その2「指輪編」 最終話:生き返ったのは、人だけじゃない
イナンナは望月誓の願いに少し不可解そうな表情を浮かべ、こう言った。
「規定上、早期の終了は可能ですが、その場合でもご返金は致しかねます。それに、これまで、16時間も早く終えたいとおっしゃったお客様は、ただの一人もいませんでした。何か、ご不満な点でもおありでしたか?」
「いいえ、まったくの逆です。これ以上ないほど満足しているからこそ、早く終わりにしたいんです。お互いが、こんなに幸せな気持ちでいるのなら、この一番良い瞬間に今回の再会を終わらせて、お互いの記憶を、この瞬間のままに留めておく。そのほうが、ずっと素敵じゃないですか?」
イナンナは灯里の方を向き、こう言った。
「手続き上、あなたの同意も必要です。元の時空へ、予定より早くお戻りになることを、ご承諾いただけますか?」
「名残惜しいけれど……でも、それでお願いします。私、早く戻ります」
イナンナは、再び望月誓に視線を向けて尋ねた。
「最後に、何か言い残したいことは?忘れないでください。この別れは、恐らく、永遠の別れです。人は誰でも、一度しか復活はできません。つまり、彼女が帰ってしまえば、あなたはもう二度と、彼女を復活させることはできない。お分かりですね?」
望月誓はふっと微笑み、灯里にこう言った。
「これで永遠の別れかもしれない。でも、もしも、いつか未来で、彼が、君よりも先に逝ってしまうことがあったら……その時は、イナンナさんのサービスを使って、彼を一日だけ復活させてほしい。そうすれば、イナンナさんが、年老いた私を君の時空へ連れて行ってくれて、年老いた君に会いに行ける。そうすれば、私たちは、もう一度だけ、一日だけ、一緒に過ごせるんだ。どうだろう、いい考えだと思わないか?」
灯里は、涙がこみ上げてくるのをぐっと堪え、小さく頷くと、イナンナの方を見た。
「私の連絡先は、灯里さんにお渡ししておきます。あなたのご提案は、理論上は可能です。ただ、灯里さんに1000万円の費用をご用意いただくこと、そして、その時に望月さんご自身がまだご存命であること、この二つが条件となります。お約束します。もし、灯里さんがその時、本当に我々のサービスをご利用になるなら、私は、あなたを優先的に彼女の時空へとご招待しましょう」
「ありがとう、イナンナさん」
望月誓は礼を言うと、灯里へ向き直った。
「……その指につけている指輪を、外してくれるかい?」
灯里はためらうことなく、すぐに左手の薬指から結婚指輪を外し、望月誓に渡した。望月誓はそれを受け取るとズボンのポケットにしまい、代わりに上着のポケットから、自分の持っている銀の指輪を取り出した。そして、灯里の左手を取り、ゆっくりとその薬指に、指輪を嵌めていく。
「そして、いつか、その時が来たら、この二つの指輪をもう一度、交換しよう。それでいいかい?」望月誓は尋ねた。
灯里は、しっかりと頷いた。
それを見届けたイナンナは、望月誓と灯里の銀製の指輪に気づき、一瞬呆然とした。そして、灯里に指輪をもう一度よく見せてほしいと頼むと、今度は望月誓にこう尋ねた。
「……この指輪を作った職人というのは、もしかして、私と同じように、外国人の見た目をしていませんでしたか?」
「ああ、その通りだ。どうして分かったんだい?20年以上も前のことになるが、ある日突然、彼が私たちの町にやって来て、小さなアクセサリーショップを開いたんだ。この辺りでは、外国人を見かけることなんて滅多にないから、すぐに彼のことは有名になった。それに、彼の日本語は、君と同じように完璧でね。だから、私たちはすぐに友達になった。ただ、残念なことに、彼は私のためにこの指輪を一つ作ってくれたきり、突然どこかへ消えてしまってね。それ以来、一度も会えていないんだ」
「それじゃあ、彼の容姿は、私と同じくらいの年齢に見えましたか?」イナンナは、緊張を隠せない様子で尋ねた。
「20年以上も前の話になるが、確かに、当時の彼の見た目は、今の君と同じくらいの歳に見えたよ」
