第15話 芽吹く時
案内されたのは、団長執務室と札のかかった一室だった。差し出された茶を一口含むと、張り詰めていた肩の力がわずかに緩む。
「して、ジン君。改めて、大した腕前だ」
ギムル団長が、探るような目でこちらを見た。
「その若さであれほどの使い手でありながら、おごらず、礼節もわきまえている。ボルツさんの見立て通りの人物だ」
「過分なご評価です。ご指導いただいた方々の教えを、ただ守っているだけの――ただの平民に過ぎません」
「……ジン君、いや――ジン・リカルド殿」
ギムル団長は、感心したように腕を組んだ。
「単刀直入に聞こう。本気で、騎士団に入らないか。貴殿が望むのなら、帝国全土の騎士団長に推薦状も書こう。我々は年も身分も、関係ない。必要なのは陛下の剣として国と民を思い、守る力、そして己を律する心、それだけだ」
思いがけぬ言葉の重みに、俺は一度呼吸を整えた。ここは、俺自身の言葉で返さねば失礼に当たる。
「――大変光栄なお誘い、痛み入ります。ギムル団長様のそのお言葉だけで、私は今後も励むことができます」
深く頭を下げ、言葉を続けた。
「ですが、父上や母上、それに村の皆と約束したのです。冒険者となり、この目で世界を見ると。そしていつか必ず、胸を張って村へ帰ると。ですので、騎士団にお世話になることはできかねます」
「――はっ、はっはっは!」
ギムル団長は、破顔した。
「よい返事だ、実によい。困らせてしまったな、すまなかった。今後、何か力になれることがあれば、私個人としていつでも頼ってくれ。ああ、それと」
団長は、悪童のような笑みを浮かべた。
「今後は、エドワードでいい」
「お気遣い、痛み入ります――エドワードさん」
しばし、ボルツさんの求めに応じて村の近況を語った。父上と母上が変わらず達者であること。この木剣の由来。旅の中で新たに会得した技のこと。語るたびに、二人は時に唸り、時に目を丸くしながら聞き入ってくれた。
ひとしきり語り終えたところで、エドワードさんがふと真顔になった。
「ジン君、一つ聞いておきたい。ここ数年、世界各地で魔物が増えている、という話は耳にしているかな」
「いいえ……初めて伺います。村の近くでは、そのような気配は感じませんでしたが」
正直な感想だった。道中もそうだ。獲物を求めて自ら森へ分け入らぬ限り、魔物や魔獣に出くわすことはほとんどなかった。
「それもそのはずだ」
ボルツさんが引き取る。
「スルト一帯は元来、魔素が薄い土地でな。生まれる魔物の数自体が少ない」
確かに、村近辺の森では魔獣とは頻繁に遭遇するが、魔物となると滅多にお目にかからない。
「おまけに魔物の少ない土地というのは、魔獣にとっちゃあ、かえって住みよいと来てる。それでも稀に迷い込んだり、村の近くまで寄ってきた個体は、守り手や帝都騎士団の駐屯隊が間引いてる。スルトが安全なのは、そういう幾重もの理由あってのことだ」
「なるほど……」
考えたこともなかった。故郷の静けさの裏に、そのような仕組みがあったとは。
「だが、それはスルト――いや、この街道が特別なだけだ。よそではそうもいかない」
エドワードさんの声が、わずかに低くなった。
「魔素の濃い土地が、確実に増えている。原因はまだ分からない。だが、帝都、マイルズが位置する中央の周辺では、南部・西部・北西部の悪化が特に顕著でね。極北西の古都ディオス周辺、それにグレイ山脈を越えたピレウス王国、ミトレス連邦も、同様の事態だと報告が届いている」
言葉が、思いのほか重く肩にのしかかる。
「――だからこそ、聞かせてほしい」
ボルツさんが、俺の顔を覗き込むように問うた。
「道中、何か変わった、いや……気になったことはなかったか」
ここまでの道中は初めて歩いた道である。変わったことと聞かれても何も答えられないが、気になったことと問われれば一つしかない。
俺はあの日のことを話した。折り返しを過ぎた丘陵のまばらな林で、女の輪郭をした魔物三体に不意を突かれたこと。名も知らぬそれを、無我夢中で斬り伏せたこと。
語り終えると、部屋の空気が変わった。
「――三体、同時にだと?」
ボルツさんの声が低く沈む。エドワードさんも、笑みを消していた。
「ジン君。姿の特徴は」
「片脚が青銅、もう片脚が驢馬の毛皮でした。目も鼻もなく、頭部の下半分が裂けて――」
「エンプーサだな」
エドワードさんが静かにつぶやいた。聞き覚えのない名だった。
「街邑級――一体で防壁を持つ町一つが脅かされる規模の魔物だ。本来なら、衛兵の一隊、騎士団の小隊が出動して然るべき相手だよ」
「がい……?」
聞き慣れない言葉に、俺は首をかしげる。
騎士団の小隊が出動して然るべき?
