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2-15 “美味しい”




「い、いや」



 見る見る内に涙は膨れ上がって行く。



「グウェンのうそつき! おいしいなんて、おいしいなんて……!」

「決して嘘では」

「うそよ! だってこれ、すっごくマズイもの! 食べた私が言ってるんだから、それがほんとうだもの!」



 確かに、子どもには少しハードな味かもしれないが。



「だが私は実際食べれるし」

 二口、三口と口に運んで見せてみる。

 確かに、すごい味がする。少なくともシチューの味ではない。妙なえぐみがある。重たくて、胸焼けしそうな気配も。

 だけどまぁ、懐かしい味だと言えなくもない。その気になったら食べられる。昔だって食べられた。彼女が作ったものだと思えば、それは最高のスパイスだから。

「む、むかしも……どうせ……」

 今日はきっと記憶にある通りのレシピで作ったのだろう。その昔彼女が一体何を参考にして、グウェンに手料理を振る舞ってくれたのかは定かではないが。いや、何も参考にしなかった可能性すらあるのだが。



「ひどい、うそつき、そんなのうれしくもなんともない」



 小さな肩が震える。テーブルに突っ伏して、彼女は泣き顔を隠してしまった。



「リラ嬢」

 慌ててグウェンは言い募る。

「本当に、美味しいんだ」

「グウェンが、そんなうそつきだとは、思わなかったわ」

「いやしかしリラ嬢、料理というのは味が全てではない。過程も大切だと思う。つまり、誰が誰を想って、どういう風に頑張って作ったのかという、そういう」

「料理はあじがすべてよ」



 リラ嬢のものとは思えない発言である。和馬がどれだけ美味な料理を作っても、見向きもしない時は本当に見向きしないというのに。



「だが実際、私はこのシチューをおかわりだってできるよ」

 そう言えば、“じーさん……!”と何故か和馬までも涙ぐんでみせた。

「私にとってこのシチューは“美味しい”ものなんだ。なんせ、料理なんててんで興味のないリラ嬢が、私のためを想って自らの意思で作ってくれたものなのだから。昔も今も、そうだよ。だから私はとても嬉しいし、このシチューを宇宙一の一品だと」

「もう食べなくていいわよぅ……!」



 真実思っていることを述べているのだが、言えば言うほどリラ嬢の不興を買ってしまうらしい。

 どうしたものか。食べ切る以外にできることはないのか。いや、食べ切っても彼女の機嫌はますます傾くのか。



「さて、リラ」



 ここに割って入ったのは和馬。



「ここにもうひと皿、シチューがある」



 差し出された器。見た目はリラ嬢の作品とそう変わりない。

 というか、見た目が変わらないことのすごさに今更気が付いて、まじまじとグウェンは手元の皿に目を落とした。



「これは隣でオレが作ってたシチュー。どうだ、ひと口食べてみないか」

 新しく向けられたスプーンを、のろのろと頭を上げたリラ嬢が泣きべそ顔で見つめる。

「和馬」

 それは残酷では、と思った。和馬のシチューならば美味しいに決まっている。



「違いが分かる、というのはレベルの高いことだとオレは思う」

「…………これはだれにでも分かるちがいなんじゃないの」



 リラ嬢は硬い声でそう返した。そう、この程度の言葉に乗るような彼女ではない。



「比較は上達の一歩だと思うぞ」

 だが、和馬は続けた。

「ここで逃げ出すような人間じゃないだろ。リベンジしなくちゃ、汚名は雪げない」

 言うに事を欠いて汚名とまでのたまった。グウェンには絶対に言えない類の言葉だ。

「それには、サンプルが必要じゃ?」

「…………」

 返されたのは沈黙。リラ嬢は差し出されたスプーンを親の仇のような目で見つめる。



 やがて無言の攻防を制したのは、和馬の方だった。

 彼女が新しいスプーンを手に取る。そうして、そっとまたひと匙掬う。

 小さな口に含まれ、咀嚼のために顎が動いて、そして。



「どうだった?」



 ごくん、と和馬のシチューは嚥下された。



「……………………こっちの方が、おいしい」

 ものすごい小声で、そう呟かれる。



 美味しい。



 いや、単純な味のみの比較結果からそうなるのは当然のことかもしれないが、彼女が自らの口で美味しいと言った!

 今まで、食べれなくないとか悪くはないとかマシという発言しかしなかった彼女が、美味しいと!



 驚きと歓喜が胸の中をぐるりと巡る。それから、ハッとする。



 和馬には途中でいくらでも軌道修正するチャンスがあったはずだ。けれど、グッと堪えてそうしなかった。彼女の好きなようにさせた。

 もちろん、言ったところで彼女が聞き入れなかった可能性も高い。けれど、そもそも計算の上で和馬はあえてリラ嬢の調理に口出ししなかったのではないか。



 美味しいと、美味しくない。

 その違いの明確さ。比較の上、どちらが好ましいと舌が反応するのか。

 彼女の判断基準には比較的食べられるか、もう絶対嫌、のどちらかしかない。それはでも、ネガティブな判断の仕方だ。前向きな気持ちがどこにもない。

 世の中には美味しいものが沢山ある。比べてみれば違いが分かる。基準が一つできると、次に繋げやすい。

 和馬はそれを狙っていたのではないだろうか。



 まぁ、五歳児に対する措置としてはかなり容赦のない、普通の子にやったら心をべきべきに折ってしまう手法だろうが。

 彼女だってショックを受けている。でも、元来負けず嫌いで、前世の記憶がある分精神も心も強めにできている。けしかけられれば、燃えるタイプのはずだ。



「次の参考になったか?」

 と和馬が訊けば、

「みくびらないでちょうだい」

 と間髪入れずに返答があった。



 そうして、これも多分和馬の計算の内だったのだろうが、この日から彼女が嫌がらず食べられるものリストに和馬お手製のシチューが加えられたことは言うまでもない。



 ちなみにグウェンは愛のこもったリラ嬢シチューを完食した。おかわりも、もちろんした。




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