それを聞いたイナンナは、ほんの少し口元を緩めたが、その表情からは、押さえきれない昂揚感がありありと見て取れた。しかし、依頼人の貴重な時間をこれ以上、自分のために使わせてはいけないと思ったのだろう。それ以上は何も聞かず、望月誓と灯里に、最後の別れを告げるようにと、手で合図をした。
望月誓は、そこで灯里にこう尋ねた。
「よかったら、君のスマホを少しだけ貸してくれないか?陽菜に、電話をかけてみたいんだ」
灯里は携帯電話を取り出し、娘の番号を呼び出すと、通話ボタンを押してから、望月誓にその電話を手渡した。
電話は確かにつながったが、陽菜が忙しくて出られないのか、すぐに留守番電話サービスに転送されてしまった。望月誓は、一度電話を切ると、またかけ直した。そうして、それを五回も繰り返したが、結局諦めざるを得なかった。直接言葉を交わすことは諦め、留守番電話に、娘への一方的なメッセージを吹き込むことにした。
「陽菜、私が誰だか、絶対に見当もつかないだろうね。でもね、もし私にプレゼントをくれるつもりなら、本当にお前がくれるものなら、何だって嬉しいんだよ」
そう言い終えると、彼は目を閉じ、込み上げてくる感情を必死に静めた。
やがて別れの時が来た。イナンナに連れられて、灯里は去っていく。灯里が、何度も振り返りながら望月誓を見つめる中、望月誓は、ただじっと、その姿が角を曲がって完全に見えなくなるまで、二人のことを見つめ続けていた。
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元の時空に戻った灯里が家に帰り、ドアを開けると、夫はまだ起きていて、部屋にこもってプラモデルを作っているのでもなく、居間のソファに座っていた。夫は、灯里の帰宅に気づくと、つい、嬉しそうな表情を浮かべたが、すぐに、その笑顔を無理やり引っ込めてしまった。彼は立ち上がり、何でこんなに遅かったのかと尋ねようとしたが、どうしても言葉にできなかった。その時、彼の目が、灯里の手に提げられたビニール袋に入った、二つのガンプラの箱に留まった。
「あなたに、プレゼントを買いたくて、それで遅くなっちゃったの。気に入ってくれるか、見てくれる?」そう言って、灯里はビニール袋からZガンダムの絶版キットを取り出し、夫に手渡した。
この時空の望月誓は、目の前にあるZガンダムの箱を見て、一瞬、自分の目を疑った。妻が、自分がZガンダムを一番好きだということを、なぜ知っているのか分からなかった。ましてや、この入手困難な絶版キットを、一体全体、どうやって見つけてきたのか、想像もできなかった。
「嬉しい!めちゃくちゃ嬉しいよ!このガンプラは、私にとって、すごく特別な意味があるんだ。何しろ、私が生まれて初めて買ってもらったガンプラでね、母親が買ってくれたものなんだ。ありがとう、本当にありがとう」
「じゃあ、今から、作るの?」
「普段はね、こんなに貴重な絶版キットは、コレクションするだけで、組み立てたりしないんだ。でも、今回だけは話が別だ。あの頃の気持ちをもう一度味わいたいから、今すぐにでも作り始めたいと思う」
「私も、自分用にこの……『メタなんとか』っていうのを買ってみたの。作り方、教えてくれる?」
「メタスだ!スパロボでは、弾薬補給とHP回復を担当する神ユニットでね、私は毎回必ず出撃させて、装甲をMAXまで改造するんだ。君がそれを作りたいんなら、もちろん大歓迎さ。何か分からないことがあったら、すぐに私に聞いてくれ」
「それじゃあ、今から一緒に作り始めない?」
「もちろん、喜んで。ただ、私が作るこのキットは、ちょっと旧いタイプでね。部品がみんな単色のままなんだ。だから、まずはエアブラシで塗装しないといけない。すまないが、机の上に敷き紙を、一枚探してきてくれないか?」
