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異世界剣風録~その少年は、自分が武士だったことを知らない~  作者: 詩雪
第二章 マイルズ編

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第11話 憂い陣

 村を囲む防風林を抜けると、肌に当たる風の匂いがふっと変わった。


 十五年間ずっと包まれていた空気から、土と草の匂いが混ざった「外の世界」の風へ。


 街道の端に立つ境界の石柱を通り過ぎた瞬間、心なしか背筋がぞくりと震えた。


「……よし。ここからだ」


 思わず村のほうを振り返りそうになるのを、ぐっと堪える。


 見送ってくれた父上と母上の姿や、涙目で手を振っていたアリアの笑顔は、振り返らなくてもまぶたの裏にしっかり残っているからだ。


 肩に担ぐ荷はずしりと重い。なにせ中には、母上から渡された「どう考えても大金が入っている布袋」や、村のみんなからもらったという謎の青黒い石、そしてニットさんが見繕ってくれた大量の旅道具が詰まっている。


 だが、不思議と肩に食い込むような痛さはない。


(さすがニットさん。重心の位置まで完璧に計算して荷造りしてくれただけのことはあるな)


 両腰には二振りの舶刀、背中には使い慣れた木剣と短弓、そして手製の矢が三本。はたから見れば、どこぞに討ち入りにでも行くのかと言われてもおかしくはない俺の旅装だが、これ以上削れる気がしなかった。


 そして、右腕に巻かれたストールの熱を改めて感じる。


 マイルズまではゆるりと歩いて十日ほどの道のり。


 コーデリアさん曰く、俺が本気で強化魔法を駆使して駆け抜ければ三日もかからない距離らしいが、今の俺にそんな無茶は禁物だ。


 風が枝葉を撫でる音、沸き立つ土の匂いを感じながら、崩れた古い石畳を足で均して自己満足を覚える。


 このマイルズまでの道中は、初めての外の世界を味わうのと同時に、体をじっくり慣らすための訓練の時間でもあった。


「うむ。平和だ」


 エドガーさんに口を酸っぱくして言われたものだ。こういうときこそ水や飯の確保に気を配れ、と。なにせいつ危険に遭遇するかも分からない。


 村は守り手や騎士団がこぞって守りを固めているので、何も気にせず日々を過ごすことができていたし、飯だってそうだ。朝と夕は何も言わずとも母上の手料理が並び、小腹が空いたと言えばすぐさま何かしら出てくる。改めて思うが、俺は実に恵まれすぎていた。


 しかし、今は違う。飯、寝床の確保、危険への対処、すべて己でやらなければならない。


 なるべく手元にあるものを当てにせず、獲物の気配を感じ取れれば即確保に動き、水辺の気配を見つけたら追跡して皮水筒の中身を入れ替える。旅の鉄則である。


「おっ」


 チラリと目の前を横切った小さな動物。さっそく今日の飯にと矢を番えかけたが、さすがに今押さえても荷物となる時間が長くなるだけだろう。


 そう考え直し、この風景に退屈になってしまう前に、少し駆けた。


 左右には、どこまでも続くのどかな風景。


 目を強化すれば、世界最大最長の連峰、クテシフォン山脈をうっすらと仰ぎ見ることもできた。轍の水たまりを踏み越え、小鳥がパタパタと飛び立っていく。


 急ぐ必要はどこにもない。一歩一歩、自分の足で土を踏みしめて進む。


 そうしてのんびり歩き続けること、しばらく。


 空が綺麗な茜色に染まり始めた頃、道行く先にポツポツと明かりの灯る建物が見えてきた。最初の宿場町だ。


 スルト村が聖地となって間もなく拓かれた、かなり新しい宿場町らしく、聖地へ向かう巡礼者や商人、旅人が行き交う場所と聞いた。徐々に土が均され、街道と呼べる感触を覚えると、茶屋から香ばしい汁物や焼いた肉のいい匂いが漂ってきた。


 まだ大して腹は減っていないが、食えるときに食っておく、という教えもある。


 俺はまず寝床を確保するために周囲を見回し、最初に目に入った木賃宿へと足を向けた。


「もうし」

「うわっ!」

「え?」

「に、にいちゃんそんなに武器担いで何しようってんだよ!」

「あ、ああ。すみませぬ。ただの修行者だと思っていただけましたら」


 やはり驚かせてしまったようだ。俺はそそくさと荷を下ろし、スルトから来たことやらを丁寧に説明すると、宿の主人はあっさりと納得してくれ、一泊素泊まりで真鍮貨(オルカ)二枚だと説明を受けた。


「はい。では一泊でよろ……おわっ!」

「うわっ! なんだ!?」

「す、すみませぬ! 袋に虫が!」

「おいおい……よしてくれよ……」


 俺は母上からいただいた布袋を何とはなしに開けてしまい、中身を見た瞬間に大声を出してしまった。とっさに虫に罪をなすりつけたが、当然そんなものはいない。


 中に入っていたのは一目では数え切れぬ白銀貨(シルヴァ)、そして宿の灯りを反射し、ひと際輝く一枚の純金貨(アウル)。旅立ったばかりの十五の少年が持ち歩くような金額ではない。


(母上っ、やりすぎです!)


