6話
「――そろそろ来る頃だと思っていたわ」
部屋の前に立つニクスを見下ろしながら、扉を開けたククルはそう言った。
「もう教室の半数以上がラディウスを開花させたのに、一番開花に近かったはずの貴方がまだ神与武器を得ていないのだもの。その原因が記憶喪失にあるのではと疑うのは当然の帰結よね。であれば、その解決手段に私を頼るのも自明の理よ」
まさにその通りだった。
あの日から五日が経ち、多くの生徒がラディウスを開花させ、神与武器を手に入れていた。なのに、初日にはもうつぼみをつけていたニクスの花は未だ咲く気配を見せない。
やはり自分の欠落に原因があるのだろう。そう思ったとき、初めて焦燥のようなものを感じた。このままではいけない。なんとかしなくちゃ。そういう思いが、ニクスの足を八番の部屋に向かわせたのだ。
「ですが、僕は本当に名前以外何も覚えていないのです。それでも――僕の存在をたどることができるのですか?」
「本当に貴方がすべての記憶を失っていたら、今頃ばぶばぶ言っているはずよ。でも現実にはそうじゃない」
言われてはっとする。
確かに自分の経験はまるで思い出せないが、言葉はしゃべれているし学校がどんなものかもわかっている。そこは確かに欠落していない。
「いわゆる常識に関する記憶と、個人の経験の記憶というのは、実は頭の中でまったく違う扱いを受けていると言われているわ。保管場所が違うのか、書き込み方が違うのかはわからないけれど、そのおかげで記憶喪失の人でも会話が通じることは多いの」
「そこからわかることがある――のですか?」
「貴方の出身地くらいはわかるかもしれないわ。ついてきて」
返事を待たずにククルは部屋を出て、廊下を進んでいく。
ニクスは慌てて後を追い、水色の髪が揺れるその背中に訊ねた。
「どこに向かっているのですか?」
「機械科の研究室よ」
端的で、しかし何もわからない答えが返ってきたのだった。
会議室には五人の女が集まっていた。
学園長、フラン・ベルジュール。
教導科長、キクリ・レーセン
信仰科長、シルヴィア・セクエンティア。
機械科長、ヴェスタ・リゼット。
そしてヴェスタのお付きのヘレナ・パーシュース。
ラクラシア神殿学園を運営する各部門のトップたちと、その助手一名だ。
「さてさて。今回、我々に招集をかけたのは機械科なわけだけど――いったい何が起きたんだい、ヴェスタ?」
フランの問を受けて、大きな丸眼鏡をかけた白衣の女性、機械科のヴェスタは楽しそうに笑い、金属製のケースを机の上に置いた。
「――ひとまずはこれを見てもらおう」
大仰に開けたそのケースの中には、緩衝材として高価な紺色の布が敷き詰められ、そこに埋もれるようにして金属製の筒が収められていた。
「これは――ニクスくんの持ち物じゃないか。これの製造元がわかったって話かな?」
「少し違う。わからなかったという話だ」
「……わからない?」
キクリが首をかしげる。
「話がまったく見えないんだが。どーゆーことだよ、機械科の。自前の調査がお手上げだからアタシらのコネに泣きつこうってのか?」
「違うよ。誰が作ったのはわからなかったが、コレが何なのかはわかった。そして、それはどう考えても共有しておくべき情報だと思ったから招集をかけさせてもらった。つまりはそういう話だよ」
「だーっ! もったいぶらないで、答えを言えよ、答えを!」
「では結論から言おう――これは『祭器』だ」
「お、お前……自分が何言ってるのかわかってんのか……?」
「もちろんだとも」
――祭器。あるいはオリジナルセブン。
それは遥かなる昔、この地で発見された七つの超常の力を持つ道具を示す言葉だ。
その七つを女神から贈り物と考え、独占し、研究し、利用することで神国ラクラシアは大きくなった。機械という文明すらもそこから発生した副産物にすぎない。
「つまりこれは――有り得べからざる、八つめのオリジナルセブン、ということになる」
「それは……確かに、大事だ。下手をすると世界がひっくり返る」
七つ同時に見つかり、そして千年経っても新たには見つからなかったからこそ、それを独占する神国ラクラシアは特別足り得た。
