第一五六話 好意の種類
咲が持ち出してきた、悠斗に聞きたい事とやらの中身。
最初はどんなことを聞かれるのかとそこまで警戒せずに構えていた悠斗ではあったものの、その余裕も彼女の問いを認識した瞬間に消えてしまう。
つまるところ、咲の『自分をどう思っているのか』との質問に対する返答の仕方をすぐに考えなければならない。
「…っと、それは…どういう意味合いで?」
『深く考えなくてもいい。ただ、文字通り私の事を悠斗がどう思ってるのか教えてほしい。聞いてみたかったから』
「……どう思う、か」
しかし答え自体は決まり切っている。
数か月前、咲の過去を知ったあの日から自覚した好意は変わらず……否、あの時からより強くなる勢いで悠斗の中に在り続けている。
だがそれを咲本人に伝えるわけにはいかないのだ。
かつてのトラウマから、他者に信頼を裏切られることを何よりも恐れていたこの少女へ無遠慮に距離を縮めて行こうとすれば…彼女の恐怖心を刺激してしまいかねない。
だからこそ本心でもある咲に抱く異性としての好意は隠し通し、この場でも伝えられる最大限の言葉を返した。
「えと、言い方が合ってるかどうかは分からないけど…前にも言った通り、咲の事は好ましく思ってるよ。でないとこんな風に一緒にもいないし、信用もしてる相手だ」
『……それだけ?』
「それだけと言われるとまた難しいんだが……大体はこんな感じだな」
「…………」
何も嘘は言っていない。
ただそこに異性に向ける恋愛感情があるかないかを言及していないだけで、今しがた並べた咲への印象も間違いなく事実だ。
なのでここまで言えば謎の問いかけを繰り出してきた咲も納得するかと思い、一瞬気を抜きかけるも……そのような甘い予想は今の咲に通用せず。
難しい表情になってしまった咲が次にしてきたのは、どういうわけか更なる追撃だった。
『本当に、それだけ? もっとこう、何かあったりはしない?』
「もっと言われてもな。…具体的にはどんな感じなのか」
「……………………ッ!」
一体彼女がどのような答え方を期待していたのかは分からないが、珍しく咲がここまで詰めてくるとなればこの問答もかなり重要なものなのだろう。
であればどういった回答の仕方が合っているのか、それを聞いてみたいと暗に告げてみるとまたもや咲は長時間考え込む仕草を見せた後にハッと妙案を思いつく素振りをする。
良い例えでも思いついたのか。
そう思い、咲がどんな事を言ってくるのか待ち続けていると……もたらされた例は何とも難解である。
『じゃあ、例えば……今私に、悠斗は変なことをしてみたいとか、思ったりする?』
「…………咲、お前なぁ」
「……?」
「前から言ってるだろ。男にそういう思わせぶりな事を言うのはやめろって。勘違いされたらどうするつもりなんだ。襲われても文句言えなくなる可能性だってあるんだぞ」
何を言われるのかとあれこれ予想していただけに、咲が示してきた例え話には悠斗も飽きれた声色を零してしまう。
以前より彼女がこういった思わせぶりな言動をしてくることは何度かあった上、その度に彼は相手を勘違いさせかねない素振りはやめておけと忠告してきた。
その理由は仮にこれで妙な妄想を働かせた男子が咲に襲い掛かりなどしてしまった時、双方に無駄な傷しか生まないからだ。
咲は当然として襲われなどすれば浅くないトラウマとなるだろうし、相手側にしてみても後々面倒な事態にしかならないのは目に見えている。
互いにそうなることを望みでもしていなければこんな言動は悲しい結末しか生み出さないので、再三注意を繰り返してきた。
もちろん今回も同じようなことだろうと、若干溜め息を吐きつつ迂闊な発言は控えろと言葉を続けようとして──直後。
……まるで予想もしていなかったし、出来るはずもない。
しかし咲から告げられた次の言葉は、羞恥心からか赤らめた頬の熱をはっきりと映し出しながらも──それと同じくらいに衝撃的な、彼女の意思が現れていた。
『別に、私は──悠斗なら、嫌じゃない』
「…………は?」
『だって悠斗は、私にとって大切な人、だから……嫌だとは、思わない』
…その瞬間は、何と表現すればよかったのか。
一瞬、自分に向けられてきたメッセージの意味があまりにも予想外に過ぎたために悠斗も理解が追い付かなかった。
されど次第に少しずつ噛み砕けてきた言葉の内容を知ると同時に、溢れ出してきたのは強烈な困惑である。
(待て……待て待て待て。一体何を言い出してるんだ咲は…! いやでも、これは…どう捉えたらいいんだ!?)
