたかもしれないが、一度練り上げてしまった暴風は、放つ以外に霧散させる術がない。
俺はたなびく窓掛けを手で払いのけ、窓を全開にして外の虚空へと力を解き放った。
不可視の刃が空気を切り裂き――ズンッ、と重い音を立てて中庭の立木が上下に両断され、巨大な幹と枝葉が地響きを立てて倒伏した。
「なんだ、最初からこうすればよかったですね」
振り返ると、暴風の爪痕が生々しい部屋の中央で、三人の職員が涙目で腰を抜かしていた。
窓の外からは真っ二つになった立木への悲鳴が、扉の向こうからはドタドタと駆け寄る無数の足音が響いている。
……どちらの『外』から先に謝るべきか、少しばかり悩ましいところだった。
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