4-7 どうしても嚙み合わない
どうしてだろう。和馬はもうずっと、それこそ小学生高学年の頃から自分で台所に立つようになっていたと言うのに。
朝晩だけじゃなく、昼も自分で弁当を詰めて家を出る息子を、父はどう見ていたのだろうか。
「俺はお前が料理をしているのは、その、生活の延長だと」
生活の延長。なるほど。必要だからしている。
「まぁそりゃ、一番最初はそういう部分も当然あったけど」
コンビニのお弁当も、スーパーのお惣菜も、段々と口が飽きてくる。デパ地下のお惣菜だって、たまに食べれば手のかかったおかずは楽しかったけれど、やっぱりちょっとだけどこか違う。
作られた、万人向けの、画一の味。美味しいけれど、毎日口にするには味が決まりすぎている。
なんか、違うんだよな。
そんな風に思っていた頃だった。
丁度家庭科の授業で調理実習があって、包丁に触れて、フライパンを使って。
もしかしたら少しずつ頑張れば自分も普通にできるようになるのでは、とそんな気がしたのだ。
その時授業で作り上げた品は、まさに教科書通りの型にはまったもので、目新しさはゼロだったし華やかさもなかったけど、口に入れた時にすっと馴染んだ。あ、これかも、と思った。口が欲しがっていたのはこれだと。
そこから、和馬は家でも自分で包丁を持ち始めたのだった。
「確かに買うより自分で作る方が安上がりだし、気を付ければ栄養に偏りも出ないし、生活のためでもあっただろうけど、それ以上に自分の満足のために作ってたんだよ」
自分の舌に馴染む味。食べるとなんだかホッとする味。凝ったものを作るのも楽しいし、気の抜けたズボラ料理だって日々の生活の中には溶け込んでいく。そうやって、人生の一部になっていく。
自分で自分の満足のためだけに作るのも良いだろう。趣味の範囲でも良いのかもしれない。
でも、その先に触れてみたいと和馬は思う。
自分にホッとする味があるように、誰かにもそういう味があれば良い。ないのなら、その人に自分の味でホッとしてもらえたら、何だか嬉しい気がした。自分が独りで積み重ねて来たものに、意味が生まれる気がした。そういう考えは、自己満足なのかもしれないけれど。
でも、そうだな、と思う。
好き嫌いが少しくらい多くたって構わない。ただ、美味しいなぁと思える味があればいいのに、と思う。心が寂しい時、ほんの少しその隙間を埋めてくれるような味。
リラにも、食べることの意味を、身体が摂る栄養以外にもあるのだと知って欲しい。それが和馬の目下の目的で、仕事。
「とにかく、別に反対って訳じゃないんだろ。ならそれで十分だよ。三年になったら面談とかあるから、その日だけまた都合つけてほしくて。仕事、休んでもらわないといけないだろうから」
ごちそうさま、と両手を合わせて空になった食器をシンクに移す。
「それから、今日は泊まってく。明日はもう戻るから」
蛇口を捻れば水音が二人の会話を断ち切って、代わりに空間を埋めていってくれる。
十分だ。反対、されていない。ダメだとは言われなかった。
「お前はいつもそうだな」
「…………は?」
背中に投げ掛けられた言葉に、反射的に振り向いてしまう。
「全部自分で決めてしまう。決められる」
今度心の中に生まれた苛立ちは、さっきと違ってはっきりしたものだった。
「そうしなきゃ、いけなかったからだろ」
環境がそうしたのだ。それだけだ。個人の資質以前の問題だ。
「オレが何してても興味ないし、どうでもいいだろ。家にいなくても、何とも思わないだろ。だから、今だってお互いこういう暮らしをしてる」
何かを一緒に考えてなどくれなかったではないか。だから、和馬は自分で決める。自信がある訳ではないけれど、自分で考えて決めている。
なのに。なのに次にかけられた言葉には、虚を突かれた。
「だってお前は俺と暮らしてると窮屈だろ」




