第10話 境の風
目を覚ましてからというもの、俺と父上は機能訓練に入っていた。
というのは、決闘が終わった直後にはもう、母上の魔法で傷はすべて塞がれたという。二人同時に、しかも致命傷を、ほぼ同時に癒したという比類なき力。だがその力を持つのが母上であるならば、俺には何の驚きもない。
しかし、この右腕が今も俺の一部であるのは、母上と共に治療にあたったアリアのおかげだという。
切断された腕を繋げるほどの力。いまだ幼くしてその領域に到達していることに、俺は腕を繋いでくれた感謝以上に、誇らしく思っていた。
すでに体力も完全に回復しており、見た目だけは元通りになったと言える。
だが、母上は言った。傷が塞がり、力が戻ったとしても、身体機能が元に戻ったわけではない、と。
軽い傷ならまず影響はないらしいが、俺と父上は別。あまりに傷が深く、再生した肉体の一部が完全に自分のものとなるには、多少の時を要するらしい。
確かに、元の腕を繋いだだけの右腕は、今はまったく問題なく俺の制御下にあるが、どうも穴の開いた胸部にはえも言われぬ違和感が残ったままである。特に目を覚ました直後あたりは、胸が詰まるような感覚を覚えたり、寝台から起き上がるだけで息が上がった。
それでも三日目には、母上に無理は禁物と釘を刺されながらも、人混みを避けながら村を歩けるまでになっている。
ちょうどその晩が、聖誕祭最後の夜だった。
……―――
村の中央に組まれた櫓が焼かれ、その炎を囲んで村中が踊る。今年ばかりは無理をさせまいと、母上もコーデリアさんも遠巻きに俺を見張っていたが、隙をついて、俺はアリアの手を取っていた。
「ジンさま。もう踊っても、大丈夫なのですか?」
「これぐらいはな。大切な姫君を待たせるわけにはいかない」
教わったばかりの言葉でからかいながら、二人でくるくると円を描く。アリアは頬を染め、母上のもとへ逃げていった。
続いて、コーデリアさんを誘う。
「無茶はさせませんよ。今年は、私に合わせていただきます」
俺ではなく、コーデリアさんに合わせる。つまりそれは例年通りというわけだ。
無茶などどこ吹く風。始まればいつも通り、体捌きの応酬になった。手を取り合ったまま宙を舞い、着地の音が高く響く。周りから歓声が上がり、これで「ジンが復活した」と村の皆に印象付けられたようだ。
さすが、と、言うべきか。
「今まで、本当にありがとうございました、お義母上」
「……いつかフォランドールの我が家にも、必ず訪れてくださいね。約束ですよ」
抱きしめられ、頬に口づけを受ける。震える背に、俺は深く頭を下げた。
それからコーデリアさんを伴い、父上、母上、エドガーさん、オプトさんの酒宴の席へ向かった。
母上のもとにいたはずのアリアの姿が見えず行方を聞くと、すでにティズウェル家御用達の定宿に戻ったらしい。確かにすでに日が落ちて時も経っているし、酒の席に子供のアリアを置いておくのはよろしくない。
「まぁ、とりあえず―――」
「あらあら、まぁまぁ」
「……」
俺に酒杯を渡そうとしたエドガーさんが、母上の強烈な眼差しを受けて杯を一回転させた。
「そういや、ジン。最初の行く当てはあんのか?」
代わりに回ってきた圧搾果汁で口を湿らせながら、オプトさんの質問に俺は姿勢を正す。
「はい。まずはボルツさんにご挨拶のため、マイルズへ行くつもりです。コーデリアさんも縁深い地ですので、見ておきたいのです」
「おお、そりゃ名案だ。あの人は今たしか、騎士団の指南役に就いてんだっけか?」
「そう聞いています。まずはマイルズで足元を固めるのもよいでしょう。あの人に、よろしく伝えておいてください」
コーデリアさんは俺の言葉が嬉しかったのか、ふわりと微笑んだ。
その後は思い出話に花を咲かせ、聖誕祭最後の夜は更けていった。
「エドガーさん、オプトさん。これまでのご指南、私にとってこの上ない幸運、光栄でした。息子として、最上級の感謝を」
「ば……ば……馬鹿やろっ! 泣かせるんじゃねぇ……っ!」
「ふぐっ……さっさと、行っちまえっ……」
二人は号泣しながら酒をあおり、何度も、何度も天に杯をささげていた。
血は繋がらずとも、この人たちが俺に授けてくれたものは、紛れもなく家族のそれだった。
