秘密の『反省会』は、彼女の部屋で甘く溶ける
カチャリ、と玄関の鍵が閉まる音が、静かなマンションの廊下に響いた。
通学路を少し離れた場所にある、見慣れたマンションの一室。
クラスのボッチ女子——そして大人気VTuber『アリス』のリアルな住処である結城八重の部屋だ。
「……ふぅ。お邪魔します」
「……うん。上がって」
靴を脱ぎながら声をかけると、八重は背を向けたまま、ぽつりと短く返事をした。
学校の資料室で見せていた制服姿とは違い、今の彼女はオーバーサイズのゆるっとしたパーカーにショートパンツという、完全な私服姿。長い髪は後ろでゆるくひとつにまとめられており、うなじの白さが西日の残光に映えていた。
部屋に入ると、微かに芳香剤の甘い香りが漂っている。
デスクの上には高価なマイクとデュアルモニター、そして機材の光。ここが、毎日数万人のリスナーを熱狂させている『アリス』の配信拠点だ。
「喉……かわいた? なんか飲む?」
「あ、うん。じゃあ、麦茶でももらおうかな」
「了解。ちょっと待っててね」
八重はキッチンへ向かい、グラスを二つ取り出した。
その背中をぼんやりと眺めていると、昼間の資料室での出来事や、恋人繋ぎをした手の感触が蘇ってきて、急に心拍数が上がり始める。
(本当に……推しVTuberの部屋に二人きりでいるんだな、俺)
学校ではお互いに目を合わせることすら禁じられている。
『身バレ防止』という建前があるとはいえ、昼間の緊張感と、この部屋のプライベート感のギャップが凄まじい。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
差し出されたグラスを受け取り、一口飲む。
八重は俺の隣——ローテーブルを挟んだすぐ近くに、ちょこんと膝を抱えるようにして座った。
「……ねえ、〇〇くん」
「ん?」
「さっきの配信……どうだった?」
八重は膝に顔を埋めたまま、上目遣いで俺を見てきた。
実はここに来る前、俺は自分のスマホで彼女の「定期雑談配信」をリアルタイムで視聴していたのだ。もちろん、いつものアカウントでチャット欄に書き込みながら。
「すごく良かったよ。相変わらずトークもキレてたし、新衣装の話題も盛り上がってたし」
「嘘……。私、すごく緊張してたんだよ?」
「え、そうなの?」
「だって……画面の向こうに〇〇くんがいるって分かってたから。いつもは『リスナーのみんな』に向けて話してるのに、今日は……『〇〇くん一人』に向けて話してるみたいな気分になっちゃって……」
八重はボソボソと呟きながら、パーカーの袖で顔を半分隠した。
耳まで真っ赤になっているのがはっきりと分かる。
「それに……配信中、スパチャ投げてくれたでしょ? 『今日も配信お疲れ様、ゆっくり休んでね』って……」
「あ、ああ。いつもの習慣でつい……」
「嬉しかった。……でもね、投げ銭よりも……」
八重は膝を抱えていた手をほどき、にじにじと距離を詰めてきた。
そして、俺の制服の裾をぎゅっと掴む。
「……直接言ってもらえる方が、何百倍も嬉しい」
「八重……」
「ねえ、助手くん。ううん……私の『彼氏』さん」
八重は意を決したように顔を上げると、真っ直ぐに俺の目を見つめた。
普段のボッチ女子の影は影も形もなく、そこには恋をする一人の少女の、透き通るような瞳があった。
「今日の配信のご褒美……まだ途中だったでしょ?」
「え?」
「資料室では、手を繋ぐだけで終わっちゃったから……。ここでは、もっと甘えさせて?」
そう言うと、八重は俺の膝の上にコロンと頭を乗せてきた。いわゆる膝枕の体勢だ。
パーカー越しに伝わる彼女の体温と、甘いシャンプーの香りが一気に押し寄せてくる。
「……っ、八重!?」
「動かないで。……配信が終わった後のアリスちゃんは、すごく疲れてるの。だから……〇〇くんのパワーが必要なの」
不敵に笑ってみせるが、彼女自身の心臓の音も速くなっているのが伝わってくる。強がっているけれど、彼女自身も相当緊張しているのだ。
「……ずるいな、そんなの」
「ふふ、なんとでも言って? 今日の私は、クラスの八重でも、画面の中のアリスでもない……ただの、〇〇くんの彼女なんだから」
八重は満足そうに瞳を閉じると、俺の手を引いて自分の頬へと添えさせた。
外の陽が完全に落ち、部屋の中に夜の静寂が訪れる。二人だけの甘く溶けるような時間は、まだまだ終わりそうになかった——。




