4-5 気まずい食卓
「…………珍しいな」
玄関からの短い廊下を抜け、ダイニングへと顔を出した父親の第一声はそれだった。呆れ顔で和馬は返す。
「珍しくはないだろ。先週ちゃんと連絡も入れておいたじゃないか」
「あぁー……それ、今日か。抜けてたわ」
落胆はないが、ほんの微かに苛立ちを覚える。
どうでもいい、忘れてしまえることに分類されてしまっていたことが引っかかるのだろうか。
別に、今に始まったことではないと言うのに。
父親の姿は、ダイニングの先にある申し訳程度のリビングの隣、和室へとすっと消える。
2LDKの間取り。六畳の和室と洋室が一つずつ。父親は洋室の方を和馬の部屋にと空けてくれていた。
家に寄り付くことがなくなった今でも、もちろんそこは和馬の部屋のままで手つかずだ。今日入ったら大分埃っぽかったので、やはりたまには帰って来て空気の入れ替えをしないといけないな、と思う。
実家大好き! という訳ではないが、この狭さがやはり落ち着いた。あの屋敷は広すぎるし、和馬の生活レベルに合っていない。職場だし、居住食がきちんとしているのはとても有難い条件ではあるけれど。
引っ込んだと思ったら、父親の姿はまたすぐに戻って来る。コートと鞄を置いただけのようだった。脇を抜けて、洗面所へ。
その間に和馬は手元の作業を完了させる。
鍋からお椀にスープをよそって、ピーピー完了のお知らせをくれた電子レンジからタッパーを取り出す。スープは粉末中華スープの素で味付けして、溶いたたまごをそっと流し入れ、ネギの小口切りを放り込んだだけの極々簡単なもの。もやしとにんじんのナムル。鶏肉をみりんと砂糖と醤油で煮詰めたもの。あとは簡単な副菜が数品、タッパーに収まっている。
屋敷で作っているものと比べたら、随分適当だ。こだわりもないし、楽さだけを追い求めている。創意工夫はない。でもそういった料理も気楽で楽しい。
「飯は」
手を洗い終えた父親に声をかけると、食べて来た、との答えだった。まぁ今日戻って来ることを忘れていた訳だし、和馬もご飯は用意するとは一言も言わなかったから、それは別に良い。
「俺が食ってもいいのもあるのか」
「まぁ、量はある」
食卓を覗き込まれながら訊かれたので、そう答えておいた。
「……そうか。つまみにちょっともらう」
「どうぞご自由に」
父親は缶ビールを一つ、それから麦茶のペットボトルを取り出して席に着いた。空のグラスに和馬は麦茶を注ぎ込み、自分も座る。間が持たないのでテレビは必須だ。
「「いただきます」」
口の中を潤そうと、スープをひと口。平々凡々のど真ん中をいく味だが、誰に出しても特に文句が出ないであろう安定した一品だ。
次に鶏ももの煮込み。煮込んでいた時間が短い割には味が上手く絡んでいて美味しかった。ごはんが欲しくなる、ちょっと濃い目の味付け。
リラに作るなら、もう少し薄味が良いかもしれない。そもそも、鳥皮のぶよぶよを嫌がるだろうか。お嬢様はかなり繊細なので、食感にはこだわりがある。
「…………」
チラリと父親に目を向ければ、もやしとにんじんのナムルを突きながらちみちみビールを飲んでいた。
話しかけようかどうか迷うが、何と声をかけたらいいのか分からない。親子として今までも圧倒的に会話が少ない生活だったので、取っ掛かりというものがない。
しばらくぶりに見た父親に、ほとんど変わりはない。いや、ちょっとだけくたびれた雰囲気か。でも、この人はいつもこんな感じだ。
低体温で、興味の幅が狭いように見え、物事に、そして人間に執着がない。何が楽しくて生きているのだろう。好きなことはあるのだろうか。
知ろうとしてこなかったし、今もやっぱり知りたいとは思わない。
そう、そんなにころっと心は変わらない。
だって、父だって知ろうとしなかったではないか。必要最低限の分ですら。
ネグレクト、なんて言葉を当てはめる気はない。仕事があるからすれ違いがちな生活だったが、声をかけさえすれば必要なものは揃えてくれたし、聞いたことにも答えてくれた。育ててもらったのだと、そう思っている。
ただ、能動的に動くということがない人間だったのだ。いや、子どもとの接し方が全く分からない人間だったのかもしれない。ある日突然二人の生活になり、心の底から戸惑って、それが今に至るまで続いているのかもしれない。
あまり、気にされていないと思って生きてきた。
でも、もしかしたら心の中では気にかけていたかもしれない。声をかけなければと思っていたかもしれない。けど、結局それが行動に移されることはなかった。
そう、それが和馬にとっての全て。
好きではない。だが嫌いだと声を荒げるほどでもない。ただただ期待がないだけ。でも、完全に知らんふりをする気にもなれない。
一言で表すことのできない複雑な距離感、関係性がここにはある。
「そう言えば」
テレビを眺めながら無言の食卓を囲うために戻って来たんじゃないんだけどな、と思っていたら、ふと向こうから口を開いた。珍しい。
「次の春で高三だったか」