二人の音頭で、最後の乾杯を重ねる。月のない星空の下、笑い声は絶えなかった。
……―――
それから二日、俺は仕上げの療養に努めた。
傷痕こそ残ったが、剣を振るうにも支障のない身体に戻った頃、俺は村を出る決意を固めた。
――旅立ちは、明日の朝。
今日のうちに、済ませておきたいことがある。
まず足を向けたのは、万屋の店主、ニットさんだ。
「こんにちは、ニットさん」
「ジン君! もうすっかり元気そうだね」
「はい、おかげさまで。今日は、旅立ちのご報告と旅支度をお願いしたく」
「いつ、発つんだい?」
「明日にも」
「そうか……寂しくなるねぇ」
束の間の沈黙。
ニットさんは俺に商売の面白さを説いてくれた人だ。神鳥の飛来と、村の聖地化による人口爆発を経験した数少ない村の古参であり、家族もろとも昔から世話になっている。
それから何も聞かずに、ごまんとある商品の中から旅に必要なものを選び始めた。
革手袋、厚手の靴下、皮水筒、堅パン、干し肉、塩・香辛料の小袋、干し果物・堅果、火口箱、油布、毛布、小型の鍋、万能短剣、縄、包帯、傷薬、薬草油、砥石、裁縫具、獣脂、腰袋、狼煙玉―――。
一般的に旅に必要となるであろう品々、数えるのももどかしいほどの量が、あっという間に卓へ並んでいく。逆に言えば、ここにないものは必要ないという店主のお墨付きのようなものである。
さすがに全種を制覇しては荷物に埋もれるだけなので、俺はこの中から今持っているもの以外で必要なものを選ぶと、ニットさんは大きさ、重さ、形を考慮して美しく荷造りしてくれた。その手際のよさはいつ見ても感心する。
代金を払おうと、母上手製の巾着に手を伸ばしかけたそのとき、ニットさんは黙ってそれを制した。
「餞別だよ、受け取って」
そうはいかない、と、俺は言いかけたが、ここは教えを体現することにした。
「……倍、でよろしいですか?」
「はっはっは! やっぱり君は筋がいい。けど、万屋ニットはそんなに甘くないよ。十倍だ!」
「くぅ……選ぶ店を間違えたようです」
タダほど怖いものはないと笑い合い、俺は万屋を後にする。
「行っといで、ジン君。この村で、ずっと無事を祈っているよ」
……―――
村長宅の扉を叩くと、好青年が顔を出す。
「やぁジン、待っていたよ。父なら奥だ」
「お邪魔します、マティアスさん」
奥の椅子で外を眺めていた村長様が、俺に気づいてゆっくりと向き直る。
「おお、ジンかい。よく来たのぉ」
「はい、村長様。明日、発たせていただきます」
「そうかいそうかい……あの暴れん坊がのぉ……つい昨日のようじゃて」
「そ、その節は……改めて申し訳ありませんでした」
「ふぉっふぉっ、冗談じゃよ。よくぞここまで、立派に育ってくれた」
ニットさんの店の菓子を買い占め、幼い俺とアリアに大量に菓子を与えるたびに、母上とコーデリアさんに叱られていた村長様。その穏やかに笑う皺の一つひとつに、これまでの十五年が詰まっている気がした。
「村長様には、これまでひとかたならぬご恩を賜りました。今日まで温かく見守っていただき、感謝の言葉もありません」
「儂の台詞じゃよ。ジンはスルトの誇りじゃ。どこにおろうと、皆お前さんのことを思うとる。心置きなく、行きなさい」
これまでで一番、穏やかな声だった。
涙を堪えたまま席を立ち、扉へ向かう俺を、マティアスさんが見送りに立つ。
「そうそう、ジン。まだ内密の話だが」
「……伺いましょう」
「近く、冒険者ギルドの支部が村に置かれることになりそうなんだ」
「なんと、ギルドが」
「ああ、実は十五年前からこの話は出ていたんだけどね。なにせここは聖地で皇帝陛下の直轄地でもあるだろ? なかなか許可が出なかったらしいんだが、ようやくさ」
これは僥倖と言える。冒険者ギルドがあれば、ギルドの情報網を通じて、世界中どこからでも村の情報が得られるかもしれないからだ。
加えて、冒険者ギルドの存在はそのまま村の安全に繋がる。多少ガラの悪い者も現れるだろうが、何といってもここは聖地。悪さをしようものなら、三等加重の刑が科される。まず、安心だろう。
「素晴らしいことを教えていただきました」
「なに、僕からの餞別ってことにしておいてくれ」
「ありがたく」
マティアスさんに見送られ、村長宅を後にした。
「マティアスや」
「はい。父さん」
