2-10 他人の不幸は蜜の味?
その時点で、手筈は整っていたものの、まだグウェンはリラ嬢を屋敷に迎え入れてはいなかった。
けれど彼女の偏食ぶりは把握していたし、グウェンと再会して以降更に拍車がかかっていることも承知していた。
正直、彼女の食事の拒絶ぶりは最も大きな懸念事項だった。
色々と知恵を絞ってはいたが、上手く行く自信はなかったのだ。
「しかし……」
欲しいな、と思った。良い見つけものをしたと、そう思った。
厨房にいた、あの学生アルバイト。あの人間はいける。上手く行く。
根拠はないが直感が囁いていた。そうしてこういう時の勘が決して外れないことは、長い年月を生きて来たグウェンにはもう分かっていた。
そうなれば、自身の判断を疑う必要はもうない。考えるべきは、どうやってあの青年を手に入れるかだ。
「最近の人間社会は色々と面倒だからな。法律、プライバシー、個人情報の保護、コンプライアンス、SNS炎上……」
気を配らなければならない方面がありすぎる。昔はそれこそあらゆる出来事に明確な線引きなどないことも多かったから、ちょっとしたことでは誰も騒がないし気に留めないものだったが。
「彼女の将来を守るためには、一緒に暮らす私がまず世に溶け込み、人間社会にとって品行方正な存在にならなければ」
そうしてまずはと、グウェンは和馬の身辺を洗いざらい調べた。最適な誑かし方、もといアプローチ方法を決めるために。
さて、天はグウェンに味方をしていたようで、調べ尽くしてから数日の内に事態は動いた。グウェンにとって僥倖でも、和馬にとってはとんだ災難だっただろうが。
真面目に身を粉にして真摯に生きる者が、必ず報われる訳ではない。それはいつの世も変わらない。
和馬は運悪く地元の不良グループに絡まれたようだった。和馬自身に落ち度はなかったが、そういうことはあまり関係ない。
激務アルバイターな彼を面白半分にからかい、無神経な勘繰りをし、金を巻き上げようとした。不良メンバーの中の一人が中学が同窓らしく、中途半端に和馬の日常を知っていたのが、不幸中の更なる不幸だった。
連中はしつこく、和馬が従う様子を見せないとアルバイト先を回って迷惑行為を繰り返した。そうしたら、その内に和馬は一つずつ雇先から解雇を言い渡されていった。
彼が何かをした訳ではないのに。
解雇を言い渡された店の中には、あの日の喫茶店もあった。
愕然とするしかない和馬の前に、ある夜連中は再び絡んでいったのだ。その様子をグウェンは陰から見ていた。そうして、拳が一つ和馬の顔面に向かって来たその瞬間に、間に割って入ったのだ。
「どこからどこまで野蛮な輩だね」
不良連中も和馬も、突如どこからともなく現れた老人に一瞬ぽかんとした顔を見せた。
だが、相手はただの老人と見た瞬間に、ヤツらはすぐに勢いを取り戻した。簡単な相手だと思ったのだろう。正義感だけでしゃしゃり出て来た、自分の体力も見誤るような老人だと。
馬鹿な連中だ。
「痛い目を見ないと分からないらしいな」
汚い雄叫びを上げて殴りかかって来た一人を、グウェンは目にも留まらぬ速さでいなしてすっ転がした。本人も周りも何が起こったのか分からなかったに違いない。違いないから何も学習せずに、他の一人がまた突っ込んで来た。
今度は腕を捩じり上げてみせたのだが、それでもまだ力の差が分からなかったらしい。数で勝ればどうにかなるだろうと、残りが一斉に飛びかかって来た。
さて、どう捌いてやろうか。
あまり超人的な技を見せると面倒なことになるかもしれない。そう呑気に考えていたら、これはヤバいと血相を変えて、間に入ろうと和馬が飛び出そうとしたのが目に留まった。
「おい、やめろ……!」
きっと心根の優しい青年なのだなぁと思いながら、グウェンは少し趣を変えてみることにした。
スーパーじーさんを装うのも良いが、腕っぷしばかりにものを言わせるのはあまり優雅ではない。
掴みかかられるその前に、パチンと一つ指を鳴らす。細かい指示は口に出す必要がない。
次の瞬間。
「うわっ」
「何だ!?」
「わぁあぁあぁ!」
夜闇から溶け出したように無数の黒い物体が連中に襲い掛かった。
それは蝙蝠だった。普通の蝙蝠。特別な力は一切ないが、吸血鬼あるところに蝙蝠あり。気が付いたら勝手に周りにいるのが常な存在だ。人語を介したりする特別な蝙蝠とは違うが、彼らにとって吸血鬼の傍はただただ居心地が良いらしい。簡単な命令なら、気軽に従ってくれる。
パチン、ともう一度指を鳴らすと、蝙蝠達の奇襲は更に激しくなった。
「なんだよこれ!」
「どうなってんだ」
「まさか、コイツが」
「そんな訳、イタっ! やめ、やめろよ!」
「でも……」
一人の目が恐れと共にグウェン達の方へ向けられる。
そう、蝙蝠達はヤツらしか襲っていないのだ。グウェンと、グウェンが助けようとした和馬には一切向かわない。それが、どういうことか。
一気に恐怖の感情がその場に伝播する。
「彼にこれ以上、余計な手出しはしないことだ」
落ち着き払った声で、グウェンはそう告げた。この人間にとって異常とも言える事態の中で、これだけ平気な顔をしていればきっと余計に奇異に見えるに違いない。存分に恐怖すれば良い。
「次はこの程度では済ましてやれないかもしれないぞ?」
そう告げた瞬間、
「うわあぁあぁ!」
「待てよ、置いてくな……!」
蜘蛛の子を散らすようにヤツらは散り散りに逃げ始めた。
そうだ、ついでに一人一人に呪いをかけて、数日蝙蝠に絡んだ悪夢を見せることにしよう。それくらいしておけば余計なことは考えなくなるに違いない。
見ていて分かる。肝の小さいヤツらなのだから。
「さて」
辺りが静けさを取り戻した頃、グウェンは背後を振り返った。




