資料室の扉を閉めたら、いつもの『彼女』じゃない
キィ、と重い音を立てて資料室のドアが閉まる。
放課後の校舎は、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っていた。夕陽が斜めに差し込み、埃の粒子がオレンジ色の光の中で揺れている。
「……鍵、ちゃんと締めた?」
背後から聞こえたのは、消え入りそうなほど小さな聲だった。
振り返ると、そこにいたのはクラスのボッチ女子——結城八重だ。
普段の彼女は、長い前髪で目を隠し、クラスの誰とも目を合わせずに隅っこで本を読んでいるような存在。目立たないように、まるで世界の背景になろうとしているかのような少女だ。
だが、今の彼女は違った。
「締めたよ。誰も来ない」
「ふぅ……よかった……」
安堵の息を漏らした瞬間、彼女はすとんと緊張の糸が切れたようにその場にしゃがみ込んだ。
そして、ゆっくりと顔を上げる。
前髪の隙間から覗くのは、吸い込まれそうなほど澄んだ瞳。
その顔立ちは、俺が毎日画面越しにスパチャを送り、夢中になって応援している大人気VTuber——『アリス』そのものだった。
「……ちょっと、なに見つめてるのよ」
八重は少し頬を赤くしながら、ぷいっと顔を背ける。
だが、その口調も、声音も、配信で見せる高嶺の花のような『アリス』のそれとはどこか違う。もっと距離が近くて、どこか甘えを含んだ、俺だけに見せる特別な声。
「いや……本当に八重がアリスなんだなって、まだ実感が湧かなくてさ」
「だ、だから言ったじゃない! 嘘じゃないって……! 配信で言ったでしょ? 『一番大切なリスナーさんにだけは、本当の私を見せたい』って……」
八重は立ち上がると、トコトコと歩み寄ってきた。
そして、俺の制服の袖をつまむ。
「クラスでは話しかけないでって言ったのは、意地悪じゃないの。……目立ったら、身バレしちゃうでしょ? そしたら、こうして2人きりで会えなくなっちゃうかもしれないし……」
「八重……」
「だから、ここは私たちの秘密の部屋。……放課後限定の、特別な場所なんだから」
夕陽に照らされた八重の顔は、熟したリンゴのように赤くなっていた。
普段の『ボッチ女子』の面影はどこにもない。目の前にいるのは、俺だけに秘密を明かしてくれた、愛おしすぎる『推し』本人だ。
「ねえ、聞いてるの? ……今日のご褒美、まだもらってないんだけど」
「ご褒美?」
「もう……とぼけないでよ。今日、配信の準備手伝ってくれたでしょ? だから……助手くんには、ちゃんとお礼しないと」
八重はつま先立ちになり、俺の耳元に顔を近づけた。
甘い香りがふわりと鼻腔をくすぐる。
「……今日の配信のあと、また私の部屋で『二人反省会』……して手伝ってくれる?」
耳元で囁かれたその声は、甘くて、少しだけ不敵で——俺の理性を簡単に吹き飛ばすには十分すぎる威力だった。
(こんなの……ニヤニヤを抑えられるわけがないだろ……!)




