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異世界剣風録~その少年は、自分が武士だったことを知らない~  作者: 詩雪
第二章 マイルズ編

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第17話 白む空に忍ぶ暗流

 翌朝、東の空がまだ白む前から、俺は一人、訓練場で型をさらっていた。


「うおっ……もう始めてんのかよ、こんな時間から」

「早起きは、性分なもので」


 ようやく現れた団員たちが、目を丸くして声を上げる。中には、あの髭面の団員――ロドリックさんの姿もある。父上と同じ年頃に見える、団の中でも古株の一人だ。


 ほどなく皆が出揃ったところで、改めて名乗りを上げた。


「ジン・リカルドと申します。至らぬ点も多々あるかと存じますが、しばしお世話になります」


 頭を下げると、やんややんやと歓声が上がった。


「昨夜の続きはなしだぞ、少年。今日はお前の中身より腕前を見せてもらう番だ」


「肝に銘じます」


 どっと沸く笑い声を合図に、訓練が始まった。


 走り込みに始まり、木剣による型稽古、身体強化魔法の基礎練成。どれも、幼き頃より骨身に染み込んだ鍛錬の延長でしかない。息一つ乱さぬまま型をなぞる俺に、周りの視線が徐々に色を変えていくのが分かった。


「おいおい、噂に聞いてた以上だな……」


「基礎がまるで違わぁ。あれ、独学じゃ絶対に出ねぇ動きだぞ」


 そんなささやきを背に受けながらも、俺は表情ひとつ変えずに黙々と身体を動かし続けた。褒められて伸びる質でないことは、我ながらよく分かっている。ただ、悪い気はしなかった。


 ふと視線を感じて訓練場の端へ目をやると、ボルツさんとエドワードさんが並んで腕を組んでいた。何かを言い合っては、満足げにうなずき合っている。聞こえずとも、何を話しているかは大方察しがついた。


(あまり見世物にはなりたくないのですが……)


 そう思いながらも、二人の視線が存外に心地よく、俺は素振りの一振り一振りに、いつもよりいくぶん力を込めた。


 昼を過ぎた頃、訓練は座学へと移った。


「今日はこいつも交ぜて基本のおさらいだ。異論はないな」


 ボルツさんの一声に、団員たちが手早く机を並べ直す。屋外の演習場から一転、静けさの満ちた講堂には、羊皮紙の擦れる音だけが響いていた。


 小隊、中隊、大隊、連隊――軍の規模によって異なる戦場での役割と、それぞれに応じた基本の陣形について、皆も復習がてらといった調子で聞き入っていた。


 生まれてこのかた、誰かに軍略を学んだ覚えはない。それだけに、聞く話の一つ一つが新鮮で胸が躍った。武器を振るうのと采配を執るのとでは、同じ戦場に立ちながらも見える景色がまるで違う。


 黒板に描かれた陣形図を前に、俺は思わず身を乗り出した。


「ベンジャミン隊長、よろしいでしょうか」


 俺が声をかけたのは、マイルズ騎士団三番隊長、イワン・ベンジャミン。見上げるほどの体躯――俺の頭一つ、いや二つ分はゆうに超えているだろうか、いかにも歴戦の豪傑然とした佇まいだ。だが放たれる言葉の端々には、戦術に対する透徹した理があった。重装歩兵隊の隊長も兼ねているという。


「なんだ」


 野太い声に、少しばかり気圧されそうになる。だが、問わずにはいられなかった。


「先ほどのご説明ですと、開戦の陣形は『横陣』が基本とのことでしたが、それはなぜでございましょうか」

「うむ。よい質問だ」


 ベンジャミン隊長は、太い腕を組んで俺を見据えた。


「まず、お前自身の見解を聞かせてもらおうか」


「――恐れ入ります。先ほど、帝国は大陸最大の版図を持つと伺いました。それと渡り合えるほどの仮想敵国――リーゼリア王国となれば、小競り合いではなく国を挙げた大軍同士の会戦になるはずです。陣形が定まっているということは……戦う場所もまた、毎回同じなのではないでしょうか」