 慌てて母上の布袋を荷に放り込み、自分の巾着をまさぐって真鍮貨二枚を差し出した。


「まいど。ごゆっくり」

「お、お世話になります……」


 俺は荷を置き、寝台へ身を投げ出した。大して疲れてはいない。だが、さっそくエドガーさんの教えが身に染みた。


「はぁ……だから母上はギルドへ預けろと言ったのか……」


 宿場町や小さな村では、高額貨幣を出しても釣銭がないと渋い顔をされるだけ。マイルズに着くまで、母上の布袋はただのお守りだ。手持ちの巾着だけが頼りだと思うと、急に心細くなってくる。


「くっ、あのとき獲物を仕留めておけばっ……!」


 荷の干し肉をかじると、俺をあざ笑うようにぐぅと腹が鳴った。


 ……―――


 翌朝。部屋の中はまだ薄暗い。


 板張りの寝台から静かに身体を起こし、手首と足首を回す。呼吸を深く吸い込むと、胸の傷にはまだ引っかかるような感覚がある。それでも、昨日の歩きで身体が少しずつ旅の調子に馴染んできているのは分かる。


 だが、腹の虫だけは馴染むどころか、猛烈に自己主張を始めていた。伸びをした瞬間に、ぐぅ、とまた情けない音が鳴る。昨晩は結局、干し肉を二切れかじっただけで済ませてしまったのだから無理もない。


「……よし」


 身支度を整え、背負い袋の紐を固く結ぶ。部屋を出て木賃宿の主人に鍵を返すと、問題を起こさず退店してゆく俺に、愛想よく手を振ってくれた。


「また来な兄ちゃん、大人しい客は大歓迎だ」

「世話になりました。次は抜き身で十本、背負って参りましょう」

「くははは! そりゃいい。ウチの名物になる」


 涼やかな朝の風が鼻先をくすぐった。まだ宿場町の通りは人が少なく、朝鳥の鳴く声がよく聞こえる。


 宿場町は、まさにこれから一日を始動させようという時間帯だった。早くに出立する商人たちが荷馬車の車輪を改め、通り沿いの茶屋が軒先に炭火をおこし、湯気と煙を立ち上らせ始めている。


 漂ってくる香ばしい脂の匂いに、胃袋がきゅっと引き絞られた。


 だが、手持ちの巾着をまさぐると、昨晩の宿代で減った真鍮貨と、数枚の錆びた赤銅貨(ルブラ)に触れるだけ。無駄遣いは厳禁だ。


(……さて、どうするか)


 俺の場合、朝は温かい食事で一日を始めるのが当たり前の体になってしまっている。今にして思えば、それもこれも母上のおかげなのだろう。いつまでもそんな感覚でいるわけにはいかないとの自制心はありつつも、せっかく町にいるのなら、できるだけ手持ちの食糧は温存しておきたい。


 火が入り始めた茶屋の品書きに目をやる。干し肉の入った汁物が赤銅貨一枚、雑穀粥が三枚。スルト村に比べればかなり安い。巾着の目減りも最小限に抑えられると茶屋に足を向けたそのとき、団扇《うちわ》で炭火をあおっていた小太りの露店主が、大荷物を背負った俺を見て威勢よく声を張り上げてきた。


「そこの! 朝の肉串はどうだい! 今ちょうど焼き上がったところだ!」


 あえて見ないようにしていたのだが、この人通りの少ない時間帯にこの調子で来られては無視するのもなかなかに難しい。


 鉄板の上では、厚切りの肉がじゅうじゅうと音を立てて脂を落としている。確かにうまそうだが、立て看板には真鍮貨二枚とある。


「……あの、一串で二枚ですか」

「おうよ! 聖地帰りの旦那衆も喜ぶ、今朝仕入れたばかりの極上角鹿(つのじか)だ!」


 今出てきた宿と同じ値段である。角鹿は素早く、駆け出し狩人の登竜門のような獲物だ。正直、俺は度々狩っては母上にお渡ししていたし、何なら今持っている干し肉も角鹿だ。


 まぁこういう露店は相場があってないようなものなので、一概に文句は付けられない。


 今思えば、俺が狩った獲物はごく少量が食卓に並ぶだけで、そのほとんどは母上が売りに出していたのだろう。その対価の積み重なりが今に至っているのなら、布袋の金にも多少は後ろめたさが消えるというものだ。


 よいことに気づかせてくれたと、感謝代わりに露店に足を向けた。どうせ買うなら自分で選びたいと、立ち上る煙と、鉄板に落ちる脂の色をじっと見つめる。


(はて……)


 森でエドガーさんに叩き込まれた目利きが、頭の中で自然と答えを出す。熱を通しても白く締まらない黄色い脂、ほんのり鼻を突く野生の匂い。


「この肉、シシですね。今朝獲れたものでもない」

「えっ」

「血抜きが少し惜しいですが、焼き加減はとてもよいかと」


 責める気は毛頭なく、ただ見たままの事実を感心混じりに告げる。


 しかし、店主は目を白黒させ、団扇の手を止めて固まった。


「な、なんでぇ……にいちゃん、若いのにえらく鼻が利くな……」

「よく食しているので」


 俺は巾着から真鍮貨を一枚取り出し、パチリと台の上に置く。


「この肉と、端にある固い麦平パンを一つ売っていただけませんか」

「う、うぐ……。分かったよ、持ってけ泥棒! 頼むからよそで言ってくれるなよ!」

「御馳走になります」


 温かい平パンに肉串を乗せてもらって軒先を離れ、町の外れにある丸太の腰掛けに腰を下ろした。大口でかぶりつくと、少し筋張ってはいるが、強い塩気と焦げた脂の旨味が、空っぽの腹に染み渡っていく。


「……塩のほうが高いのでは?」


 五口目で最後の欠片を頬張り、皮水筒の水で喉を潤すと、身体の奥から力が満ちてくるのが分かる。


 立ち上がり、背中の荷を背負い直す。ちょうど山の端から朝日が顔を出し、街道の土を橙色に照らし始めていた。遠くに見える連峰の稜線は、昨日よりもくっきりと青空に浮かび上がっている。


「まぁ、上々ということにしておこう」


 昨日の反省を胸に、俺は歩調を整えて朝の街道へ歩み出した。


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(毎朝7時10分更新)

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