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この剣は、貴方のために  作者: 凪砂 いる
第十二章 戴冠までの日々

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55.渡す者と、受け取る者

 十一月(テラフォール)。戴冠式を前日に控えた夜、照明を少し落とした薄暗い私室にレナータは立っていた。

 

(明日には、全て、手放す――王としての私の務めも)

 

 彼女は女王としての最後の書類、指輪をそっと見つめ、窓辺に立つ。遠くに神殿の明かりが見え、彼女はふぅ、と息をつく。


 私室の装飾も、何もかもが今日の彼女には遠くに見える。そして、ふらつく。

(私の身体が、動くうちで……本当によかった)

 ひとり私室にいる時間は彼女を『女王』としてではなく『レナータ』としての個人の時間に戻してくれる。


 彼女は目を閉じて、これまでのことに思いを馳せる。

 王立学院を卒業し、父が亡くなり、女王となった日。これまで一緒にいたルエラが更に遠くに見えた。レナータの前で花のように笑っていた彼女は、笑わなかった。

 

(私が、アマリア様に意見が言えていたら……ルエラは、変わったのかしら)

 

 思い出すのは先代の騎士団長アマリア。親友ルエラの母で、ルエラに大変厳しく当たっていたのをレナータは横で見ていた。あの時、アマリアに少しでも意見が言えていたならば……親友が氷に閉ざされたような表情はしなかったのか。


 次に彼女は、ベッドサイドの棚の上にある亡き夫、エリアスの写真を手に取る。フレンが子供の頃に亡くなったエリアスは、どこか今のフレンにそっくりだった。そっと、写真に触れる。

(エリアス、あなたが生きていてくれたなら……私は違った女王になれたかしら?)


 ふと私室の照明がつく。

 そこにはエリアスの面影を残したフレンが立っていた。


 その姿を見た瞬間、胸の奥が、わずかに揺れた。

 王太子としての立ち姿ではない。

 鎧も、玉座も背負っていない、ただの青年。

 一瞬だけ——フレンが「息子」に見えた。


 記憶の奥で、エリアスが微笑む。

 同じ背丈、同じ目線。迷いを隠すように背筋を伸ばす癖まで、よく似ていた。


(正しかったかは、わからない。ただ、立ち止まらずにきただけ)


 フレンが緊張した面持ちで立っている。

 それを彼女は、じっと見つめた。


 「……緊張、してるわね。無理もないわ」

 フレンは少し躊躇いがちに俯く。


 しんとした空間に、時計の音だけがチク、タクと時を刻む。

 「……母上、俺は……王に、なれるでしょうか」

 レナータはふっと微笑み、すっとすぐに真剣な表情に戻る。


 「あなたに、問うわ」

 フレンがごくりと息を呑む音がする。

 

 「ひとつ、国が間違った時、あなたは誰を選ぶ?」

 

 フレンの視線が僅かに逸れ、言葉を失う。


 「そして……正しさより選択を迫られる未来がきっと来る。あなたはそれでも王として立っていられる?」


 フレンは押し黙ったまま、言葉を発せない。


 レナータはふっと微笑み、頷く。

 「答えられなくて、いい。ただ、選び続ける人でありなさい」


 箱から印と、古びた指輪を取り出し、フレンに握らせるように手渡す。

 「これは、国王としての証。指輪は――エリアス、父さんの形見」

 フレンの瞳の奥が、わずかに揺れる。


 「私は王として、守れなかったものもある。だからこそあなたに――託す」


 フレンは深く頷く。


 「明日からも、あなたは、あなたのままでいなさい。私は、(まつりごと)からは退く。あなた達の相談には乗るわ。でも口出しは、しない」


 息子が一礼して部屋を去り、再び一人になったレナータは、再度窓際へ行き、遠くの神殿の灯りを見つめる。明日、息子に託す王冠へそっと手を置いて。

 (私は――選び続けられたかしら)

 彼女は心の中で呟き、触れた王冠を箱にしまう。


 少しずつ、夜の闇が東雲色に染まりつつある中、レナータはずっと遠くの神殿を見ていた。

 王であることは手放す。

 けれど、世界への想いまでは、手放さない。

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