第一五八話 抗いようもない欲求
咲を無事に布団まで運び終えたので、そのタイミングで自分にもやってきた眠気に逆らうまいと悠斗も自室で就寝に入ろうとした。
が……どんな因果が絡んできたのか。
運んでいく過程の最中で服の裾を掴んでいた咲の手が思っていた以上に力を込められており、ちょっとやそっとの抵抗では外せそうにもない。
解決策も無くは無いものの、その場合は多少無理やりにでも振りほどく必要が出てきてしまうので実質不可能。
そんなことをすれば今も尚すやすやと寝入る彼女を起こしてしまうため、何とか咲の目を覚まさぬようにしながら脱出を図らなければならなかった。
まぁ、そのための手段が手元に無いがために悠斗は背中に流れる冷や汗を自覚しつつ苦悩する結果となっているのだが。
「これは……手を離させるのも無理、だな。…いや、本格的にどうすりゃいいんだ」
何度確認し直してみても、目の前にある状況は頑として変化してくれない。
咲の小さな背丈と華奢な細腕からは想像も出来ぬほどにガッチリと握りしめられてしまっているのでまともに立ち上がることも出来ず、詰んでいる現状を再認識させられるだけ。
……一応、対処の方法も思いついていないわけでは無い。
咄嗟の急ごしらえにはなるが幾つか方法自体は思い浮かんでいて、それなら付随するリスクさえ無視すればこの状況を打破することも可能である。
例えば咲に気づかれないよう、時間をかけてでも手を離させることを試みるとか。
いっそのこと握られている上着自体をここで脱いでしまって、悠斗自身は場を離脱してもいい。
だが、それらの作戦に付き纏う不確実性を考慮してしまうと…どうにも実行まで踏み切ることが出来なかった。
どれだけ少なくとも咲の睡眠を邪魔してしまう可能性が存在する以上、確実な手法でなければ二の足を踏んでしまう。
(自分から離れるのは無理。かといって、強引に動いて咲を起こしたりすれば本末転倒も良いところ……駄目だ。どんなに考えても失敗する方法しか思いつかないぞ)
悠斗に今から出来ることなどせいぜい呆然とした様子で過ぎるだけの時間を体感しながら待つことくらいで、下手に身動きも取れないとなれば他に選択肢も生まれない。
もはや万事休すか……そう諦めかけていた時。
今度はまたもや思いがけない展開が悠斗を襲う。
それまで健やかに眠っていたはずだった咲が目の前で繰り広げられていた苦悶の空気を察知でもしてしまったのか、寝苦しそうにしながら思い切り寝返りを打った。
……彼の服を掴んだ状態のまま、である。
「え? ……うおっ!?」
すると何が起こるか。
ここからどうすればよいかと頭を悩ませていた悠斗は咲の寝返りなど予期しているわけも無く、勢いよく体勢を変えた彼女の力に引っ張られるままバランスを崩す。
危うくそのまま咲に衝突しかけそうになり……しかし、幸いなことにぶつかりはせず彼も柔らかい感触にキャッチされて事なきを得た。
急に危機が訪れるなど聞いていなかったと文句を口にしかけるも──だが悠斗はそこでよりマズい状況に陥っている点に気が付く。
「ったた…いきなり何だ? 次はどんなことが起こったって……ぶっ!?」
「………………」
…目まぐるしい流れに翻弄されながらも視界をすぐ前に向ければ、そこで目に入ってきたのは至近距離にある咲の顔。
傍から見ればすぐに分かることではあるが、今の悠斗は彼女の寝返りに巻き込まれたことで布団目掛けて倒れ込んだ状態。
つまり端的にまとめると、悠斗は咲と並ぶ形で布団に入り込んでしまっているわけだ。
いや、互いの距離感も加味するともうこれは添い寝をしていると言ってしまっても過言ではないかもしれない。
非常によろしくない状態だ。悠斗も即座にそう判断した。
……しかし現実というのは常に非情なものであって、早く離れなければと理性の残滓が叫ぶのに従い動こうとしたところで…その前に、咲がもぞもぞと身動きを取る。
そうすると何故なのか。理由は一切不明だ。
寝ぼけて無意識に彼の存在を感じていたのか、寒かったから温まれる何かを求めていたのか。それともこうした癖でもあったのか。
真偽のほどは分からずとも、あれよあれよという間に咲が彼の服から手を離したかと思えば……今度は、両腕をもって悠斗に力いっぱい抱き着いてきた。
(ちょ…っ!? 流石にこれは、マズすぎるだろ……!! ていうか、状況も悪化してないか!?)
