出会ったときの記憶
なんて格好良い女の子なんだろう。
沙巳子が初めて小夏を意識したのは、仮入部したばかりの弓道場でのことだった。
彼女たちの通う武蔵立川高校は、武道系の設備がほとんどない武蔵立川市内の学校施設で唯一弓道場を備えていた。
そのため、少数ながら部活で弓道をしたいという学生が集まる高校であると一部では知られていて、弓道部のレベルは高いものがある。
一方で、多摩での弓道の普及に役立てたいと、初心者も多く抱えるようにしている優等生なモットーもあげていた。
沙巳子も、高校に入ってから勧誘を受けたくちだったが、仮入部の初日に一人の同級生の射(この頃はまだ読み方を知らない)を見て、即座に入部を決めることにした。
その同級生は、新入生では五人いた経験者の一人であったが、他の四人と比べても段違いに上手だった。
何よりも姿勢が綺麗だった。
170cmほどの長身と細くて長い手脚、刈り上げた短い髪はまるで男子のようだったが、一見すればすぐに女性とわかる端正な顔立ち、そして、凛とした眼差し。
上級生も顧問も、その場にいたすべての者が見蕩れた凛々しさだった。
それなのに、引き絞った弦から放たれる矢は豪快にして激烈。
とても少女の射つものとは思えない力強さがあった。
残り四人は全員が男子であったが、彼らにも引けを取らない迫力が感じられる。
「……相変わらず凄いな、夏木は」
「ありがとうございます、佐原先輩」
夏木と呼ばれた一年生は、どうやら部長である三年男子の佐原の知り合いであるらしかった。
やっぱり経験者は違うね、と一箇所に集められた新入生たちは小声で言い合った。
「見ての通り、うちにはこの夏木を初めとして中学の頃から弓道に親しんでいたものが数名いる。しかし、うちの部の方針としては、今まで馴染みがなかったものにも弓道を好きになってもらいたい、と考えているものがある。そのため、高校三年間で公式の大会に出たいというものはしっかりと選手になるための練習してもらうが、一方で、弓道を嗜みとしたいというもののためにも活動はすることにしている。それによって二つのグループが生まれることになると思うが、両者を殊更に区別する気はない。初心者であっても上手くなりたいというものにはそれ相応の対応をする。逆に、のんびりやりたくなったというもののために途中から優しいコースへ転向することも止めることはない。どちらかを選ぶかは、今はまだ入ったばかりということでわからないこともあるだろうから、一学期が終わる頃までに決めてくれればいい。また、二つのコースに差を付けることはしないし、選手だからといって横柄な振る舞いをするような者については当然どんな実力者でも外れてもらうことになる。うちは弓道をもって、精神を鍛えることも目的としているからだ。以上、大まかなガイダンスはあとで副部長から説明があると思うが、私からはこれだけだ」
佐原部長の説明が終わると、三年女子の副部長平松が細かな説明を引き受ける。
新入生たちは、全員が体育座りをして、神妙に聞き入っていた。
しばらくして端の方で武具を外していた小夏が改めて沙巳子の隣に座ってきた。
さっきの凛々しさを思い出して、沙巳子は女の子を相手にしているというのにドキドキしてしまった。
近くで見ると、彼女よりも頭一個分背の高い小夏は綺麗な男の子にも見えたからだ。
額を流れる汗が輝いていて、まるで虹のようだった。
「ねえ、夏木さん」
沙巳子が動揺して副部長の説明が頭に入らなくなっていたとき、突然、斜め前に座っていた少女が、小夏に小声で話しかけてきた。
長い茶髪をゆるめのカールにした可愛い娘だった。
弓道場の厳粛な雰囲気には似合わないタイプかも、と沙巳子は仮入部でたまたま一緒になったときから思っていた。
すでに顔見知りではあったが、もう少しいわゆるギャル系で恋愛とかファッションとかに興味の中心がある女の子のような気がしていたのだ。
そういう先入観を持っていたせいか、振り向いた女の子の真剣なまでの目つきに驚いた。
顔や見た目の華やかさにはそぐわない強い意思が感じられたような気がしたからだ。
「……え、なに?」
「何年ぐらいやっているの?」
「弓道のこと? 私は中二からだからまだ二年だよ」
「……て、ことは、二年やれば結構マシなフォームで弓を引けるようになるの?」
「うーん、一生懸命にやれば……多分」
「わかった。あたしも選手目指す」
そう言うと、ゆるふわカールの女の子は小夏から視線を外して、また真面目な顔をして副部長の説明に耳を傾け始める。
手には小さなメモ帳がある。せわしなくペンが動いていることから、色々と書き込んでいることはわかる。
彼女が一生懸命なことはどんな鈍い人でも理解できるだろう。
沙巳子はなんとなく恥ずかしくなった。
あんなに真剣に弓道に取り組もうとしている相手に対して、自分は見た目だけで彼女を決めつけようとしていたことについて、だ。
隣の小夏も感銘を受けたらしく、驚きの眼でその背中を見つめている。
「……こっちの人、知り合い?」
今度は小夏が袖を小さく引っ張って沙巳子に訊いてきた。
こっちの人というのは、間違いなくゆるふわカールの女の子のことに違いない。
沙巳子が、自分たちの会話を盗み聞いていたことに気づいていたようだった。だからこその質問だったのだろう。
好奇心に負けて聞き耳を立てていたことについても、沙巳子は恥じた。
はしたないことをしてしまったと反省する。
「確か、A組の尾野屋さん」
「よく知っているね。同じ中学とか?」
「ううん。昼のオリエンテーションの時に、同じグループだったの。わたしはB組なんだけど、オリエンテーションはAB組合同だから」
「……そうかあ、尾野屋さん、凄いやる気だよね。私も負けてられないな」
「夏木さんに勝つのはすごく難しそうだけど……」
「そんなことない。本気で弓に取り組む人相手だったら、少しぐらい齧ったぐらいの私程度じゃすぐに追い抜かされちゃうよ。よーし、私も尾野屋さんに勝てるように頑張らないと」
両拳を胸の前でぐっと握るガッツポーズをとる小夏。
その姿は、前向きで陽性でまっすぐな人柄を表しているようで、さっきまでの凛々しさとはまた異なる眩しさを伴っていた。
「……」
「あ、私はD組の夏木小夏。夏が多いけど、気にしないでね。あなたは?」
「わたしは勢多沙巳子です。よろしくね、小夏ちゃん」
「……わあ、やった。私、こんなだから「ちゃん」付けで呼ばれることあまりないから、嬉しいな。よろしく、沙巳子さん」
小さく差し出された手を握って、沙巳子はようやくさっきまでのドキドキが収まっていることに気がついた。
隣にいる子は、あんなに凄い弓の名人なのにそれをひけらかすこともなく、初心者でもライバルとして見下さない、心底、格好いい人なのだ。
さっきの尾野屋さんの真似というわけでもないけれど、わたしも選手を目指そう、と沙巳子は決意した。
隣の小夏を目標にして頑張れば自分でもなんとかなるかもしれない。
それから、彼女はまず小夏と親しくなり、すぐに小夏をライバル視していた尾野屋ひかりとも打ち解け、二年次に同じクラスになってからというもの、ずっと一緒に楽しく学園生活を送るのだった。
途中で、ひかりが怪我をして弓道部を辞めることになったり、沙巳子が一度だけ選手になって活躍したり、小夏が全国大会で準優勝したりと、部活関係で色々とあったのだが、三人ともずっとこの部活で手に入れた絆を大切にしてきた。
それは、もう卒業が近い、三年生の10月になっても変わることはなかった。