灯里は「いいわよ」と返事をすると、さっそく敷くための紙を探しに部屋を出た。そして一分後、彼女は夫のもとへと戻ってきた。その手には、今朝、自分がまさにサインをしようとしていた、あの離婚届があった。彼女は、夫の顔を、じっと穴が開くほどに見つめた。
つい先ほどまで、絶版ガンプラを手に入れた興奮に湧いていた望月誓の心は、妻の手にある離婚届を見た瞬間、まるで水を打ったように冷め、その顔には、見るからに深い悲しみと恐怖の表情が浮かんだ。彼は、何か言おうとしたが、言葉が喉に張り付いて、ただの一言も発することができなかった。
灯里は、笑い出しそうになる自分の顔を、必死でこらえながら、持っていた離婚届をそっと差し出し、ゆっくりと言った。
「……ねえ、この紙を、机の上に敷いて使ったらどうかしら?」
望月誓の顔が、パッと輝いた。今にも泣き出しそうな悲しい表情から、一転して満面の笑みになった彼は、何度も勢いよく頷きながら、こう言った。
「いいとも!もちろん、いいに決まってる!」
突然、二人のスマホが同時に鳴り響いた。それは、新しいメッセージの受信を知らせるLINEの通知音だった。二人がそれぞれ自分のスマホを開いて見ると、娘の陽菜が、家族のグループチャットにこんな新しいメッセージを送っていたのだった。
「お父さん、何かあったの?さっき留守電に変なメッセージが入っていたの。オレオレ詐欺みたいなやつで、プレゼントを頂戴って言われた。声がお父さんと全く一緒だったから、すごく心配になっちゃって」
望月誓は、すぐにこう返信した。
「心配しなくていいよ、私は大丈夫だ。声が私にそっくりっていうのは、多分、詐欺グループが私の声をAIで真似たんだろう」
灯里も、それに続けてメッセージを送った。
「きっと、悪意のあるものじゃなかったと思うわよ。でも、陽菜、念のため、その音声ファイルを、グループに送ってくれない?私も、ちょっと聞いてみたいの」
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望月誓は、長い間、スマホの画面をじっと見つめながら、ひどく思い悩んでいたが、最後にはついに勇気を振り絞り、電話をかけた。
半年前、彼は亡き灯里への募る想いに耐えかねて、当時付き合っていた恋人の美穂に別れを告げていた。美穂は関係を修復したがったが、望月誓は灯里へのあまりに深い思慕を抱えたまま別の誰かを愛することはできなかった。それは彼女に対して不誠実であると考え、別れを選んだのだ。
しかし、今は違う。彼はようやく過去を乗り越え、もう一度、自分のわがままを許してもらい、二人の関係をやり直したいと、そう願った。
だが、相手は着信を拒否した。
望月誓は、それが彼女の気持ちなのだと現実を受け入れ、携帯電話をしまおうとした。その時だった。彼の手の中で、電話が再び鳴り響いた。
着信画面には、「美穂」の文字。美穂からの、かけ直しだった。
望月誓は、慌てて通話ボタンを押した。
「もしもし?」
受話器の向こうから、美穂の声が聞こえる。
「誓……ごめんね、さっきは緊張しちゃって、電話に出ようとしたら、間違えて切る方にスワイプしちゃったみたいなの。……それで、何か、私に話があったんじゃないの?」
「……美穂、謝らなきゃいけないのは、私の方なんだ。あの時は、本当にどうかしてた。自分のことばかりで、君の気持ちを全然考えていなかった。わがままで、自分勝手だった。……もし、許してもらえるなら、私と、もう一度やり直してくれないか」
電話の向こうで、美穂はしばらく押し黙っていた。三十秒ほどの沈黙の後、彼女の声が再び響いた。
「ねえ、誓。私が、この電話を、どれだけ待っていたか分かる?さっき、着信を見た時、本当に嬉しくて、それで、指が震えて、間違えて切っちゃったんだから。……私も、誓ともう一度やり直したい。でも、一つだけ、条件があるの。今度こそ、本当に、絶対に、私のことを捨てたりしないって、約束してくれる?」
「……美穂、約束する。これからの残りの人生をかけて、君を愛する。君だけを、一生愛し続ける」
(終)