表向きこそ驚きに目を見開きながらも何とか平静を装いこそしているが、彼の内心はまさしく混乱の嵐。
いきなり訳も分からず、咲にまるで悠斗が相手であればそうした事さえも不快ではないと遠回しに告げられる。
…全くもって意味が分からない。
だが一つ確信を持って断言できることは、彼女は相手が誰であろうとこんな言葉を向けるような少女ではない。
むしろ彼女の場合は本当に信頼できる相手でも無ければ……否。
たとえ信頼している関係性であろうと、友人としか認識していない人物には冗談でも言う事はないはずなのだ。
それこそ、悠斗が咲から──異性として意識でもされていない限りは。
……これまではありえないと彼の中で決定づけていた、しかし今のやり取りで浮上してきてしまった一つの可能性。
数か月前に自分の想いを自覚した時から、悠斗は咲の心へ安易に踏み込みすぎるのは悪手だと判断し必要以上に恋愛感情を匂わせるのは避けてきた。
そうしてきた理由はひとえに、彼女はこちらに対して特別な感情など抱いていないだろうと断定していたから。
過去の経験より、咲は一度深く信用した相手から心無い言動を振りかざされてしまう事を人一倍恐れている。
だからこそ悠斗も安易に踏み込みすぎるのではなく、時間をかけてでも彼女の恐怖心が和らぐまで待とうと決意したのだ。
されど今向けられてきた言葉は。咲が潤んだ瞳で見上げながら伝えてきた発言は。
少なくとも、単なる友人止まりとしか思っていない相手へ告げるような代物ではないはずだ。
であれば……もしかすれば。
今までそんなわけが無いと無意識に切り捨ててきた推測。
即ち、咲は悠斗の事を単なる友人などではなく。ただの知人に向けられた親愛の情などではなく、もっと深い──異性としての──…。
(まさかそんな…でも、あり得るのか? 咲が、俺に……でもそうでも無ければ、あの言い方に説明が……)
口には出さずとも内で渦巻く感情の濁流は悠斗自身にも制御しきれず、今のはどういう意味なのかと思考を巡らせ続ける。
しかしどれほど考えたところで明確な答えなど出るはずも無し。
深く咲の意図を読み取ろうすればするほど考えはドツボにハマってしまい……一体どれくらいの時間が経ったのか。
「…………」
互いが互いに周囲へ漂う緊張感にも似た空気を感じ取っていたからか、二人は一切の言葉を発さず静かに過ぎる時間を消費していく。
すると、そのタイミングで。
ここからどう反応を返したら良いのかと頭を悩ませていた悠斗の肩に、ポスッと軽く何かがもたれかかってくるような感触があった。
「……っ!」
突如としてぶつかってきた感覚に一瞬反射的に身体を揺らしそうになるも、その正体が咲の小さな頭であることを理解するのは早かった。
どうやらここに来て彼女は彼の肩にもたれかかってきたらしく、しかもこの機会に乗じてとなると…色々と妙な所を勘ぐってしまう。
先ほどの件に加えてこの動きにはどんな意味があるのか。
ますます混乱が広がっていく彼の脳内ではあるも、とにかく尋ねてみなければ状況な何も動かない。
本音を明かすのなら、現時点の状態で咲に聞き返すのはかなり勇気を要してしまうがそんな弱音を吐いている場合ではない。
数少ない気合いを振り絞り、決死の覚悟を持って寄りかかってきた咲の方を向こうとして……ふと、違和感に気が付く。
というのも、彼女は悠斗の肩にもたれかかってきたわけだがそれも冷静に見返してみるとどこかさっきまでの張り詰めた雰囲気が消えているような。
更にはつい数秒前までは緊張のあまり聞き逃していたものの、よくよく耳を澄ますと彼女の呼吸が一定のペースを繰り返す……寝息に近いものに変化しているような。
それら幾つかの些細な点に思い至り、パッと隣に視線を移すと──。
「……寝てる? いつの間に…」
──すやすやと、穏やかで浅い呼吸を披露している咲の姿。
しかし彼も気が付かぬ間に、いつの間にやら瞼を下ろしていた彼女は……微睡みの世界に旅立ってしまっていたらしい。




