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この剣は、貴方のために  作者: 凪砂 いる
第十二章 戴冠までの日々

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52.指輪の重さ

 人々のざわめきが耳に残ったまま、私は目をうっすら開けた。いつもと何も変わらない、しんとした私室。昨日の結婚式が夢なのか現実なのかすら、わからないまま私は、微睡んでいる。

 

 神殿の鐘も鳴らない、外の小鳥のさえずりだけが聞こえる静かな朝。外を見ると庭園の花が静かに風に吹かれ、ゆらりと揺れている。カーテン越しに差し込んでくる朝の橙色を含んだ光も、どこかやわらかかった。

 

 私の身体は重くなければ、身軽というわけでもないが、世界は昨日と何も変わっていないような気がして、それが少し怖かった。


 私は、あたりを静かに見渡し、ふと左手を見る。

 左手に光る金の装飾が施された誓いの指輪が、たしかにそこにあり、結婚式が現実のものであったことを実感する。一瞬躊躇いつつもそれに触れると金属のひんやりとした感じが、次第に体温に馴染んでいくのがわかった。


 その指輪の意味は、私が正式に『王太子妃』となったことをたしかに知らせてくれる。その重みに一瞬心がずしりとする。これは私を縛るものではないと心ではわかっているが、例えば、今まで通りに城下町の喫茶など気軽に立ち寄れる立場ではなくなった。今まであった『自由』よりも『公』の立場であることを示す。

 (これは、私のゴール? それとも、ここからが始まりなのかな?)


 私はそっと胸の紋章に手を当てる。光を放つことはないが、消えてもいない。ただそこに『在る』だけのものとなった。紋章の力を失ったわけでもないのだろう。私に答えが『求められる』のではなく『選んでいく』立場になったことを示している。


 「妃殿下、朝の支度の時間でございます」


 女官のトーンが昨日までより、硬く、仰々しく聞こえる。やっぱり私は王太子妃という立場になったのだということを実感させられる。


 「わかりました。入ってください」


 そう言うと女官がしずしずと入ってくる。目線はまっすぐと私を見据え、捉える。昨日まで「ルエリア様」と気軽に呼んでくれたのに、まだ私は現実に慣れることはない。嬉しいわけでもないが、それを拒絶したくもない。

 ささっと整えられる自身に、少し戸惑う。今までになかったことだ。私も振る舞いを少しずつ変えていかなければいけないのだろう。


(こういう時って……どういう表情をしていればいいの?)


 私は頭の中で自分に求められている立ち振舞いなどをグルグルと考えて口元が引きつっていた。


 女官の支度が一通り終わり、また、部屋に静けさが戻る。

 その時、コンコンと扉から落ち着いた音がした。こういう叩き方をするのはラヴィニアだ。


 「ラヴィニア? 入って」


 ラヴィニアのいつもの柔らかい表情に、私もふっと気分がほどける。それが私を無意識に支えてくれている気がする。


 「ルエリア、どう?」

 「どうって……まだ、よくわからないよ」

 「うん。だろうね」


 ラヴィニアは納得したように頷く。ただ、いつものラヴィニアとの会話だけが、変わらない『私』でいられるような気がした。答えのない何気ない会話が、私が『ルエリア』としていられる時間なのだろうと改めて感じる。

 ラヴィニアはふわりとカーテンを開ける。朝の光が徐々に白さを増して、朝から昼に時間が移り変わっているのを感じる。


 「今日もいいお天気ね」

 「……そうだね」


 私は窓辺にいるラヴィニアの元へ近づく。

 窓からはまだ修繕中の神殿の足場が見え、工具の音が遠く僅かにコン、コンと響く。いつもと変わらない人のざわめき、確かに今日も、私を取り巻く世界は変わっていないように感じる。それが、妙に安心感を与えてくれる。神殿の修繕もまだ完全には終わっていない。工具の音や人の声に今は不完全でも、それでも今日が続いていることを教えてくれた。


 「まだ工事、続いてるね」

 私の言葉にラヴィニアが少し考えたような口調で言う。

 「戴冠式に間に合わせるみたいだから、急いでるみたいだよ。夕方遅くまで人がいるもの」


 (私は、たぶん、今はどう立ち振る舞えばいいかとか、迷っていてもいいんだ。これが選んだ道だから)


 胸で光らない紋章が静かに存在している。私はそれにそっと触れた。

 金の装飾の指輪とともに、今、ここに確かなものとして存在している。


 私は、この道を選んだ。これからも道を選び続けなくてはならない。

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