雨、黒猫、仕事。
6月。雨ばかり降る忌々しい季節。
新社会人として働き始めてから早2か月。かつて毎日のように感じていた好奇心と退屈さは成りを潜め、今はただひたすらに不安と恐怖を感じている。喉元には常に圧迫感、異様な速さで脈打つ心臓、そんな自分に対する嫌悪と失望。今すぐ家に帰りたい。
職場に向かう足取りはずっしりと重く、生ぬるい霧雨はじわじわと服を湿らせる。このまま職場に行けば理不尽な客、低賃金、膨大な仕事量、そして自身の無能さにギリギリと首を絞められる現実が待っている。朝の8時から夕方の6時までそれは続く。今日も、明日も、明後日も……酒や食べ物、お気に入りの音楽や創作物などで一時はそのストレスを誤魔化せても、じきに「自分はいったい何をやっているのだろう?」と正気に戻る。そんな時は決まって背後から見知らぬ誰かにナイフで刺されたような気分になる。死ぬほど苦労して職を手に入れたのだから、きっと事態は好転するはずだと信じていたのに。それはしてはならない期待だったのだろうか。
梅雨の雨は私の思考を薄暗い現実の中へ引きずり込もうとする。これから先、なんの進展も変化もないまま、少ない金を少しずつすり減らして息絶えるのではないかという、いらない将来を思い描いてしまうのだ。こんな想像、人間は本来するべきではない。
古びたビルの向こうに、見慣れた職場が姿を現す。思わず逃げ帰りたくなる。例えそうしたとして、職場は決して私のことなど追いかけては来ないが、私はあれから逃げられないのだ。
その時、ふと視界の隅に黒い影が走った。
反射的に目線を向けると、げっそり痩せた黒猫が霧雨の中を走っていた。私は無意識にそれを目で追いかけた。
黒猫は雨から逃れるように近くの排水溝に体を滑り込ませた。真っ黒な体は一瞬にして排水溝の闇の中に溶け込んで見えなくなった。まるで、先の見えない排水溝の穴に吸い込まれてしまったかのようだった。
その瞬間、私の頭の中で何かが切り替わった。理由などわかるはずもない。だが、確かにそう感じた。
鉛のように重たい足と、落とした豆腐のようにグズグズな心臓を引き摺って、今日も私は職場の中へ足を踏み入れる。あなたや、他の誰かと同じように、逃げることなく働き続けるのだ。