第一五五話 たった二人だけで
「ったく、母さんは……咲、あまり気にしないでくれ。普通にここで休んでくれたらいいからさ……ん?」
悠斗と咲。たった二人だけで取り残されたリビングの静けさ。
ついさっきまでが賑やかだっただけに、いつも以上にシンとした空気をしつつも…悠斗は不意にそこであまりよろしくない客観的事実に思い至ってしまった。
(…あれ、今まで意識もしてなかったけども……咲と二人で、布団が一つ敷かれてる状況って。言っちゃあれだが、かなりマズいのでは…?)
そう、これまでは騒がしさと両親がいたことも相まって忘れかけていた要素。
特段妙な思惑など働かせていなかった上に彼女が睡眠を取れるようリビングに用意した布団一式であるも……よくよく客観視してみれば、現在は布団一組だけが敷かれた部屋で男女が佇んでいる状態。
しかもおあつらえ向きに入浴まできっちり済ませており、あらゆる支度も完了しているので残すところは眠るだけ。
……このシチュエーション、たとえ当人たちにそんな意識が無かったとしてもそういった目的があるようにしか捉えられない。
無論、悠斗個人としては単なる偶然の一致でしかないので断固否定はするのだが要はそう認識されてしまうこと自体が問題であって。
それこそ今の今までは普通に接することが出来ていたというのに、彼らだけとなった途端に咲のパジャマ姿さえ可憐な破壊力を有しているように見えてきてしまった。
(今のままだとマズい……となると、やるべきことは決まり切ってる)
間違いや宿泊の非日常感溢れた空気感に触発されて本能的に動くことなどあり得ないが、現状が続くと良くないことくらいは悠斗にも理解できる。
そしてこう判断した彼の行動と決断は早く、自分のすべきことを真っ先にこなさなければと思い彼女へ呼びかける。
この目論見が数秒後には呆気なく破綻するとは露も知らずに。
「咲、俺もそろそろ自分の部屋に行ってるよ。ここは自由に使ってくれたらいいから……」
「……!? ……~!!」
「…へ? 『まだここにいて』って…いや、うん。特に何があるわけでもないんだけどな? …分かった、もう少しはこっちにいるよ」
「……っ!」
咲へそれとなく提案した解決策は悠斗が早々にここから離脱してしまえばいいとの案で、布団一つの空間に二人だけでいるのだから気まずくなっているだけであってそれなら離れてしまえばいい。
これ以上なく分かりやすく単純な方法だ。
実に効率的である。
…ただ、悠斗の側に唯一見落とした点があるとするなら。
深く考えず咲にそう告げてしまったことで、これまた何故か彼が部屋を出ていくと言ったことに対して酷くショックを受けたように狼狽した様子を見せ。
こちらの袖をキュッと掴み、上目遣いで心なしか涙目になりかけているような…あるいは懇願するかのような瞳と共に、『まだここにいて。…お願い』なんて必死な言葉を紡がれてしまう。
……誰か答えてほしい。咲にここまで言われて、無慈悲に自室へ戻れるような人間がこの世にいるのかと。
少なくとも悠斗には不可能だった。
あえなく彼の完璧だったはずの策は撃沈する結果となり、その対価として彼の返事を聞き心底安心したような、嬉しそうに満面の笑みを浮かべる咲の姿が見られたので…まぁ結果オーライか。
つくづく自分は咲に甘いと改めて思い知らされたものの、そこはとっくに手遅れなのも同時に理解しているので大した問題でもない。
とにかくここからは、下手に妙な思考を介入させないよう細心の注意を払いながら咲との時間を過ごす必要性が生まれてきてしまった。
かなりの難題。
無事にやり遂げられるかどうかは…今の悠斗に、即答できるほどの自信は無かった。
「──ほい、これでも良かったら飲んでくれ。そんな大層な飲み物でも無くて悪いけど」
『ありがと。悠斗がくれたなら、それだけで嬉しい。ありがたく頂く』
咲に強く要望されてしばしの間ここに残ることとなった悠斗ではあるも、正直大したことは出来ない。
用事としては本当にただ彼女と共に過ごすだけであって、言ってしまえば普段の生活模様とほとんど変わらないものでしかないのだから。
強いて挙げるなら、その生活模様に深夜で二人きりになっているという怪しすぎる要素が付け加えられているのだが……もうそこは気にしたら負けである。
出来る限りそのポイントは意識から遠ざけることにして、キッチンから持ち出してきた温かいお茶を咲に手渡す。