「そこまでは、正しい」


 ベンジャミン隊長が、満足げにうなずく。周囲の団員たちも、いつの間にか筆記の手を止めてこちらを見ていた。


「だが、それだけでは『横陣』でなければならぬ理由には届いていない。よいか、ここからが要諦だ」


 座が、しんと静まる。


「横陣とは何か。得物を持つ者を横一列に並べ、隙間なく連携させる密集戦法だ。個々の武がどれほど優れていようと、それだけでは戦場では意味を成さぬ。戦列という一枚の壁が途切れず続くこと――それこそが、この陣形における真の力よ」

「なるほど……」

「ならばこそ、なぜ平坦な広い土地でしか機能せぬかも見えてくるはずだ。陣形の生命線は、横の連携にある。地に凹凸があれば、木立や岩、わずかな窪地一つあれば、そこだけ隊列の足並みが崩れて穴が空く」


 隊長は、黒板に描いた戦列の一部を指で覆った。


「その穴は瞬く間に広がり、側面と背後を食い破られて各個撃破される。ゆえに障害物皆無の、見渡す限りの平地でなければ、そもそも横陣は成立せぬ」

「では、なぜ毎回同じ場所で雌雄を決すると?」

「言うまでもあるまい」


 ベンジャミン隊長が、傍らの地図を指し示す。


「大陸を東西に分かつクテシフォン山脈――だが、帝国とリーゼリアを隔てているのは、山脈そのものではない。山脈が尽きる最南端、いわば切れ目に開けたラングリッツ平原こそが、両国の境目よ。そしてその平原よりさらに南、大陸の南端まで広がっているのが、世界最大の樹海、サントル大樹海だ。山越えはかなわず、樹海越えもまたかなわぬ。両軍が雌雄を決せられる地は、事実上この平原ただ一つしかない」


 声に、いくぶんか重みが増した。


「地形が変わらぬ限り、戦場も変わらぬ。これは今に始まったことではない。過去に幾度《いくど》となく、そうした回廊のごとき土地が、同じ戦場として血を吸い続けてきた例は歴史を紐解けば枚挙に暇がない。だからこそ我が軍は、代々この横陣による戦術体系を磨き上げてきたのだ」


「――得心いたしました」


 俺は、静かに頭を垂れた。地形という揺るがぬ理が、戦のあり方そのものを定める。教わるのは初めてのはずの理屈なのに、道理としてすとんと胸に落ちる話だった。


「お前、本当にスルトから出てきたばかりか? 誰ぞに国家間の戦を学んだことでも?」

「いいえ、ございません。ただ、幼き頃より父上に、あるがままの手駒でいかに死中に活を見出すか、それこそが戦場での生死を分かつと、骨身に叩き込まれましてございます」

「なるほどな。それは戦のみに限った話ではない、あらゆることに通じよう。素晴らしい父君だ。ぜひ、お会いしてみたいものだ」

「はい。そう仰っていただけると、父上もさぞ喜びましょう」


 勢いのまま、俺はもう一つ問うた。


「恐れながら、もう一つ。あの横陣の中で、魔法師や騎乗の者は、いかに扱われるのでしょうか」

「よいところに目をつけるな」


 ベンジャミン隊長が、口の端を上げた。


「魔法師は戦列の後方に薄く配し、遠間からの支援に徹する。前線に立たせては壁が乱れるだけだからな。騎乗の者は逆に両翼だ。横陣がぶつかり合った後、その均衡を崩すのは常に側面からの一撃よ」

