秘密の放課後と、初めての『オフラインコラボ』
屋上での『秘密協定』から数日が過ぎた。
学校での姫宮星奈は、相変わらず誰とも群れない『高嶺の花』のままだ。
だが、俺たちの間には明確な変化があった。
廊下ですれ違う瞬間、彼女はほんの少しだけ視線を留め、他の誰にも気づかれない速度で、小さく「……ん」と唇を動かす。
それは、配信の挨拶である「こんあいり~」の口元だった。
(……可愛すぎるだろ)
俺は心の中で悶絶しながら、何事もなかったかのように通り過ぎる。
周りの男子たちは相変わらず「今日の姫宮さんも美しすぎて近づけない」などと囁き合っているが、彼らは知らないのだ。あの高嶺の花が、昨夜の歌枠で高額スパチャ(俺の投げ銭)に対して「れんくん大好き~っ♡」と叫んで悶絶していた裏の顔を。
そして放課後。
俺は約束通り、図書室の奥にあるめったに人が来ない資料室の陰で待っていた。
「……お待たせ、蓮くん」
制服の袖を少し引っ張りながら、こっそりと姿現したのは姬宮星奈だった。
学校内では周囲の目を警戒して『佐藤くん』と呼ぶ練習をしているはずなのだが、二人きりになると無意識に『蓮くん』と呼んでしまうらしい。
「ううん、俺も今来たところ。それで……『作戦会議』って何の話?」
俺が尋ねると、彼女は急にソワソワとし始め、持っていた通学カバンをぎゅっと抱きしめた。
「あのね……今週末の金曜日、チャンネル登録者数三十万人記念の特別配信があるの。そこで……新しい歌ってみた動画の公開と、記念の長時間の歌枠をやろうと思ってて……」
「おお、三十万人! おめでとう、星奈ちゃん。すごいじゃないか」
「あ、ありがとう……! でもね、問題があって……。今回の新曲、すごくキーが高くてテンポも速いから、一人で歌い込むのがすごく難しくて。それに、最近機材の調子も悪くて、音ズレが起きちゃったりしてて……」
彼女は上目遣いで俺を見つめ、上気した頬を染めながら、意を決したように袖口をきゅっと掴んできた。
「だから……もし蓮くんがよかったら、今週末……私の家に来て、配信の手伝いをしてくれないかな……? 機材のチェックとか、歌の練習の時に客観的なアドバイスをしてほしくて……」
「――えっ!? 星奈ちゃんの……家!?」
俺は思わず大声を出しそうになり、慌てて口を抑えた。
推しのVTuberの部屋に行く?
しかも、世間一般には『高嶺の花』と呼ばれる美少女の自宅に……!?
「駄目……かな? ほ、ほら! 蓮くんは私の第一号のリスナーで、一番私の声の良さを知ってくれてるでしょ……? それに、誰にも言えない秘密を共有できるのは、世界中で蓮くんだけだから……っ」
彼女は必死に理由を並べ立てながら、最後の方は消え入りそうな声になり、耳まで真っ赤に染めていた。
配信では何十万人ものファンを魅了する大人気VTuber。
けれど、目の前にいるのは、自分だけに頼ってくれようとしている、一人の恋する少女のような甘えん坊な女の子だった。
俺の胸が、激しく高鳴る。
「……分かった。俺で力になれるなら、喜んで行くよ。星奈ちゃんの三十万人記念、絶対に成功させよう」
俺がそう答えると、彼女の瞳が一瞬でパッと輝いた。
「ほんと……!? 嬉しい……っ! ありがとう、蓮くん!」
感極まった彼女は、思わず俺の手を両手でギュッと握りしめてきた。
柔らかくて、少し冷たくて、けれど心地よい温もりが手から伝わってくる。
「あ……ご、ごめんなさいっ! 私、嬉しくてつい……っ!」
我に返った彼女は慌てて手を離し、真っ赤になってうつむいてしまった。
そのあまりの可愛らしさに、俺の心臓はもう限界を迎えそうだった。
螢幕の向こう側の『推し』と、現実の『高嶺の花』。
二つの境界線が少しずつ溶け出し、俺たちの距離は、確実に『リスナーと配信者』を超えていこうとしていた。




