第9エリアの歴史
満腹という言葉は知っている。ただ、ケンはこれまで一度も辿り着いたことはなかった。お腹が苦しい。痩せ細った体にも関わらず、お腹だけぽっこり出ている。心臓の鼓動が力強くなっており、全身に栄養が行き渡っているのを肌で感じる。
「お食事、ありがとうございました。こんなにご飯を食べたことはありませんでした。涙を流してしまったこと、ご容赦ください」
「いえいえ。私どももケン様の幸せなご様子を見られてよかったです。ところでケン様はご兄妹を探されているとお聞きしました。居場所の心当たりなどをおありなのでしょうか」
「いえ、ありません。もっと言えば、この第9エリアがどういう場所かすら知らないので」
「第9エリアは『幸せの国』という別名があります」
「幸せの国?」
「私、もう寝るわ。その話は私がいないところでして」
「失礼しました」
女は勢いよく立ち上がり、大きな足音を立てながら、居間をあとにした。
リュウさんも決して気分のいい話をこれからするという表情ではなかった。これから口にする話は2人にとって耐え難いものがあるのだろう。
「第9エリアは東から西にかけて4つの地域で構成されております。それぞれの土地を東家、西家、南家、北家が治めています」
「君主がいるのですね。第10エリアではそういうシステムはなかったな」
「はて。政府がなかったと」
「無政府地帯ですから。ただ関所から税金を取られるだけです。と言っても彼らが何か助けてくれることはありませんでした」
「それは妙ですな。関所の人間は一つ上のエリアの政府から派遣される公務員です。逆にそのエリアの人間が衛兵になることはないです。第9エリアの人間が衛兵になれば、仲のいい第9エリアの住民の密入を許す恐れがあるからです」
「ちょっと待ってください。それでは僕たちは第9エリアにお金を払っていたことになるんですか」
「それもわかりません。そもそも第10エリアの存在自体、私はあなたに会うまで知りませんでした」
「わからないことが多すぎます。そもそも第9エリアはどのような場所なのでしょうか」
「かつては東西南北の四君制度がうまく機能していました。問題が起きても合議制で解決をしていました。話し合いができていたのです。この世界の常ですが、第9エリア内も東が一番栄えており、ここ最西地は豊かではないです。東から順に、城下町、商業地、工業地、農村地になっています。経済的に力を持っているのは東家です。ただ先代は驕ることなく、謙虚で誰の意見にも耳を傾けてくれる方でした。だからこそ四君制度が成り立っていたのでしょう」
「これだけ聞いていると問題なんて起きそうにないですが」
「ええ。第9エリア内の住民は皆そう思っていました。問題が起きたのは東家の嫡子、ソンが跡を継いでからです。彼は特殊な力を有していました」
「特殊な力?」
「人の弱みを見破れる力です。神から与えられた力と言っていました。ここから政治は一気に悪化しました。まず南家と西家は北家の言いなりになりました。東家にとって都合のいい税制、法律を作って、富を掌握していきました。それだけでは飽き足らず、反乱が起きないように愚策に手を出したのです」
「待ってください。4家の合議制があれば、北家なんて引きずり下ろせるでしょう」
「南家と北家はそれぞれ商業地と工業地を所管していました。ここも富が生まれる地域です。そこではやましいこともあったのでしょう。賄賂も横行していたと聞いています。エリア全体では統制が取れていても、細部を見れば悪事も出てきます。ソンはそこをつきました」
「北家はどうしたんですか」
「北家は反抗しました。愚策があまりにも行き過ぎていたからです」
「それは何ですか」
「麻薬政策です。農村地で麻薬の元になる植物を育てるという政策を展開しました。薬は上のエリアの住民も嗜好品として使います。第9エリアの一大産業に育てようと考えたのです」
「では、あの緑が広がる美しい土地は」
「全て麻薬の葉です」
「なんてことを」
「それに反発した北家は合議制のもとで死刑に処されました。南家と西家はすでに麻薬に染まっていました。エリア内の住民もすでに3割ほどは中毒者でした。ソンがあらかじめ麻薬を流通させて、受け入れさせる土壌を作っていたのです。北家は子供が女だったこともあり、両親だけだが斬首されました。北家が治めていた土地に住む住民の多くは西家の領地に移動して行きました。いまこの国が『幸せの国』と呼ばれているのは薬が簡単に手に入り、嫌なことから逃げ出せるからです」
「ところで北家というのは、、、?」
「そうです。いま我々が食事をしたこの場所こそが北家の屋敷。私はかつて北家の家臣として仕えていたものです。そしてお嬢様は北家の血をひく最後の人間なのです」




