画面の向こうの女神と、世界一幸運なリスナー
「――というわけでみんな、今夜も遅くまで付き合ってくれてありがとう! ちゃんと暖かくして寝るんだよ? それじゃあ、おやすみ~……チュッ♡」
画面の中で、桜色のツインテールと猫耳を揺らすVチューバー『夢咲あいり』が配信を締めくくると、コメント欄は凄まじい速度で流れていく「おやすみ」「神回だった」の文字で埋め尽くされた。
俺――佐藤蓮は、静まり返った部屋でヘッドホンを外し、長めの息を吐き出した。
パソコンの画面が静かに暗転し、部屋に暗闇が戻る。
クラスでは目立たない普通の高校生である俺の裏の顔は、彼女のデビュー初期からの古参ファンであり、毎晩の配信を生きがいにしている『蓮』というリスナーだ。
「ふぅ……今日の歌枠も最高だったな……」
俺は椅子に深々と身体を預け、画面の余韻に浸る。
夢咲あいりは、半年ほど前に突如として現れた個人勢のVチューバーだ。天使のような歌声と、リスナー一人ひとりに真摯に向き合う人柄、そして時折見せるドジなギャップで、瞬く間に多くのファンを魅了した。
俺にとって、毎日の配信を見ることだけが、退屈な日常における唯一の救いだった。
「よし、明日の準備をして寝るか……」
◇
翌朝、私立桜ヶ丘高校の教室。
朝の教室は、いつも通りの喧騒に包まれていた。
俺は窓際の自分の席に座り、イヤホンで昨夜のあいりちゃんの歌回をループ再生していた。
「佐藤、おはよー」
「うん、おはよう」
クラスメイトと適度な距離感を保ちながら、平穏な一日を過ごす。それが俺のスタンスだ。
そんな中、教室のフロントドアが静かに開いた。
入ってきたのは、クラスの、いや学校中のアイドルであり『高嶺の花』と称される美少女――姫宮星奈だった。
人形のように整った容姿と、透き通るような黒髪。しかし、彼女の周りには常に寄せ付けない冷徹な空気感が漂っていた。
「姫宮さん、おはよう……!」
男子生徒が恐る恐る声をかけるが、彼女は軽く会釈をするだけで、一言も発せずに自分の席へと歩いていく。
……俺とは完全に行き交うことのない別世界の住人だ。
彼女は自分の席に座ると、カバンから厚めの文庫本を取り出した。
その時、肩にかかった髪を払おうとした彼女の袖が、カバンのサイドについた小さなキーホルダーに引っかかった。
ポロリと落ちたそれが、床を転がって俺の足元で止まる。
「ん……?」
俺は屈んでそれを拾い上げた。
手の中にあるものを見た瞬間、心臓が跳ね上がった。
『夢咲あいり・半年記念限定金属バッジ』。
限定五百個、即完売した激レアグッズだ。
(あの高嶺の花の姫宮さんが……あいりちゃんのファン……!?)
俺は驚きを隠せないまま立ち上がり、バッジを持って彼女の席へと近づいた。
「あの、姫宮さん。これ、落ちたよ」
姫宮さんは冷ややかな視線を俺に向けた。しかし、俺の手元にあるバッジを見た瞬間、その美しい顔から余裕が消え去った。
「――っ!?」
目を見開き、顔をみるみる真っ赤に染めて狼狽する彼女。普段の冷徹な仮面は一瞬で砕け散った。
「こ、これ……っ違うの、私は……!」
聲を震わせる彼女に、俺は優しく微笑み、声をひそめた。
「安心しなよ。この限定バッジ、手に入れるの大変だったよね。誰にも言わないから」
俺はバッジをデスクに置き、背を向けた。
その時――慌てた彼女がバッジを取ろうとして、デスクの上の水筒に手が当たってしまった。
「きゃあっ……!? れ、れんくん気をつけてっ――! ぶつかったら痛い痛いなんだからねっ小ニャ!」
甘く、愛らしく、どこかドジな悲鳴が教室に響き渡る。
俺の足が、ピタリと止まった。
アニメのような高い声、独特の語尾、そして無意識に出た俺のリスナー名――。
俺は固まったまま、ゆっくりと振り返る。
そこにいたのは、両手で口を塞ぎ、涙目になりながら真っ赤になって固まっている『高嶺の花』――いや、俺の『最推しVチューバー』だった。




