学校のざわめきと、届かない言い訳
翌朝、下駄箱で上履きに履き替えている最中から、校内の雰囲気がどこか変だった。
普段の朝なら「おはよー」「昨日宿題やった?」といった他愛のない会話が飛び交う廊下に、どことなくソワソワとした、浮足立ったような熱気が満ちている。
「……なあ、昨日の夜の配信、お前見たか?」
「見た見た! マジでビビったぞ……最後、絶対に男の手映ってたよな!?」
「しかもあの机の角と壁の感じ、どっかの部屋っぽくないか? もしかして……ガチで彼氏と同棲してたりする?」
階段を上り、2年B組の教室の前まで差し掛かったところで、その噂話の波はさらに大きくなった。
男たちの熱い議論、女子たちのひそひそ話。その中心にある話題は、間違いなく昨夜の『大事件』——大人気新人 VTuber・夢咲あいりの配信事故についてだった。
俺は平静を装いながら、教室の引き戸をガラガラと開ける。
朝の光が差し込む教室の窓際、最前列の特等席。
そこに、彼女——夢咲あいりは座っていた。
凛とした背筋、美しく整えられた制服の襟元、そして朝日に透ける完璧な銀髪。
手元には一冊の文庫本を開き、周囲の喧騒など意にも留めない様子でページをめくっている。誰をも寄せ付けない、学園一の『高嶺の花』。
(……相変わらず、完璧な演技だな)
一見すると、いつもと何一つ変わらない冷淡で美しい姿。
だが、俺にはわかっていた。
よーく見れば、文庫本を握る細い指先がほんのわずかにプルプルと震えている。
そして、銀髪の隙間から覗く小さな耳たぶが、茹で上がったタコのように真っ赤に染まっていた。
(めちゃくちゃ動揺してるじゃん……)
昨日の配信の最後、画面の隅に俺の手が映り込んだ瞬間、彼女はパニックになって「野良の妖精さん」だのなんだの謎の言い訳を叫んでいた。
ネット上では案の定切り抜き動画が拡散され、今や彼女のリスナーだけでなく、この学校の生徒にまで波紋が広がっているのだ。
俺が自分の席に着き、カバンから教科書を取り出そうとした、その時。
文庫本で顔を隠すようにしていたあいりが、ふっと本を少しだけ下ろした。
そして、チラリと——本当に一瞬だけ、教室の端にいる俺の方へと視線を向けてきたのだ。
紫色のアメジストのような瞳が、ほんのり涙目になっている。
『どうしよう……どうしよう!!』
言葉には出さないものの、その瞳は雄弁にSOSを訴えていた。焦りと恥ずかしさでパニック寸前の、本音の夢咲あいりの顔だった。
クラスメイトたちは相変わらず「あのVTuberの彼氏、誰なんだろ」「特定班動いてるらしいぞ」などと盛り上がっている。すぐ目の前にいる『高嶺の花』こそがその渦中の本人だとは、誰も夢にも思っていない。
俺は誰にも気づかれないよう、小さく息をついた。
そして、あえて大げさに肩をすくめて見せ、口パクでこう伝えた。
(……自・業・自・得)
すると、あいりは瞬時に眉をひそめ、両頬をぷくっと膨らませた。
『あんたのせいでしょバカ!』と言わんばかりの、可愛すぎる怒り顔。
クラスの誰も気づかない、朝の教室での秘密のアイコンタクト。
学園中を騒がせている美少女の「本当の素顔」と「秘密のプライベート」を知っているのは、世界で俺だけなのだという優越感と、それ以上の冷や汗が背中を伝う。
キーーンコーンカーーンコーン……
予鈴のチャイムが鳴り響き、クラスメイトたちが渋々自分の席へと戻り始めた。
あいりは慌てて文庫本で顔を隠し、再び『高嶺の花』の仮面を被り直す。
放課後になったら、またあの資料室で、どんな顔をして怒られることやら。
イチゴの甘い香りと、怒り顔の彼女を想像しながら、俺は始まったばかりのホームルームのプリントにペンを走らせた。
【作者より】
第24話をご覧いただきありがとうございました!
配信事故の翌朝、学校中が大騒ぎの中で繰り広げられる二人だけの秘密のアイコンタクト回でした♡
動揺しまくりのあいりちゃん、いかがでしたでしょうか?
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次回(19:00更新):『第25話:閉ざされた資料室と、責任を取らせたい高嶺の花』
お楽しみに!




