2-14 会心の出来
結局ひたすらに目を落としてはみたが、本の内容は全く頭に入って来なかった。
そのうちにキッチンからは何やら匂いが漂って来て、さらにしばらく耐えていると、カチャカチャと小さな音を立てながら、リラ嬢がお皿を一つ運んでやって来る。
「できたわよ」
むふん、と自慢げに胸を張る姿が愛らしくて堪らない。
熱いものなのだろう、湯気が立っている。途中で転んだりしないか心配だが、ここは見守るのも役目だろう。同じように少々ハラハラした表情で両脇を和馬とイザックが固めている。
「有難う、リラ嬢」
やがて辿り着いた彼女から、グウェンはお皿を受け取った。テーブルに乗せるには、彼女には少々背丈が足りない。
「――――シチューか」
渡された皿には、他の何にも見えない紛うことなきシチューがよそわれていた。
「野菜とかはイザックに切ってもらったけど、味付けはぜんぶ私がしたのよ」
にこり満面の笑みを浮かべるリラ嬢に対し、少々和馬の顔が強張っているように見えるのは気になるが。
「ね、ちゃんとシチューになっているでしょ」
確かに、見た目は完璧にシチューだ。少しだけ黄みを帯びた白のルーの中に、ニンジン、マッシュルーム、じゃがいも、鶏肉、ブロッコリーなどが彩りを添えている。
和馬が、補足するように説明し出した。
「この前じーさんが思い出したって話してくれただろ。その昔、一度だけシチューを作ってもらったことがあるって。彼女は自分は興味がないから食べなかったけど、自分のためだけに一生懸命作ってくれたんだって」
「確かにそんな話もしたが」
「リラに訊いたら、確かにそんなこともあった、覚えてるって言うから。じゃあまた作ってみようって話になって」
「なるほど」
そうだ、遥か昔、そういうこともあったのだ。
彼女が食べもしない、興味もないだろう人間の食事をグウェンに振る舞ってくれたのはその時一度きりだったが、とても嬉しかったのを覚えている。
とても、嬉しかったのは確かだが――――
「私のために作ってくれたのだね」
そうよ、と彼女は得意げに頷いた。その言葉があれば十分な気がする。
「食べてみて!」
期待に満ちた目が見上げてきた。イザックから差し出されたスプーンを受け取って、グウェンはひと匙、とろみのあるルーを掬い上げる。
「では、いただきます」
ひと口、含んでみる。
野菜に火は十分通っている。温かいが、ヤケドはしない絶妙な温度。
「おいしい?」
そう訊かれて、
「うん、とても美味しい。リラ嬢に丹精込めて料理を作ってもらえるとは感動だ」
グウェンは淀みなくそう答えた。良かったですね、とイザックが覇気に欠ける顔に微笑を浮かべ、その隣で和馬の口許が妙に歪む。
口の中に拡がる味はどうだろうか。昔と比べて違いがあるだろうか。受ける印象というか、衝撃というか、その辺りは似ている気がするが。
「私の手にかかればこんなものよ」
得意げにそう言って、彼女はひと口くらいなら自分も食べるわ、と和馬に目を向けた。
「よし、分かった」
「え、いや、和馬……」
神妙な顔で頷いた和馬に思わず声をかけるが、彼はそれに構わずキッチンに取って返しすぐに新たな皿にシチューをよそって戻って来た。
「どうぞ、今日のシェフ」
「和馬……」
お子様用チェアにリラ嬢を座らせて、和馬はそう言う。
この様子を見ていると、いや、自信満々に持ってきた時点で分かっていたが、彼女は味見はしなかったのだろう。というか、多分味見をするという発想がないのだと思う。きっと以前もそうだった。
「いただきます」
食事は嫌がる彼女だが、マナーは大切にする。どんなに気が向かない様子を見せても、いただきますとごちそうさまはちゃんと言うのだ。
「リラ嬢、ちょっと待っ」
小さなスプーンに掬い取られる僅かな量。でも、それだけでも。
思わずグウェンは静止の言葉を口にしようとしたが、それは間に合わなかった。
ひと口、その小さな口にお手製のシチューが含まれる。そうして。
「う…………」
彼女はその姿勢で固まった。
「リ、リラ嬢」
眉がぎゅっと寄せられて、目つきが険しくなり、堪えるように身体はぷるぷる震え始める。
飲み込むことはできず、しかし吐き出すことも矜持が許さない。そんな雰囲気。
隣で和馬がまぁそうなるわな、という何とも言えない顔をしていた。そうだ、隣で和馬はその過程を見ていたはずなのだ。味については十分予想が付いていただろう。
「リラ、水」
サッと差し出された水に、彼女は飛び付いた。ものすごい勢いでコップの中身は減って行く。空になったそれに和馬がもう一杯注ぐと、それもすぐになくなった。
そうして口の中が一旦落ち着いたらしい彼女が、グウェンの方をキッと潤んだ瞳で睨んだ。
「う、うそつき……!」




