出発
「お願いです。お腹に赤ちゃんがいるんです。栄養がないと流産しちゃうかもしれないんです。お願いしますから、1Zでも値引いてくれませんか」。頭を下げる妊婦の姿が遠くからでも見える。
「第10エリアの人間が妊娠してんじゃねぇよ。お前ら、そもそも自分の生活すらままならないのに、子供なんて作るな、カスが」
「お前らみたいな人間をなんで俺たちが面倒みないといけねぇんだよ」
衛兵が大声で罵声を浴びせる。あたりではゴミをせっせと換金所に持ち込みお金に交換すべく、列をなしている者たちが、その光景を傍観している。誰も助けようとはしない。いやできないので。
「そんな。野菜ひとつで20Zなんて高すぎます。第9エリアだったら5Zで買えるものでしょ?お願いします。お願いします」。妊婦は頭を擦り付けて懇願する。
「目障りだ。失せろ」と言うと、衛兵は女の横っ腹を蹴り上げた。傍観者たちは目を背け、まるでその暴力はなかったかのように振る舞う。
「もし。いくら足りないんですか?」。いてもたってもいられなくなった。手を取り、女性を立たせる。
「5Zです」
「ではこれを使ってください」
ケンは仲間たちからもらったお金を差し出した。
「ケン、こんなところで使っていいのか。第9エリアで生きていくために残っているお金は2000Zだぞ。ここで人助けなんてしてたらあっというまになくなるぞ」
「いいんだ、タケさん。道で困っている人を一人救えない俺に、妹を救えるはずがない。それにタケさんは俺が妊婦を見殺しにするような男で胸張れるのかい」
「いや、そういうわけではないが、、、俺はお前の身を案じているんだ」
妊婦はお腹を抑えながら、売店で野菜を買い、ケンにおじきをして離れていった。
「おいおい、ケンじゃねぇか。また妹の話か。安心しろ。お前の妹はもう死んでる。俺はそれに1万Z賭けているんだぞ。死んでなきゃ許されない」と顔馴染みの衛兵が近寄ってくる。制服はヨレヨレだが、立派な公務員だ。俺たちから巻き上げた税金で毎日3食ご飯を食べ、暖の効いた家でふかふかのベッドを用意されている。第10エリアではゴミを換金した際、税金で8割を取られる。西から流れてくるゴミの中には高価なものも多い。それなのにこれほど貧しい生活を強いられているのはこの税金にある。
「第9エリアへの入場をお願いしたいです」
「お前、何いってんだ?1万Zがないと出られないと散々いったよな?前借りはできない。借金もお前みたいなドブネズミには信用がないからできない。お前らは一生ここから出られねぇんだ、わかるか?」
「いえ、出ます」
ケンは包みにある1万Zを衛兵に渡した。
「お前、これをどこで」
「どこでもいいじゃないですか。もとよりこの街で違法にお金を集めようったってできないでしょ。みんなお金を持っていないわけなんですから」
「それもそうだ」
「入場できますね?」
「あぁ。これは許可しねぇといけねぇ」
「ありがとうございます」
門の扉についてる小さな扉が開いた。向こうの景色を見るのは初めてだ。初めて世界がそこには広がっているのだろう。灰色でゴミだから、異臭が常に漂っているふるさとは違う、新しい世界が。
ケンは振り返って、タケ、レイ、坊、リンを見た。痩せ細った4人は皆、弱々しく、それでも必死に生きていこうと懸命に立っている。彼らには散々お礼は言った。それでも別れの時にもう一度言いたいという衝動に駆られた。だが彼らにお礼の言葉を伝えられない。伝えると衛兵がお金の出所を掴み、彼らに襲うかもしれないからだ。どれだけ言っても言い足りない。最後に握手をして旅立ちたい。その衝動を必死に抑え込もうとした。そこでケンは衛兵に気づかれないよう小さく頷いた。これが今彼にできる精いっぱいの謝意だ。彼らを受け取ってくれただろうか。
「ほら、前へ進め。妹、見つかるといいな」
衛兵は不気味な笑顔を見せながら、声をかけた。衛兵に促されて、前を向いたことで彼らの反応を見ることはできなかった。
必ず妹を救い出し、彼らの恩に報いる。ケンは門の敷居を超えて、第9エリアに足を踏み入れた。




