第三話 拒絶ルート②
その異変に気がついたのは、入学して一ヶ月が経とうとしていた頃だった。連休を間近に控えたある日、私は休み時間に隣の席の結衣ちゃんを誘った。
「ねえ、結衣ちゃん。今度のお休み、もしよかったら一緒に遊ばない?」
学校ではすっかり仲良しになったけれど、まだ学校の外で遊んだことはなかった。思い切って提案すると、結衣ちゃんは少しだけ気まずそうに目を泳がせた。
「あ、ごめんね優奈ちゃん……。その日は、ちょっと用事があって……」
「そっか。残念だけど、また今度ね」
断られてしまったのは残念だけれど、仕方がない。そう思って引き下がろうとした時だった。
「あのね……他のクラスの子から聞いたんだけど。優奈ちゃんの幼馴染の男の子、すごく、優奈ちゃんのこと大切にしてるんだってね」
「え……?」
「その……『お休みの日は僕と優奈ちゃんが遊ぶ約束をしてるから、他の子が誘ったら優奈ちゃんが困っちゃうかも』って……言ってたみたいで」
ドクン、と心臓が嫌な音を立てた。
なに、それ。
私は彼と休みの日に遊ぶ約束なんてしていない。なのに彼は、知らないうちに他のクラス――つまり、私の周りの友達の耳に届くように、わざとそんな嘘の噂を流していたのだ。『優奈ちゃんを誘ったら、先約していた僕が悲しむ』と、言葉巧みに同情を引き、あわよくば私の交友関係を制限するために。
……そんなこと、させるもんか。
中学生の精神を持つ私は、ここで引き下がるわけにはいかなかった。私が黙って従えば、彼の『鳥籠』は完成してしまう。
「えー?遥希くん、勘違いしちゃったみたい」
私は心臓の嫌な鼓動を悟られないように、あえて明るく笑い飛ばした。
「私、あの子と遊ぶ約束なんて全然してないよ。私、結衣ちゃんと遊びたいなあ」
「えっ、そうなの?」
「うん!だから日曜日、一緒に遊ぼ?」
私の強引とも言える押しに、結衣ちゃんは目を瞬かせて「……うん!わかった、遊ぼう!」と笑顔で頷いてくれた。
よし、約束は取り付けた。彼の流した嘘の噂なんかで、私の交友関係を壊されてたまるか。私は胸の内で安堵の息を吐き、休日の約束を指折り数えて待った。
――しかし、彼がそんなささやかな抵抗を見逃すはずがなかったのだ。
日曜日。待ち合わせ場所に指定した近所の公園の入り口で、結衣ちゃんと合流した。
「結衣ちゃん、お待たせ!」
「ううん、私も今来たとこ!何して遊ぶ?」
二人で無邪気に笑い合っていた、その時だった。
「――優奈ちゃーん!」
背後から響いた聞き慣れた声に、全身の血の気がサッと引いた。ギクリと振り返ると、満面の笑みを浮かべた彼が、小走りでこちらに向かってくるのが見えた。
「優奈ちゃんが今日、ここでお友達と遊ぶっておばさんから聞いたから、僕も来ちゃった!」
まただ。また、親のネットワークだ。私のお母さんが『優奈が新しいお友達と遊ぶのよ』とでも彼のお母さんに話し、それが彼に筒抜けになっていたのだ。
「えっと……優奈ちゃん、遥希くんも一緒なの?」
戸惑ったように結衣ちゃんが私を見る。私は強ばりそうになる顔の筋肉に無理やり力を込め、引きつった笑顔を浮かべて結衣ちゃんに顔を寄せた。
「……ごめんね。遥希くん、すっごく心配性で……。遥希くんのことは、気にしないで」
そう。気にしなければいいのだ。彼を追い返そうとすれば、また泣き出して親に報告され、私が悪者にされるだけ。ならば、彼を『ただそこにいるだけのオマケ』として扱い、私と結衣ちゃんで思い切り遊べばいい。
「さ、結衣ちゃん、あっちのブランコ行こっか!」
「う、うん」
私は結衣ちゃんの手を引き、遥希くんに背を向けて歩き出した。しかし、『気にしないで』と言われて、大人しく空気になれるような彼ではなかった。
「あ、優奈ちゃん!そのブランコ、昔よく二人で乗ったよね。優奈ちゃんがうまく漕げなくて、僕が背中を押してあげたんだよね」
私たちが話し始めようとする絶妙なタイミングで、遥希くんは嬉々として私たちの間に割り込んできた。
「優奈ちゃん、喉渇いてない?水筒持ってきたよ」
「結衣ちゃん、優奈ちゃんはね、高いところが苦手だから、滑り台はあんまり好きじゃないんだよ。僕と砂場でお城作るのが一番好きなんだ」
事あるごとに、彼は『僕の方が優奈ちゃんをよく知っている』というマウントを取るように言葉を挟んできた。直接的に結衣ちゃんを攻撃するわけではない。ただ、私と彼の間に流れる『長年の幼馴染という歴史』をひけらかし、結衣ちゃんが入る隙間を徹底的に無くしていくのだ。次第に口数が減り、居心地が悪そうに視線を彷徨わせる結衣ちゃん。結衣ちゃんが少し離れてトイレへ向かった途端、遥希くんは私にすり寄り、耳元でふふっと笑った。
「結衣ちゃん、優奈ちゃんのことあんまり知らないみたいだね。やっぱり、優奈ちゃんのことを一番分かってるのは僕だよ」
「……やめて。今日は結衣ちゃんと遊ぶ約束だったのに」
私の苛立ちは、すでに頂点に達していた。低い声で睨みつけると、遥希くんは一瞬だけ目を丸くし、すぐにしゅんと眉を下げた。
「ご、ごめんなさい……僕、優奈ちゃんが心配で……。邪魔、だった……?」
可哀想な自分を演出し、私に罪悪感を抱かせようとするその態度。
もう、うんざりだった。
「うん。今日はもう、帰って」
私は感情を殺した冷たい声で、はっきりとそう言い放った。ピタリ、と遥希くんの動きが止まる。いつもなら私の拒絶に泣き落としで応じる彼も、これほど直球で拒絶されるとは思っていなかったのか、一瞬だけ面食らったようだった。
その隙を、私は見逃さなかった。
ちょうどトイレから出てきた結衣ちゃんの姿が見えた瞬間、私は彼女の元へ駆け寄り、その手をぐっと掴んだ。
「えっ、優奈ちゃん?」
「結衣ちゃん、行こう!」
私は振り返ることもなく、結衣ちゃんの手を引いて公園の出口へと向かって全力で走り出した。
「え、ええっ?遥希くんは?」
「いいの!あっちの別の公園で遊ぼう!」
後ろから彼が追いかけてくる気配がないか、心臓をバクバクさせながら走り続けた。角を曲がり、彼の視界から完全に外れたところで、私たちはようやく足を止めた。息を切らす私を見て、結衣ちゃんは呆気にとられた顔をしていたけれど、すぐに「ふふっ」と笑い出した。
「もう、優奈ちゃんったら、いきなり走るんだもん、びっくりしちゃった!」
「ごめんね!でも、これでようやく二人だけで遊べるね」
それからの時間は、本当に楽しかった。彼の影に怯えることなく、ブランコに乗ったり、落ち葉を拾ったり、他愛のない話で笑い転げたり。彼という『呪縛』を振り切り、自分の意志で友達との時間を守り抜いた。その達成感と解放感で、私の胸はいっぱいだった。
――けれど。彼がこのまま大人しく引き下がるような人間ではないということを、私は本当の意味で理解していなかったのだ。
つづく