一度は手を離してくれたから助かったかと幻想を抱いてしまったものの、蓋を開けてみればそんなことは全くない。
むしろ事態は着々と悪化の一途を辿っていき、距離を離すどころか密着してしまった展開に内心で渾身の叫び声を上げそうになる。
もうここまで来てしまえばさっきまでは微かに残されていた自室に戻る選択肢も完全に消滅してしまい、それどころか距離がゼロにまで縮まったことで感じられてしまう彼女の体温や肌の感触に悶々とした思考が湧き上がってきてしまう。
(ヤバい…! 早く抜け出さないといけないのに、咲の拘束がかなり強いんだが…! あとそれ以前に、咲がくっついてきてるからなんか色々当たって──いや何考えてるんだ!? 変に意識するな意識するな……っ!)
過去にも咲と物理的に距離を近づけた経験は何度かあっても、今回のはそれらと比較にもならない危険要素が多すぎる。
まず男女二人が一つの布団に寝転がっているだけでも相当アウト寄りだというのに、悠斗の考えすぎでなければ咲からは甘い香りのようなものまで漂ってきている。
それこそ、まるで彼を誘惑するかのような意図を感じざるを得ず……どうにか理性だけは保とうと最後まで意識を強く意地している。
が、それもいよいよ限界が近い。
怒涛のあれこれで忘れそうになるも、咲がそうだったように悠斗も今日は色々と動いてきたことでかなりの体力を消耗してきてしまった。
少し前から兆候はあったが、そこで蓄積した疲労もここに来てピークを迎えてしまい…簡潔に言うと、眠気の限界が近づいてきてしまっているのだ。
(あ……っぶない!? 流石にここで寝るのはシャレにならん! でも、もう俺も限界が近……けど、こんなところを見られでもしたら何て言われる、か……)
心地よい眠気を誘う布団に身を包んでしまったゆえか、本格的に悠斗の睡眠欲も強烈な高まりを見せていく。
けれど脳裏の片隅でここで寝ていい訳が無いと、最後の最後まで声を上げ続けている自分の理性に耳を傾けるも……そこで彼の視界に入るのは、気持ちよさそうに寝ている彼女の姿。
「……こんなすぐ傍で男が近くにいるっていうのに、無防備に寝やがって……あんまり油断してると、俺が布団に入り込んでくるんだぞ…? …聞いちゃいないか」
悠斗の存在を感じているのかいないのか。
どちらにしても彼を抱きしめた瞬間から、その頬をゆるゆると緩ませていた咲の微笑みからは一切の危機感というのが感じ取れない。
自分を信じてくれているのは嬉しいが、眠気によって判断力が低下したりなどすればこのような窮地にもなりえるのだからもう少し警戒してほしいものだと思いつつ、悠斗は重くなっていく瞼をどこか遠くに感じていた。
(てか、んなこと考えてたらいよいよ眠気が本格的にヤバい……あぁ、もう…後の事は明日の自分に任せれば、いいか……?)
ゆっくりと、ゆっくりと。
咲に抱き着かれたからか心なしか上昇しつつある体温に伴って睡眠欲求も向上してきてしまい、閉じていく瞼の動きには抗いようさえ無くなる。
いつしかまともな判断能力さえ失われていき、間違いなく危機的状況であるにも関わらず悠斗の意識は静かに闇の中に沈んでいった。