そうしてそれを両手で大事そうに抱えながら、湯気を冷ますようにふぅふぅと空気を送り込む彼女を微笑ましく見つめて彼もソファの隣に座り込んだ。
「………………」
「…………」
…そこからしばらく、両者の間に会話はなく。
悠斗はこの状況に勝手な気まずさを感じており、そのため意図せず沈黙の姿勢を貫いてしまったが咲もそれは同様で。
もしかしたら彼女も彼と似たようなことを考えていたのか、断定はできないが咲もまた何かを語りだす気配は感じられなかった。
ひたすらに静寂だけが場を支配する時間が続いていき、いつまでこの流れが続くのかとも思うも──ここまで来て黙ってばかりというのもアレなので、悠斗から話題を振りに行く。
「…今日は色々あったけどさ、母さんたちに付き合ってくれてありがとな。二人も楽しそうにしてたし、助かったよ」
『……それは、こっちのセリフ。真奈美さんと昭宗さんに直接会えて、楽しかったし嬉しかった。誘ってもらえて感謝しかない』
「そっか」
彼が述べたのはまず今日一日への礼と感謝。
元々顔を合わせるだけの予定だったはずが何の因果かこうして宿泊にまで至り、明確な言葉にはせずとも振り回してしまったことと…両親とも丁寧に接してくれたことを。
並々ならぬ気遣いをしてくれていたのは言わずとも伝わってくるため、遠回しでありながらもさりげなくこれは伝えておきたかった。
すると彼女も柔らかく微笑み、自分の方こそとお互いに礼を言い合う状態がいつの間にか仕上がっていた。
「…………」
と、そこでまた会話が一段落してしまったからか。
一度は続いたはずのやり取りが再び途切れてしまい、どうしたものかと軽く思案する。
しかし今度はありがたいことに咲から会話の意思を示してくれたので、そこに応じようとして──振られてきた話題は、こんなものだった。
『でも、やっぱり今日は会えて良かった。あんなに優しそうな人たちだって知れたし、これからの事を考えてもたくさん言い事はあったと思う』
「これから…? そうか……まぁ、咲が納得してくれてるなら良かったよ」
「………………」
「…何だその目は。どうして睨んでくる」
『…別に。ただ、悠斗は変わらないと思っただけ』
「貶されてる感じしかしないのは気のせいか?」
『気のせい。それより悠斗、言っておきたいことがある』
「ん?」
微笑みながら向けられてきた文字列からは咲の確かな喜びが感じられ、意味は然程分からなかったが彼女が満足してくれたなら良かった。
そう思い返事をした、はずなのに…どうしてかこう言うと咲は視線をジトっとしたものに変化させて悠斗を一直線に見つめてくる。
しかもそこに付け加えて軽く罵倒されたようにも思え、心底納得いかなかったのだがすぐにそんな気分は切り替えられる。
咲が最後に語ってきた言いたいこと、とやらの中身が無性に気になったために。
「…………」
「…咲?」
『……大丈夫。ちゃんと言う』
だが、その言葉は態度に反して咲は中々肝心の内容を伝えようとしてこない。
動きからして何度も携帯に打ち込もうとはしているようだったが、まるでたったそれだけの動作をするために覚悟を固めているような…そんな雰囲気も垣間見えたように思えて。
一体何故そんな神妙な面持ちをしているのかと、湧きあがりかけた疑問を口にしようとするもそれより早く覚悟を決めたと思われる咲が言葉を投げかけてくる。
『悠斗。今、ここには私たちだけしかいない、ね。いつもと違って、夜遅くにこのお家で…二人きり』
「…っ! …そう、だな」
『真奈美さんも、昭宗さんも。ここで何かあっても気が付かない、から……一個だけ、聞かせてほしい』
そうして突きつけられてきた事実の羅列は──ある意味今の彼にこれ以上なく刺さるもの。
これまで散々意識しないようにと努めていた現状の数々を、まさかの咲から思い知らされたことで急速に悠斗の中で妙な考えが再度芽生えてきてしまう。
更には隣に座る彼女の表情すらも、心なしか言葉を語る度に熱を伴っていくようで。
見上げられる瞳に溜まった潤みさえ、不思議と目が離せなくなってしまうくらいに彼女の魅力を醸し出している。
深夜、そこに二人だけ。
言い訳も出来ないほどに整えられすぎた状況を前にして、心臓も早鐘を打ち始めてきたように感じられる中で咲から放たれる言葉は……。
『悠斗は、私のことをどう思ってる?』
…そんな、短い文章。
けれど込められた想いの丈は何よりも深い、問いかけ。