「後は、頼んだぞ」
「―――はい。お任せください」
俺の耳には届かなかった、短いやり取り。
長年村をまとめ上げてきた偉大な長は、その使命を果たしたかのように、俺が旅立った翌日、静かに息を引き取ったという。
……―――
夜、父上、母上と三人で家に残る。
「ジン。これを」
母上が両手で差し出した布袋を受け取り、卓へ置く。
ジャラリと分かりやすい音が居間に響き、目の前に座る父上がニヤリと口角を上げたので、中身は路銀だとすぐに分かった。確かに、俺の持つ巾着の中身はニットさんのおかげでかなり助かったとは言え、長旅ともなると甚だ心もとない。
(さすが母上。俺が言い出さぬと見て先手を打たれたか)
自分の都合で家を出るのだ。無心などしては骨抜きではないか。
そう思いつつも、母上の餞別を無下にすることなど到底できない。俺は経験したことのない重さの布袋を手元に収め、深く頭を下げた。
「なんだよ、見ねぇのか」
「……正直、恐ろしいのです」
「かーっ、つまんねぇヤツ」
父上が不満そうにあおるが、たとえ家族といえども、この期に及んで目の前で検めては礼を失するだろう。
「あなたが狩りの成果で得た報酬です。あと、少し足しておきました。今は要らずとも、いざというときのためにギルドへお預けなさい」
「はい、ありがたく」
これはお願いではない、と分かる声だった。俺は素直に改めて頭を下げるしかない。
「もう一つ、これを」
続けて置かれたのは、手のひらに収まるほどの、青黒く、所々が薄桃に光る石だった。
「これは村の皆から、あなたが生まれたときに贈られたもの。ずっと母が預かっていました。これからは、あなたの物です」
握り込むと、ズシリと重く、手のひらの奥がじんわりと温かい。ただの石とは思えない、不思議な力が確かにそこにあった。何なのかは分からない。だが、なぜか手放してはいけない、そんな気がした。
「大切に、お守りとしていただいて参ります」
その後、三人で最後の夜を過ごした。珍しく酔いの回った父上が、俺の名の由来を何度も繰り返す。
「お前の名前はなぁ……ジェシカと、俺のを繋げた、二人分の名前なんだぞ」
「それは、伺いました」
「ん~……そうか……まぁいい、大事なことだ!」
同じことをまた語り出す父上に、母上がくすくすと笑っている。
「ジン、身体に気をつけるのですよ」
「はい、母上、父上も健やかに。よき出会いと実りを糧とし、必ずや胸を張って戻って参ります」
「楽しみにしているぞ」
「私も」
双葉の板戸が引き合わされるかすかな響きとともに、三人が紡いだ睦まじき刻は静かに結ばれた。
……―――
翌朝。旅装を整え扉を開けると、そこにはアリアが一人、待っていた。
「おはようございます、ジンさま」
「アリア……おはよう。見送りに来てくれたのかい」
「はい。右うでを、出していただけますか」
言われるがまま袖をまくると、アリアは自らが癒した傷痕に、そっと白い布を巻いていく。
「そ、その……ジンさまを、想って……ジェシカお母さまと作った、ス、ストールです! わたくしだと思って連れていってください!」
いつの間にそんなものを作っていたのだろうか。巻かれたストールはほのかな熱を帯びており、ただ糸を紡いだだけのものではない。
俺はまさかと思い母上を見ると、母上は小さくうなずいた。
「アリアはどんどんすごくなるな。まさか治癒魔法を陣に込めるなんて、そうそうできることじゃない。ありがとう。大切にする」
頭を撫でると、アリアは目に涙をためたまま、精一杯の笑顔を作った。
「わたくし、必ずジンさまに追いつきます! だから……どうかお忘れにならないでください」
「約束する。また会おう、アリア」
父上と母上が並んで立つ。もう、言葉はいらなかった。
「それでは、行って参ります」
「――いってらっしゃい」
十五年の記憶が息づく村門を、ただ一顧だにせずくぐり抜けた。初めて見るはずの景色だ。それなのに、なぜか胸の奥には、淡く懐かしい風が吹いていた。
手にするもの、零れ落ちるもの。
――そのすべてを背負うべく
俺は今、確固たる一歩を踏み下ろした。
お読みいただき、ありがとうございました。
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