あの程度の魔物……が?
「しかも、スルトとマイルズを結ぶこの街道は、マイルズ騎士団とアルベルヴィク騎士団のスルト駐屯隊、双方の目が行き届く帝国内でも屈指の安全な連絡路だ。街邑級が一体現れるだけでも珍しい。それが三体、同時に発生する……尋常なことではない」
ボルツさんが腕を組み、唸る。
「エドワード。これは」
「ええ。おそらく、例の件と無縁ではないでしょうね」
二人の間に、しばしの沈黙が落ちた。それを破ったのは、エドワードさんだった。
「――ジン君。お願いがある。さっきの騎士団ほどではないが……君には、特務騎士になってもらいたい」
「アジェ……?」
またも、聞き慣れぬ響きだった。
「帝国騎士とほぼ同等の権限を持つ、秘匿の身分だ。犯罪者の取締、指名手配の指示、状況によっては、その場での処断すら許される」
あまりに重い響きに、俺は思わず息を呑んだ。
「し、失礼ですが……そのような権限を、この十五の若輩者に持たせるのは悪しき前例となりましょう」
「それは違う。特務騎士は、なるべき者がなるものだ。年齢で縛るなど、それこそ悪習だよ」
「う……むぅ……」
エドワードさんの、まっすぐに俺を見据えるその目に、俺は一言も返せなかった。
「先の試合、そして今の話――君にはその実力だけでなく、状況を正しく見極める心がある。私はそう見た」
「加えて、だ」
ボルツさんが、ニヤリと口の端を上げる。
「お前ならピンと来るんじゃないか? もう手遅れ、だとな」
「それはどういう……はっ!!」
俺は視線をぐるりと二人に向け、ようやくのっぴきならぬ状況になっていることに気づいた。
先ほど、エドワードさんはこう言った。
――秘匿の身分だ、と。
つまり、秘匿された存在である特務騎士、その持ちうる権限を、俺はもう、知ってしまっている、ということだ。
「ボルツさんまで担がないでください。こちらは真剣なのですから」
「ふん、ちょっとした仕返しよ」
「ぐおぉぉぉ……っ!? ま、まさかっ……エドワードさん!」
「何かな?」
俺がガタリと立ち上がり、視線を改めて彼に向ける。
エドワードさんは俺の視線を受け、まるで俺の言いたいことが分かっているかのように、微笑んだ。
やられた。
最初からそういう流れだったのだ。
いや、エドワードさんに害意はないのは分かるし、本当に俺を評価してのことだったのも伝わった。
ただ、俺が入団を拒否することは想定内で、そもそも俺を特務騎士とやらに推挙することが目的だったのだ。
一度断った相手への、妥協案としての着地点。確かに、俺の性格からして二度も断るのはなかなか難しいし、何より、ボルツさんとコーデリアさんの顔に泥を塗るような真似ができるはずもない。
「まぁまぁ、だからといって、何か課せられた役目があるわけじゃない。何もなければ日々の生活は何も変わらないよ。ただ、騎士団や為政者との縁が生まれる可能性が高まる、それだけのことと思ってくれていいんだ」
「は、はい……」
してやられたが、それはもう後の祭りだ。
しばし、俺は考えを巡らせた。
世界を見て回る。
それは、旅立ちのときに誰にともなく抱いた願いだった。行く先々で、何を成し、何を知ることができるのか。特務騎士という身分は、俺の縛りとなるか否か、それは分からない。だが、少しは利用できるかもしれない。
俺は姿勢を正し、二人へ向き直った。
「――謹んで、お受けいたします」
「そうか! ありがとう、ジン君!」
エドワードさんの声が、ぱっと明るくなる。
「善は急げだ。直ちに総軍元帥へ上申しよう」
そそくさと机に向かうエドワードさんを横目に、ボルツさんが俺の肩に、大きな手をぽんと乗せた。
「力を抜け、ジン。大層な物言いだったが、そう気負う必要はない。お前がやりたいようにやればいい、それだけだ」
「……はい」
ふと、気になっていたことを尋ねる。
「あの、この話――両親には」
「ん? 別にいいんじゃないか。ロンとジェシカなら、変に騒ぎ立てたりはせんだろう。……コーデリアには、そのうち知られるだろうがな。あれで一応、領主夫人だ」
「一応、とは。叱られますよ、それは」
ボルツさんは肩を揺らして笑った。
「そういうところ、ちっとも変わらんな、お前は」
窓の外、傾き始めた陽の光が、執務室の壁を橙色に染めていく。
スルト村を発って、十日。俺はまだ、自分がどこへ向かっているのか、正確には分かっていない。
それでも一つだけ、確かなことがある。
この選択もまた、俺自身が手にしたもの、ということだ。
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