「――なるほど。壁は壁のまま保ち、崩しは外から」

「筋がよい。今日一日で、ずいぶんと物覚えが早いな」


 その後も俺はいくつか問いを重ね、ベンジャミン隊長を困らせてしまったが、俺にとってはこの上なく有意義な時であった。


 座学の後は、一対複数の実戦訓練が待っていた。


「よし、次はお前だ。三人がかりでいいぞ」


 ロドリックさんに促され、俺は木剣を構え直す。囲むようにして三方から迫る切っ先。


 だが、恐るるに足らない。殺意のない相手など、いくらでも捌きようがある。


 右の一人が踏み込む刹那、あえて隙をさらして誘い込み、その勢いを利用して二人目の間合いへ滑り込む。牽制、誘導、隙を作っての一撃――


 泥臭い駆け引きが、考えるより先に身体を動かす。軽い踏み込みから放った一閃が、二人分の膝を同時に崩す。残る一人が焦りから大きく踏み込んだ隙を、俺は見逃さなかった。


「うおっ……三人まとめてって、そりゃねぇだろ!」

「囲まれることなんぞ、しょっちゅうでしたので」


 地に膝をついた団員たちが、口々に不満と称賛の入り混じった声を上げる。


「おい、あれ見たか……。囲まれてんのに、涼しい顔しやがって」

「昨日の風呂の噂、聞いてねぇのか? 俺は納得だね」


 そんな声が漏れ聞こえるのを、俺は素知らぬ顔でやり過ごした。すべては、生き残るための知恵だ。


 一日の終わりには、身体の芯まで心地よい疲労に満ちていた。座学あり、実戦あり――充実した一日だった。


「どうだ、少しは骨のある一日になったか」


 訓練場の片づけを終えた頃、ボルツさんが歩み寄ってきた。傍らにはエドワードさんの姿もある。


「はい。目から鱗の落ちる思いばかりでございました」


「そいつは何より」


 エドワードさんが、満足そうに目を細める。


「明日以降も好きなだけ通うといい。うちの団はいつでも歓迎するよ」


「ありがたきお言葉、痛み入ります」


 差し込む西日の中、俺は大きく伸びをした。明日は、どんな一日になるだろうか。


 ◇


 マイルズ西方、大河を舟で半日下った先―――


 詰め所に控える騎士の目にも、それは見慣れた光景の一つでしかなかった。一星級の四人組が、意気揚々と足を踏み入れてから、まださほど経っていない。


「なんだ、もう戻ったのか」

「え、ええ……急にこいつの調子が悪くなって」

「まったく、入る前の体調管理はしっかりやりなさい」

「はい……」


 肩に担がれた青年の一人が、騎士の目の前で盛大に嘔吐し、周囲の視線が集まる。


「す、すみませんすみません!」


 がっくりとうなだれる三人に両脇を支えられ、息も絶え絶えの青年は、引きずられるようにしてその場を離れていった。


「ちっ、見てるこっちまで恥ずかしくなるぜ」


 入れ替わるように、詰め所の脇で酒瓶を傾けていた男たちが、鼻で笑った。ベテラン然としている三人組は、すごすごとその場を後にしようとしている青年たちに、あざけるような視線を向けた。


「あーあー、泣きべそかいてママーママーってか。ダッセェなぁおい」

「なぁ、ああいうのってどこ行っても長続きしねぇんだよなァ。適性ってやつが、根本的にねぇんだよ」

「違いない。今のうちに諦めときゃ、傷も浅くて済むだろうによ。これも優しさで言ってやってんだぜ?」


 男の一人が、笑いながら手に持つ酒瓶を後ろから投げつけた。中身が飛び散り、青年たちの足元を濡らす。


「ほら、突っ立ってねぇで、荷物さっさと運んでやれよ。それがてめぇの仕事なんだろうが」


 まだあどけなさの残る青年へ、名指しするように向けられた言葉。誰も言い返せず、ただうつむくだけだった。


「おい、お前ら!」

「あー、はいはい」


 見かねた騎士団員が声を上げるが、三人組はろくに取り合わず、鼻で笑って踵を返した。


「はっ、雑魚のせいで酒が切れちまったよ。いくぜお前ら。稼ぎ時だ」

「うぃ~」


 笑い声を残し、そのまま三人は迷いのない足取りで青年たちが出てきた場所―――


 迷宮《ダンジョン》へと消えていった。


 詰め所の騎士はため息をつきながら、帳面に二行、書き記す。


『一星級四名 体調不良により早期撤退』

『三星級三名 潜行開始』


 それだけの、いつも通りの記録として。


 ―――しばらくして。


 地の底から突き上げるような絶叫が、幾重《いくえ》にも重なって轟いた。


お読みいただき、ありがとうございます。

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(毎朝7時10分更新)

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