崩壊する高嶺の花と、放課後の秘密協定
教室内が、しんと静まり返った。
「あ……」
姫宮星奈は、両手で自分の口を固く塞いだまま、鳩が豆鉄砲をくらったような顔でフリーズしている。
顔の赤さは耳の尖端やうなじにまで達しており、その大きな瞳からは、今にも恥ずかしさのあまり涙が零れ落ちそうだった。
(……間違いない)
俺――佐藤蓮は、頭の中で昨夜の記憶と目の前の光景を高速で照らし合わせる。
あのアニメから抜け出してきたような甘い声。
慌てた時に出る独特の「痛い痛いなんだからねっ」というフレーズ。
そして、配信でリスナーの俺を呼ぶ時の「れんくん」というイントネーション。
目の前にいるクラス一番の孤高の美少女・姫宮星奈こそが、俺が半年間、毎晩画面越しに推し続けてきた個人勢Vチューバー『夢咲あいり』その人だったのだ。
「ひ、姫宮さん……?」
俺がそっと声をかけると、彼女は「ひゅいっ!?」と可愛らしい悲鳴をあげて跳ね上がった。
「ち、違うの! 今のは……今の声は、その……アニメのモノマネで……! 私は、そのっ、夢咲あいりなんていうVチューバーなんて全然知らないしっ……!」
早口で言い訳をまくし立てる彼女だったが、その声は完全に『あいりちゃん』の地声そのものだった。
しかも、知らないと言いつつ自ら名前を出してしまっている。完全に墓穴である。
「……姫宮さん、名前出ちゃってるよ」
「あっ――!?」
彼女は再び自分の口を塞ぎ、絶望したようにその場に崩れ落ちそうになった。
幸いにも、朝の教室は周りの雑音が高く、倒れた水筒の音に一瞬視線が集まった程度で、俺たちの会話までは届いていなかったようだ。
俺は床に転がった水筒を拾い上げ、彼女のデスクの上に静かに置いた。
「とりあえず……ここは人が多すぎる。放課後、屋上に来てくれないか? ちゃんと話そう」
「うぅ……はい……」
彼女は消え入りそうな声で頷き、消し炭のようになった顔を伏せたのだった。
◇
放課後。夕暮れ時の赤橙色に染まる屋上。
フェンスの前に立つ姫宮星奈は、昼間の『高嶺の花』としての威厳など微塵もなく、まるでこれから処刑台に向かう罪人のように肩をすくめて震えていた。
俺は彼女の前に立ち、ゆっくりと切り出した。
「改めて聞くけど……姫宮さんが、夢咲あいりちゃんなんだよね?」
「……っ」
彼女はぎゅっとスカートの裾を握りしめ、意を決したようにゆっくりと顔を上げた。
「……そうよ。私が、夢咲あいり……の中の人。笑えばいいじゃない。『高嶺の花』とか言われてる女が、裏では猫耳つけて『みんな大好き~♡』なんて言ってるオタクなんだから……!」
自暴自棄気味にそう言って下を向く彼女。
しかし、その瞳には大きな不安と、秘密がバレたことによる恐怖が浮かんでいた。
個人勢Vチューバーにとって、中の人(身バレ)の特定は死活問題だ。ましてや高校生であれば、学校での生活が一変してしまう可能性すらある。
俺はまっすぐに彼女の目を見つめ、深呼吸をした。
「笑うわけないだろ」
「え……?」
「俺は、半年前に君がデビューした時からずっと君の配信を見てる。君の歌声に救われて、毎日の配信を楽しみにして生きてきたんだ。……まさか、こんな近くにいたなんて思わなかったけど、軽蔑なんて絶対にしない」
「れ、れん……くん……?」
本名ではなく、配信での呼び名が口をついて出たことに気づき、彼女は再び顔を真っ赤にする。
「俺のリスナー名が『蓮』だってことも、気づいてたんだろ?」
「……うん。限定バッジを見た時、もしかしてって思って……それに、いつも一番に高額スパチャをくれて、優しいコメントをくれる『蓮くん』のアイコンと、佐藤くんの雰囲気が重なって……」
彼女はモジモジと指を弄りながら、蚊の鳴くような声で続けた。
「……バレたら、もう配信をやめなきゃいけないって思ってた。でも、佐藤くんが……『蓮くん』が最初に見つけた人で、よかった……」
「身バレのことは安心して。誰にも言わないし、俺が絶対に君の秘密を守るから」
「本当……? 私の、秘密の協力者になってくれる……?」
「ああ、もちろん」
俺がそう答えると、姫宮星奈は今までの冷たい仮面を完全に脱ぎ捨て、心底安心したように、花が綻ぶような眩しい笑顔を見せた。
それは、画面越しにしか見ることができなかった、俺の『最推し』の最高の笑顔だった。
「ふふ、よろしくね……『私の一番のリスナーさん』♡」
こうして、クラスの孤高の美少女であり最推しVチューバーである彼女と、俺の『秘密の放課後』が始まることになったのだった。




