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2-11 怪しさに甘い砂糖をいっぱい振りかけて




 和馬はまだそこにいた。驚いた顔を固定して、そこに立ち尽くしていた。

 その顔が、しかしふと強張る。



「目が……」



 言われて、ハッとする。

 いけない、暗闇を見通すのに光っていたかもしれない。これは明らかに人間から逸脱してしまっている。擬態擬態、と慌てて意識するが、見間違いとすっとぼけて罷り通るだろうか。



「あの……」

 そんなことを思っていると、

「有難う、ございました」

 和馬はぺこりと頭を下げた。



 彼だって十分に自分を怪しんでいるだろうに。身のこなしにも、蝙蝠にも光る目にだって疑問があるだろうに。

 それを退けて、まずは感謝を口にした。



「いや、大したことではない」

 その反応を素直に好ましいと思ったし、同時に都合が良いとも思った。こちらに恩を感じているのなら、やりやすいと。

「いえ、でも本当に困っていたので。誰かが助けてくれるなんて思わなかったし」

 そうだろう。彼はここしばらく世の理不尽さに晒され続けていた。自分に非がなくとも、面倒だ不利益だと感じることがあれば人々は手のひらを返していく。切り捨て、逃げたがる。それまでどんな笑顔や親切を分けてきた相手でも、ぞっとするほど簡単に。

 保身は大切だ、とグウェンも思う。けれど残酷なことでもある。



 和馬の様子を見て、彼にとって都合の良い、甘い言葉だけで丸め込むこともできなくはない、と思った。

 このままちょっと怪しい、不思議なところはあるが親切な老人、で押し通すことも可能だろう。



「感謝の言葉は素直に受け取ろう」



 だがそれではなんだかなぁと思い、方向性を変えることにした。



「さて、だが私は親切心で君を助けた訳ではない」



「……え?」

 サッとその顔に警戒の色が浮かぶ。

「君は今、とても困ったことになっているのでは?」

「それは……」

「務めていた店を次々クビになってしまったとか」

「なんで、知って」

 一歩、足が後ろに引かれるが、その行為にあまり意味はない。

「実は以前、たまたま君が勤めていた喫茶店を訪れたことがあって、その時君の作る賄いの匂いが随分美味しそうだと興味を惹かれた」

 もうグウェンはとっくに和馬に狙いを定めている。この状況に持ち込んだ時点で、狩ったも同然なのだ。逃げ道などない。

「店主は君が料理人志望だと言っていたな」

 そう言ったら、今度は微かに顔が歪められた。



 あぁ、傷になっているのだな。それだけ、あの店主は普段和馬に優しかったのだろう。

 だからこそ、クビを言い渡された時、和馬は深く傷付いたのだろう。

 どんな風にクビだと告げられたのかは知らない。だが、和馬の表情を見れば、想像することはいくらでもできた。



「さて、そんな料理人志望の君に良い話がある」

 だがまぁ、ツキに見放されていなければ捨てる神あれば拾う神あり、という話である。

「私は君を見かけた時から、スカウトしたいと思っていたのだ」

「……?」

 グウェンは戸惑いを濃くする和馬に告げた。

「私は近々一人の女の子を引き取ることになっているのだが、彼女のための食事を毎食君に作ってもらいたい」

 よく分からないという顔をされるので、説明を追加する。



「毎月の報酬は支払おう。食材も惜しまない。勉強がてらに好きに買ってくれ。住み込みで働いてもらうことも可能だ」



 悪い条件ではないはずだ。彼が家族とそれほど上手くいっていないことも把握済み。



「実は彼女は偏食気味でね。私一人では彼女に上手に食事を用意できるか、正直自信がない。君に助けてほしいと思っている」

「オレは、別にプロじゃないし、他にいくらでも」

 あの匂いに惹かれたから、だけでは納得しないだろう。

 確かに、和馬より美味しい料理、素晴らしく凝った料理を作れるプロの人間はいくらでもいるのかもしれない。だが、単に美味しいだけでは足りないのだ。

「まぁ話は最後まで聞きたまえ。彼女に食の楽しみを教え、三食バランスよく食べてもらえるようになるには、相当な努力が必要になるだろう。彼女が人並みに食事を摂れるようになったら、月々のものとは別にそれに対する報酬を支払おう」

 今日、和馬を間近で見て確信はますます深まった。



 お人好しで、けれど人生の苦味も知っていて、しかしまだまだ青い若さを持っていて、どんな状況でも言うべきことをまず言えて。

 彼はきっと一生懸命になってくれるだろう。仕事だという境界線を越えて、きっとリラ嬢を放っておけなくなる。そういうひたむきさが必要だ。



「君が必要とする学費を私が出そう。今通っている高校の分だけではない。将来の進学含め、だ」



 怪しさに甘い砂糖をいっぱい振りかけて。追い詰められた子羊の前にぶら下げる。



「私の元で働いていれば、さっきの連中がまた絡んで来るようなことがあっても安心だとは思わないかね」



 猜疑と僅かな期待に揺れる心が、手に取るように分かる。

 人間を唆し、誑かすのには慣れている。伊達に長い年月は生きていない。



「そんな、都合の良い話」

 ある訳がない、とその目が語っていた。察しの良い人間は嫌いではない。話が早くて助かる。



「もちろん、裏はあるがね」



 グウェンはにこりと深く微笑んで、そうして勢いに任せて隷属の契約を結ばせたのだ。





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