だが八つめがあるなら、九個目十個目もあって不思議ではなく、そうなってくるとラクラシアの立場が揺らいでくる。
ラクラシアは世界の中心でなければならない。でなければようやく機能し始めたこの神殿学園も、光明が見えてきた瘴気との戦いも、すべてがご破算になりかねない。
フランは頭痛を抑えようとこめかみを押す。
「……その、肝心の、機能の方はどうなのですか?」
「さすがだキクリ。そこがまた、この話の難しいところでね。――ヘレナ」
「はい」
ヴェスタの後ろに控えていた助手、三つ編み眼鏡に白衣のヘレナが筒についた取手を握り、巫力を注ぐ。
筒の装飾に光が走り、紫電が散り――先端の穴からチョロチョロと水が出た。
「――は?」
「……え?」
「いや、よくあるだろう。竹筒に水を入れて、後ろから押して穴から水を飛ばす玩具。こいつはどうもそれらしい。巫力を何らかの超常技術で純水に変換し、先端から飛ばすおもちゃだ」
「う、うーん……いや、しかし……」
問題が一気に軽薄になった。もしこれが他国に持ち出されてもまったく脅威にはならないし、仮に多数よそで見つかってもパワーバランスに変化はないだろう。
「持ち主は小さい子だと言っていただろう? しかも計測史上最も女神様に愛された子だとか。なら、女神様がその子に与えたんじゃないか。純然たるおもちゃとしてさ」
「まあ、筋は通らなくはないけど――」
千年間探し続けて見つからなかった八個目が偶然今見つかったのではなく、今まさに彼女のために女神様が用意したからこれまで見つからなかったのだ、ということなら。
納得もできるし、九個目以降が存在しない理由にもなる。
けれど――
「だとしたら余計に彼女は何者で、どこから来たっていうんだ。まさか本当に――」
フランは天を仰いだが、そこにあるのはただの無機質な照明であって、青空でも女神様の姿でもなかった。
機械科の持つ研究室の一つ。
そこでニクスは機械のついた椅子に座らされていた。
椅子の周りには無数のケーブルが絡みつき、そこから大きな機械につながっている。
なんとなく背筋がゾワゾワするなあ、と思いながら、ニクスはククルの話を思い出した。
「通常、私たちはどんな言語や文字を使っていても、間に女神様が入ってくれるから母国語のように理解できる。リアルタイムに全自動で翻訳がかかるわけね。ただし、実際に発音している音はそれぞれ自分の言語を使っているはず。そして機械なら、女神の翻訳を受けずに純粋に音で言語を判断することができるわ」
そしてこれがその装置、ということらしい。
「これはククルさんが作ったんですか?」
「半分はね。もう半分は最初からここにあったの。女神様の翻訳があるのに大陸中のあらゆる言語を分析して記録しようとした変人の遺産よ」
「はあ。確かに変わってますね。実用性はなさそうです」
そんな会話をしている間にもニクスの話す音は記録され、言語データベースと比較され、画面上の白かった文字が黒く消えていく。
「だいぶ候補が絞れてきたわね。もう少ししゃべって」
「しゃべってと言われても……何を話せばいいんでしょうか?」
「本当に何でもいいんだけれど――そうね、じゃあ、好きなものについてでも」
「好きなもの――」
サーラの顔が浮かび、クレイの顔が浮かび、フランの顔が浮かび、ククルの顔が浮かぶ。
「――もしかしたら僕は、女性が好きなのかもしれません」
「あら。衝撃の告白」
なんて話している間にも候補一覧の白い文字は消えていく。
「ちなみに私は未知が好き。知らない場所、知らない生き物、知らない法則――それを知る知的快楽は何物にも代えがたいわ」
「なんとなくわかります」
そうして会話するたび、やはり白い文字が消えていき――
「――終わったわよ」
「ありがとうございました。何かわかったのですか?」
「ええ。わからない、ということがね」
彼女が示した機械の画面は真っ暗になっていた。
「貴方が今しゃべっている言葉は、この大陸で使われているどの言語とも違う。本当に面白いわ。貴方は一体、どこから来たのかしらね――」